立ち呑み日記・餅つきの呼吸

注文してあった食器洗い機が、いよいよ届きます。
(2015年11月24日の日記をご高覧ください)http://tachinominikki.blog.so-net.ne.jp/2015-11-24

うちの食器洗い機はビルトインなので、いつも来てくれる配管工さんが午前のうちに古い方の扉の化粧版をはずし、いつでも持って行かれるようになっています。

配達された新品と交換に古い方を引き渡し、夕方に配管工さんが再びやってきて新しいほうへ化粧版をつけ直し、かつ水道管ほかを設営、ト、流れるようなスケジュールが組まれています。

(そんなうまいこといくかしらねえ)
と、緻密なるスケジュールに全幅の信頼が置けないことは四半世紀に及ぶ我がパリ生活で身に沁みついているわけですが。

終日待てど暮らせど来るはずの配達が来ない、なんてこと、ちっとも珍しくないですからね。

配達は午後で時間未定ということですが、お昼をまわったところで早々と電話して何時になりそうかつついておくことにします。

「エート(と、電話の向こうで何やら調べている気配)、もう出てるんで、まもなくッすかね」

このあたり出前の催促電話への対応と同じですナ。じりじりしている客をとりあえずなだめるのみで、
正確なことは何ら答えてません。

何しても手につかず、壁の時計を何度もちらちら見ていると、ピンポ~ン。

肌の浅黒い屈強の青年が二人、エレベーター無しの最上階まで、「アレッ」「オッ」と、餅つきでもしているような掛け声で息を合わせ、真新しいビニールのかかった重いところを運んできました。

「設営は本ッ当に不要なんですね? いいんですね?」
と、念を押されながら配送費を手渡し、契約遂行終えましたという書類に署名。

新しい食器洗い機うれしいナ、ようやく三度三度の手洗いから解放だナ、
と、右に左に眺めているうちに、青年二人は風のように去って行きました。

配管工さんへイソイソと電話し、使い方を早く覚えないとナ、説明書はどこかナ・・
と、ナデナデしていたところで、「はっ」。

持ち帰ってもらうはずの古いほうを置いたまま行っちゃった。

おっとりがたなで今来た方々へ電話すると、
「あの場で言ってくれなきゃァ。車だからもうずいぶん遠くまで来ちゃったよ」

今すぐ引き返しゃいいんでしょ、と、しぶしぶの発言を引き出しました。

とはいえ、引き渡し終了の署名はもう済んでいるわけですから、無視してこのまま来ないことだって大いにあり得ます。

(まったくもう)
と、心で悪態つきながら、パリ市の粗大ゴミ収集へ申し込んでおくことにします。

パリ市の粗大ごみはインターネットで申し込めば無料で簡単に収集されるんですが、あの重いのを自力で階下へおろすのがキビシイ。

(ほんッとにもう)
と、無暗にハラ立てつつインターネットのページに書きこんでいると、ピンポ~ン。

配管工さんを先頭に、先ほどの青年二人、同業者どうし心通じ合うのか和やかに笑いながらやって来ました。

青年らよゆるせ、疑ってすまなかった。

わが古い食器洗い機は、「アレッ」「オッ」の例の餅つきの呼吸で階下へ降りて行き、配管工さんは手際よく設営を始めました。


P1000132.JPG
晴れ間をねらってパチリ。

前菜は、トマトとオイルサーディンのサラダ
主菜は、牛挽き肉ステーキ、じゃがいもピューレ、いんげん塩茹で、グリーンサラダ

立ち呑み日記・焚書 [困った!]

くずれかけている文庫本の山を単行本の柱で支え直しつつ、進退きわまれりとため息つくまいことか。

同時に、買い物カートにぎっしり詰めたところがこちらへ倒れかかってくるのをしっかとおさえます。

このカートの中の本は、折を見てオペラ座界隈のブックオフ・パリ支店へ持って行こうと1年以上も前にえり分けたもの。

すぐ持って行けばよかったんですが、エレベーター無しの最上階から下ろすのは骨ですし、えっちら引いてバスに乗りこむのがまたひと苦労。

のばしのばしにしてきた結果がこれです。

その間にも一時帰国し、スーツケースの重量が許す限り新古本屋さんで気軽に本のまとめ買いをしてきているので、
(これもう読まないだろうナ)
という本の山が逐次できあがっていくわけです。

折を見てブックオフ・パリ支店に持って行けばいいだけのハナシですしね。

それがここへきて13歳になったばかりのムスメがちゃんと独立した一室が欲しい、ついては本の山で納戸状態になっているところへ
「オカーサン、いらない本片付けてッ」
と、再三ぶつけてくるようになってきた・・

・・と、そこへ隣人がトントンしてきて、
「買い物カート持ってたらちょっと貸してくれない?」

うちも隣人もエレベーター無しの最上階ですから日々の買い物にカートはかえって邪魔なんですが、ちょっとした荷物を友だちのところから持ち運んでこなくてはならないのだそうな。

そこで重いおみこしをあげて、買い物カートに詰まっている本を今日明日中にでブックオフ・パリ支店へ持っていこうと決意が固まったわけです。

以前もこうして不要の本を買い取ってもらったことがあるんですが、文庫本1冊20サンチーム(約30円)、単行本50サンチーム(約80円)、シメて24ユーロ(約3000円)にもなりました。

代金もさることながら、一度は愛した我が本が生き延びていくというのがしみじみうれしいものでした。

そうと決まれば、ブックオフ・パリ支店の住所はどこだったっけかな、と、すぐさま検索します。

「エ?」
と、目を疑いましたね。

ブックオフ パリ
と、グーグルに打ちこんだら、
ブックオフ パリ 閉店
とこう、筆頭で出て来るではないですか。

おっとりがたなでブックオフ・パリのHPを開いてみれば、
「買取りは2015年6月末に終了となります」
という衝撃的な赤文字の一文。

なんとまあ、年内撤退が決まっているのだそうです。

重いカートをえっちら引いて行った鼻先で断られるよりずっとマシでしょうが、それにしてもこのカートいっぱいの本と、そのほかに山となすもう読まない本、いったいどうしたらいいのか。

焚(ふん)書、などというオソロシイ言葉が頭をよぎりました。いくらなんでも我が手でゴミ箱におくり焼却場行きの運命は、つらい。

カートを借りに来た隣人は女性誌に出て来るような素敵なアパルトマンに住んでいるんですが、大の読書家で、どの本も読了後は近くの大学前のベンチなどに置き捨てるそうです。

興味のある人が持ち帰ってくれるのを期待してのこと。

「本はためこまず読んだら即座に別れるのがコツ」
とのことなんですがねえ・・


P1000145.JPG
マルシェの生産者の屋台に並びながらパチリ。たいへんな人気で小一時間の行列は必至なんですが、並ぶ甲斐ありどの野菜も他の追随を許さない美味しさと安さです。

前菜は、トマトとさいの目チーズのサラダ
主菜は、鶉(うずら)のコニャック風味葡萄煮、ニンニクをきかせたじゃがいもピューレ、いんげん塩茹で、グリーンサラダ

立ち呑み日記・アンニュイ・・ [追究]

なにもカタカナ語で言わなくとも日本語でいいのではと思うビジネス単語ベスト10、という記事を読みました。

ベスト3は、これです。

1位 リスペクト
2位 メルシー
3位 カンファレンス

ビシネスの場で「メルシー」なんて言うんですネ、ちょっと意外。万事英語ばやりのご時世で、なぜフランス語を採用していただけたんだか。

「課長、資料がそろいました」
「メルシー!」
なんていうシーン、ひと昔前なら給湯室で鼻白まれ、課長はキザ男の烙印を押されるばかりだったような気がしますが。

「昔も今もなく日本語の『ありがとう』でいいっつってるの」
というお声が聞こえてきたようですが。

しかり。そういう記事でした。でも3位の「カンファレンス」は医療や学術の業界用語のような気がしないでもないです。

堂々1位の「リスペクト」はどうでしょうか。この言葉、日本語に戻そうにも相応の日本語がない気がします。

「オレ、開発部の片山さんのことリスペクトしてるんだ」
と、いうふうに使うのでありましょうが、では「オレ」は片山さんを「尊敬」しているかというと、必ずしもそうとは言えない。

尊敬といったらエジソンやら福沢諭吉やらに抱くような全幅の敬服で、片山さんに対してはそこまでの崇拝はない。

一目置いている、というのが一番近いと思うんですが、その上から目線ではなく、対等の立ち位置から
敬意を示しているのが「リスペクト」、ではありますまいか。

そうやって考えると、カタカナ語を目の仇にするものでもない気がしてきます。

カッコイイと思うカタカナ語は何?
という、中高生向けのフォーラムを見つけました。

カオス、アポカリプス、サンクチュアリ、レーゾンテートル、アイデンティティー等々、なるほど中二病ここに極まれり。

エレジー、ラプソディー、スケルツォ等、音楽用語が多いのは、思春期は音楽に目覚め没頭する時期だからでありましょう。

「ドロップス」を挙げている人が複数いたんですが、これ、オバサン(ワタシです)には分かりかねます。

サクマ式ドロップスのどのへんがカッコイイの?

目を凝らし、ずらららーっと列挙されているカタカナ語を追っていて気づいたんですが、ワタシらがカッコイイと思いこみさんッざん口にした、
アンニュイ
が、入ってない。

「メランコリー」はでも何度となく挙がってるんですヨ。

当時は日本経済に青空が広がる時代だったからこそ
「アンニュイ・・」
などとお気楽に気取っていられたのが、バブル経済を越え低迷するばかりの世の中となったあかつきには、メランコリー(気鬱)は時代の空気となじみやすいものの、倦怠などただの「うんざり感」、なの、やも、しれません。

ネットカフェにこもって「アンニュイ・・」とつぶやくばかりの若者、とこう考えてみればわかりますが、オシャレどころかシャレにならない状況です。

では逆に、カタカナで言ってもいいのに日本語で言うほうがカッコイイ言葉って、どうでしょう。

シャンパン、なんかそれ。

「泡」
と、フェイスブックの投稿などではみなさん手慣れた感じにそう呼んでおられます。


P1000163.JPG
信号でパチリ。この秋は暖かでしたが、いよいよ寒くなって来ました。

前菜は、カボチャのポタージュ
主菜は、仔牛エスカロップ(薄切りステーキ)のクリームソース、ニンニク風味じゃがいもピューレ、いんげん塩茹で

立ち呑み日記・テロと水漏れ [困った!]

テロとシリア空爆で戦々恐々としているご時世というのにまことにもってあれなんですけど・・

「国家緊急事態」が宣言された日、息をつめてニュースにかじりついていたまさにその時のこと、台所で水漏れが、したんですよねえ・・

実をいいますと3.11もそうでした。こうなると偶然では片付けられますまい。世に大惨事が起こるとなぜッ、うちの水まわりに余波が及ぶのか。

「なんじゃこりゃあ」
と、日本語に直すとこう、ジーパン刑事もかくやという声をフランス人のオットがあげたので、何ごとと見れば足元に広大な水たまりです。

階下にしたたれば保険屋さんを巻き込んでの大問題ですから、手じかの布巾を総動員させて応急処置。

諸悪の根源はたいてい、排水管の流れがよくないところへ食器洗い機が一気に排水したときに管の継ぎ目からあふれ出るせいなんですが、今回は別の理由によることが、いつも来てくれる配管工さんによって明らかになりました。

配管工さんはシンクにジャーと水を流して耳をすませ、配管工さんいうところの「水道管のゲップ」がグルッグルッグルッと小気味よく聞こえたところで、
「元凶は食器洗い機本体だね」

あーついに来たかと諦観しましたね。

今いちど食器洗い機のスイッチを入れると案の定、排水の段階になったら扉の下方から水がジュワー・・

扉内側のゴムがダメになった。

何年前だったか、まったく同様の水漏れでメーカーに紹介された修理屋さんに来てもらったことがあるんです。

「次に同じことが起きたら買い替えですよ」
と、そのとき宣告されました。

昨今の電化製品の寿命は5年、もって7年、と、このとき修理屋さん。
「うちはドイツメーカーだから品質万全だけど寿命は寿命だからね」

修理屋さんによると、購入時にメーカー保証の2年間が過ぎてからの有料の保険をすすめられるだろうが、
「これが良し悪しなんだな」

人差し指のピストルをこめかみにあてて
「ロシアンルーレットみたいなもの」
とさえおっしゃいます。

扉内側のゴムがイカれてくるのがだいたい4年めからで食器洗い機の不具合の多くはこれ、にもかわらず、これは故障でなく「摩耗」なので保険の対象にはならない、ゆえに掛け損の印象のみ残るそうな。

(よかったー保険かけとかなくて)
と、胸をなでおろしつつ安くない修理代を支払いました。

うちの食器洗い機は世紀をまたいだ16年選手、別れとはさみしいなあ・・と、感慨にふけっていてはいつまでたっても日に三度お皿の手洗いをしないとならない。

おっとりがたなで量販店へ繰り出します。

簡単に見つくろえると思ったら、うちのはビルトイン式なので、扉の化粧板をどうするかであたふたしちゃいました。

量販店では化粧板なしの姿でしか買えないとのこと。

「アーラ、ねじまわしで自分でつけ替えればいいのヨ」
と、年季の入った女性店員さんが扉のどこにネジがあるのか細かくおしえてくれたので、なんとかなりそうです。

ただ、この女性店員さんには大変申し訳ないんですが、あとで調べてみたら別の量販店に種類が多いことがわかり、浮気してそちらで買うことにしました。


P1000160.JPG
 明日はここにマルシェがたちます。暗くてなんだか真夜中みたいですけど夕方6時。日が短くなりました。

前菜は、トマトとオイルサーディンのサラダ
主菜は、焼いたメルゲーズ(羊肉のピリ辛生ソーセージ)を添えたなんちゃってクスクス



立ち呑み日記・いつもと違う [おでかけ]

ワルガキ二匹の日本語塾を待つ間、いつものカフェテリアに席を見つけて、やれやれ。さきほどひとしきり強い雨が降ったからか、いつもより混んでいます。

あいもからわぬ風景、あちらの卓でもこちらの卓でも語学の交換授業をしています。韓国人とフランス人のグループが目立ちます。

惨劇から一週間がたちました。

その間、パリ近郊では犯人グループをねらっての銃撃戦があり、フランスはシリアに空爆し、隣国ベルギーのブリュッセルでは一味の巣窟があるというので厳戒態勢が敷かれ、フランスとも関係が深いアフリカのマリでもまたテロがあり、もうなにがなんだか。

「それでも、これまで通りに生活していこう」
と、人々はみな思いを新たにしているのではないでしようか。

ワタシもまたいつも通り、パソコンの前から離れない二匹のお尻叩いて日本語塾のあるオペラ座界隈まで来たんですが、いつもと異なり地下鉄は避け、バスにしました。

万が一地下鉄で化学兵器でも撒かれたら逃げ場がないのでは、という懸念からです。

「それが浅はかだっていうのヨ」
と、午前中に買い物に行った肉屋でくさされましたが。

肉屋のご主人いわく、パリの地下鉄くらい安全な乗り物はない、とのこと。
「そりゃマ、コソ泥は多いけどサ、ただあいつら人は殺さない」

東京の地下鉄サリン事件はいたましいことでしたが、このときパリの地下鉄は大いに勉強し、かりに毒ガスがまかれるような事態となっても万全の換気で悪い空気が停滞しないよな設備になっているのだそうな(ホントかいな)。

「それよりバスのほうがうっとうしいってよ」
と、ご主人。

不安のはびこっているところへ便乗して近郊のチンピラがのさばり、バスに乗り込んでは
「オレさまは爆弾を身体に巻いているんだゾ!」
と、面白半分でひと騒動起こして乗客を騒然とさせたり、する。

(乗り合わせないといいなあ)
と、心曇りながら、二匹をせかしてバスに乗りこんだんですが、幸い何の問題も起きず、オペラ座界隈に着きました。

ただし、ちゃんと降車ボタン押したしバスも停留所で停まったにもかかわらずドアが開かず、次のバス停まで乗って行くハメになりました。

「運転手さんったら開けるの忘れたみたいね」
と、ドアの真ん前にかじりついていながら降りそびれた熟年世代のご夫婦が慈悲深い声をお出しになる。

こういうときはふつう、ドアの最前にいた人が
「ドア! ドア!!」
と、運転席のほうへギスギスした声で叫び、それを合図に周囲の人もギスギス加担するんですが、ご夫婦は静かに棒につかまったまま。

この棒についているボタンが光ったところを押して初めてドアが開くので、ドアの真ん前に立ちはだかっている人は降りる人全員の全権大使みたいなものです。

ご夫婦は、雨で窓が曇っていて今停まっているのが信号なのか停留所なのかハッキリしなかった、とのこと。背後のワタシとて同じでした。

「降車ボタン押したのになぜ停まらぬッ」
と、普段なら降りそびれた人は運転席でガミガミやるんですが、本日はギスギスもガミガミもなしで、なんだかみんな心優しい。

このあたり、いつもと全然違うパリです。


P1000154.JPG
歩きながらパチリ。この橋は「ボンヌフ」、映画「ボンヌフの恋人たち」のポンヌフです。そうそう、この映画を撮影していたとき、やはりこうやって歩いていたら橋のところで撮影隊とすれ違いました。大型バスからボロボロの衣服をまとった乞食がいっぱい降りてきて、仰天したワタシはすかさず遠巻きにしたんですが、この方々はエキストラで、小走りのワタシをおもしろそうに眺めておられました。もう二十年以上昔のことになりました。

前菜は、カボチャのポタージュ
主菜は、鶏ロースト、じゃがいもロースト、いんげん塩茹で、グリーンサラダ

立ち呑み日記・移動祝祭日 [困った!]

薄皮をはぐように、すこーしずつ日常に戻って来ています。

とはいっても、警察官や迷彩色の軍人が機関銃胸に抱えて警備しているのに出合うなかでの日常ですが。

今日たまたまノートルダム寺院前広場に来たら、鉄パイプの柵で迷路のごとく区切ったところで、重装備の警察官が、それはもう入念に手荷物検査したのち通してましたヨ。

パン屋も肉屋も魚屋もスーパーのレジも、あれだけしゅんとしていたところへ軽口が戻って来ました。

今、みんな笑いたいのだなあとしみじみ思いますね、と、いいますか、「笑うべき」と、みんなが奮起している感じ。

フェイスブックを開けると、フランス勢はほんの昨日までトリコロールにライトアップされたエッフェル塔やフランス国内はもとより世界各地で歌われる「ラ・マルセイエーズ」が続々現れて来たものですが、今日はハッキリ違いました。

youtubeからひいたショートコントやおバカ映像が躍っている。

コントも、宗教や政治をもとにしたヒネリのきいたものでなく、往年の喜劇映画の抜粋など安心して見られるものばかり。

友人の、お箸が転げても可笑しいおとしごろのイザベルなどは、ストッキングをかぶった半裸の男が電線音頭みたいなのを早回しで繰り返すだけの、おもしろいんだかそうでもないんだかの映像をシェアして、心境をコメント欄に綴ってました。

「これ見てmdrじゃない私って鬱?」

mdr(mort de rire)とは英語のlol(lots of laugh)に同じです。

「希望は微笑みを呼ぶが、時に微笑が希望を呼ぶ」
という言葉をシェアしている友人もいました。

ウン、ホント、笑うと心があったかくなるよナ。

「私はテラスにいます」
というスローガンのように(昨日の立ち呑み日記をご高覧ください)、今宵はカフェのテラスでボジョレーヌーヴォーをクイっといきながら笑っているでしょうか・・

・・と、こう書いたところで窓を開けてみたところ、うちの界隈は飲み屋が多いんですが、小雨がやんだところでまあまあの人出。

風に乗って笑い声も聞こえてきます。

「フランス人は古来からお祭り気質なんですッ、ヘミングウェイの『移動祝祭日』、アータがたご存知ない?」
と、テレビのインタビューでデヴィ夫人風に毅然とお話しになった70代のごくごく一般的なマダムのコメントがふるっていて、ほんの三日のあいだにフェイスブックで何万件とシェアされ、そのことがインターネットのニュースでもとり上げられたほどです。

アタクシたちフランス人は呑み、食べ、はしゃぎながら、何千万人のイスラム教徒の自由信仰を尊重してともにあるのであってああいう暴虐は断じてみとめないのよッ。

このマダムの一言が引き金となり、目下、『移動祝祭日』が本屋に品切れ状態なんだそうな。

『移動祝祭日』は、1920年代初頭にパリで過ごしたヘミングウェイの青春譚です。酒場でたっぷりのみ、街角のカフェで憩い、ある時は仲間たちと自動車で田園へドライブへと、まばゆいパリの日常が描かれます。

この本、通常は年に8000部ほどしか売れないところ、今年は1万5000冊まで増刷が決まっているそうです。


P1000157.JPG
信号を待ちながらパチリ。

前菜は、トマトとさいの目エマンタールチーズのサラダ
主菜は、タラそぎ身フライ、ニンニク風味じゃがいもピューレ、いんげん塩茹で

立ち呑み日記・私はテラスで

沈鬱な週末が開けました。

フランスは誰もが打ちのめされ、何とか心を立て直そうともがいたことと思います。

「国家緊急事態」が宣言されて火急の用以外の外出は控え、安全確保のためデモおよび集会は禁止というお達しでしたが(現在も継続中)、いてもたってもいられずデモや集会のメッカの共和国広場に足を運ぶ市民が多くいました。

不安にあおられた群衆がパニック状態に陥って四方八方に走り始めた光景は、日本でも報道されたのではないでしょうか。

翌日曜日は、泣けてくるほど美しい青空。

常設マルシェに出てみると、いつもの日曜と同じようにふるまおうとしている人たちであふれてました。

カフェのテラス席には、陽を浴びながら食前酒を前にする人また人。

陽気な笑い声はどうあっても聞こえて来ませんが、そこかしこに静かな微笑みがあり、「楽しもう」としている気概が感じられます。

「Je suis en terrasse(私はテラス席にいます)」
というスローガンを、『ル・モンド』紙ウェーヴサイト版で見つけました。

「Je suis charlie(私がシャルリだ)」と同じ文法構文ながら、確固たる意志表示というより見るからにのーんびりしているさまが垣間見えておかしみを誘います。

金曜の夜は、いかにもフランス人らしく音楽に身をゆだね、宵のカフェのテラス席でおいしい飲み物と食べ物に舌鼓打ちつつ談笑をたのしんでいた普通の人々が、テロに斃(たお)れました。

テレビでマイクを向けられた、幸いにも銃弾をかわせた人によると、とっさのことでカフェのテラス席に座ったまま生ビールのグラス片手にカクンと首が垂れて動かなくなっている一人の女性の姿があった、とのことで、ワタシもまたこの目撃談に強い衝撃を受けました。

ひるんではいけない、
と、フランス人は自らを鼓舞しているんですね。

「Je suis en terrasse(私はテラス席にいます)」は、自分たちが熱愛する享楽とともにある日常に戻ることこそテロに屈しない姿勢で、同時に思考の硬直したテロリストたちに幸せの何たるかを見せつけ心の扉をノックしてやろう、というわけです。

フェイスブックではまた、若い男女三名がパリの屋根の上で全裸のお尻をこちらに向けてエッフェル塔に手を振っている挑発的な写真を掲げてイベントを呼びかけている方もいて、1万2000人もがエントリーしていました。

同日同時間におのおのが自宅の窓を開放し、あるいはカフェのテラス席で、手持ちの音楽のボリュームを上げ飲むこと食べることのたのしみを示威しよう、というイベントのようです。

いずれもバカフザケの体裁をとりながら、カラ元気をもとになんとか光を見出そうと心を尽くしているのは火を見るより明らか。

月曜から日常が始まり、正午に国をあげて一分間の黙とうがありました。

うちはワルガキ二匹がお昼を食べに学校からいったん戻って来るので、本日は特別にテレビニュースをつけたまま食卓に向かいます。

「黙とうに間に合わないからブロッコリー残すね」
と、ちゃっかり言い出す11歳のムスコ。

「だめです」

ムスコがブロッコリーを口に詰めこんでいると、窓の下の舗道に道行く人々が足を止め始めました。


P1000153.JPG
「テラスにいるとは暢気だね」とアハハと笑ううちにテラス席で動けなくなっているテロの被害者が想起されグッと心にささるスローガンです。

前菜は、トマトとさいの目チーズのサラダ
主菜は、仔羊腿肉ソテー、鶏出汁のクスクス、モロッコいんげん塩茹で

立ち呑み日記・言葉もなく

みなさま報道でご存知と思いますが、金曜日の13日の宵に、パリではとても深刻なテロがありました。

ワタシら家族はいつものように晩ごはんを食べ、翌日学校があるワルガキ二匹のお尻たたいてベッドへ追いやり、テーブルを片付けながら何の気なしにテレビをつけたら、エエエエエ?!

現場はうちからやや遠く、室内にいる限りではいつもの金曜日と何一つ変わりません。窓の外からは、週末の宵のこと、階下の若者向けバーのあいもからわぬさんざめきの声・・

・・とはいえ、やはりいつもと同じではなかったです。このバーはふだん明け方4時まで騒がしいんですが、日付けが変わる前に早々と店じまい。

ちょうど、テレビを通じてオランド大統領が、
「火急の用以外外出を控えてください」
と、呼びかけたところでした。

パソコン画面とテレビの実況中継に釘付けになっていたら、さっき寝たはずの13歳のムスメが半べそで起きて来ました。

情報通の友だちから来たメールの着信音で目をさまし、そこからは右に左に情報交換をせわしなく行っていたもよう。

「セシルちゃんの友だちの伯母さんの知り合いの親戚があのへんに住んでるらしいの」

こちらもフェイスブックで、一市民が撮影した、銃声とともに劇場の裏口から命からがら逃げ出す人々の姿を見たところなので、グッと言葉に詰まります。

「明日、学校は臨時休校なんだ」
と、ムスメは目尻の涙をぬぐいながらもなんだかうれしげ。

「いいからもう寝なさいッ」

一夜明けた土曜日は、いつもの土曜日とうってかわり、水をうったようにシーンとしてました。「国家緊急態勢」が宣告され、学校、図書館、プールなど公的機関はすべて閉鎖。

土曜日はうちの界隈にマルシェが立つ日なんですが、これも閉鎖です。

ルーヴル美術館などすべての観光スポット、大手映画館、デパート、ディズニーランド・パリも営業をとりやめました。

ワタシは歯磨きの時間さえ惜しんで再び画面に釘付けでしたが、家族で食べるパンが足りないことに気づき、戒厳令下おそるおそる買いに出ることにしました。

ちらりほらりと人が歩いています。路線バスも普通に運行していました。

肉屋も、パン屋もいつも通り営業。ただし、活気まるでなし。

「ひどいことだったね」
と、1月のシャルリー・エップドー編集部を狙ったテロの時はこういう店で誰彼となく声を詰まらせ会話があったものですが、もはや言葉もない感じです。

ワタシもまたなじみの店員さんと最低限の挨拶を交わしただけで家路を急ぎました。

80人からが犠牲になったバタクラン劇場の前に、今朝、ひとりの若いミュージシャンがグランドピアノを運んでやってきて、ジョン・レノン「イマジン」を弾いて言葉もなく去って行っていった、と、このあとテレビやインターネットでその映像を何度も見ました。

この音楽が、心に沁みましたね。

今回のテロはフランス参戦への報復ですが、日本でも安保法に続いてこのままいったら同様の惨劇が起きて不思議でないこと、力に対して力では解決にならないこと、日本のみなさま、ぜひともお心にお留め置きくださいませ。


P1000149.JPG
 窓からパチリ。こうやって見てもよくわからないんですが、土曜の夜なのに閑散としています。

前菜は、トマトとさいの目エマンタールチーズのサラダ
主菜は、鶏丸焼き、じゃがいもロースト、マカロニとベシャメルソース(昨日の残り)、いんげん塩茹で、グリーンサラダ


立ち呑み日記・むずかしい翻訳 [追究]

翻訳がむずかしい外国語、という記事をニュースサイトで見つけ、ヘーエとおもしろく読みました。

たとえば、ノルウェー語のutepilsという単語。

「ビールを飲みながら日光浴する」
と、これだけのことをたった一語で表してる。

どうです、夏が短い北欧のシヤワセな時間が凝縮されているのに唸(うな)らされるではないですか。

そのお隣りのスウェーデン語には、gökotta。

「鳥の声を聞くために早起きすること」
だそう。

なるほど森の国なのだなあ・・

ラジオ体操をするために早起きすること、を、意味する日本語の単語がないのが惜しまれますね。

中欧のユダヤ人が口語に使っていたイディッシュ語からは「シュリマズル」が紹介されていました。

「シュリマズル」は運が常にない人のことで、
「そんな名詞がなぜあえて必要なのだろう」
と、記事の書き手は首をかしげておられるようでした。

うちはオトーサン(ワタシのオットです)がユダヤ系なので、この言葉はワタシも以前から耳にしたことがあります。

「シュリマズル」は、「シュレミエル(善良なる間抜け)」という言葉と組になって初めて、その存在意義がわかるようになっているんです。

すなわち、
「シュレミエル」が、たとえばたっぷりジャムをぬったパンを口に運ぼうとした矢先に相も変わらずズッコケて、手から離れちゃう。
で、そのジャムつきパンがまたしてもという感じに服にべっとり落っこちて来ちゃうのが、「シュリマズル」。

往年のマルクス三兄弟の映画にでもありそうです・・

・・と今こう書いていたら、
「イタリア語ってすごいんだよ」
と、1980年代後半のパリの語学学校時代、クラスメイトそろって誰かの下宿に集まった学生パーティーで、フランス文学研究者のたまごの日本人青年が安ワインに酔っ払ったところで、感に堪えないように言っていたのを不意に思い出しました。

クラスメイトにはイタリア人青年もいたんですが、男子連が呑んで顔寄せ合うとなれば、マ、国籍関係なくワイ談が始まるわけですナ。

「『女性のオッパイの間でオチンチンをこする』、イタリア語にはこれをたった一語で端的に表す動詞があるというんだ」

パイずり、と、今では日本語にも単刀直入な単語があるようですが、この言葉はわれわれの学生時代から10年を経た1998年ころから使われるようになったもよう。

フランス語で何かないかなあ・・
と、考えてみると、在フランス日本人の間で日本語に置き換えられない単語って、やっぱりありますね。

エキバランス、という名詞などがそれ。

「日本の高卒とフランスのバカロレアにはエキバランスがある」
「日本の医師免許とフランスのそれにはエキバランスがない」
と、いうふうに、学校や免状関連の会話にしょっちゅう出て来る単語です。

同等価値、と、仏和辞書には書いてあるものの、話し言葉としては使いづらいです。

日本語から翻訳できない言葉、というのもありそうです。

ただ、昨今喧伝されている
「『もったいない』は日本唯一の言葉」、
というのは、ホントなんでしょうかネ。

dommade(ドマージュ)、
と、フランス語にはピッタリ置き換えられる言葉が、ちゃんとありますヨ。


P1000130.JPG
通りがかりにパチリ。ノートルダム寺院の背後です。

前菜は、トマトと千切りニンジンのサラダ
主菜は、牛挽き肉ステーキ、チキンなしのチキンライス、いんげん塩茹で

立ち呑み日記・コシのあるなし [ランチ]

焼きそばの麺を茹でるのにお湯を沸かしながら、つらつら考えた。

人類はなぜ、コシのある麺とそうでない麺とに好みが分かれるのか。

「麺はコシが命でしょうが」
と、ワタシなど思わないでもないですが。

「なん言いよーと(なにをおっしゃる)」
と、反論なさるのは福岡の方々です。
「麺はやわらかいもんにきまっちるじゃなか」

博多うどんといったらふわっふわのやわらか~なものなんだそうです。

「そうやに」
と、それに絶大な賛同をお示しになるのが、三重県の方々。

伊勢うどんもまた、箸で持ち上げるだけで切れそうなほどやわらかと聞き及びます。

「ほっこげな、じょんならん(あほみたいな、手に追えん)」
と、肩をそびやかすのが讃岐の人々。

これに反論するのはなかなかむずかしいです。讃岐うどんといったら、今や駅ビルなどどのフードコートにも必ず入っているほど盛況ですからね。

コシは無いがかたい、という麺も、またあるのだそうです。

岡山うどんがそれで、かたいので慌てて食べるとブツブツ切れるが、ゆっくり味わうと出汁となじんで「たんわりした」風味がたのしめるのだそうな。

どうです、日本国内でさえこんなに違う。

おのおの、他の地方の麺を「麺」とみとめるのは
「断じて許せぬッ」
とは、まあ、態度を硬化させなくても(表面的には)、
「アチラはアチラとしてウチらはウチらで」
と、好みは曲げないことでありましょう。

でもなぜそうなっちゃったんだか。

先ほどコシに一票入れさせていただきましたワタシはといえば関東圏出身ですが、生まれながらの「コシ派」だったわけではないように思います。

子どもの頃は、オカーサンがゆがいた乾めんにしても、コシは関係なかった。

たまさかに出前をとってもらえると、これなどのび加減が当たり前です。

時に家族で食事に出かける洋食屋さんのナポリタンしかり。茹であがりの麺をさらに炒めるわけですからね。

大学時代、学食の麺類にコシなどのぞむほうがどうかしてる。ですが、まさにこのころですね、コシに目覚めたのは。

街のそこかしこにスパゲッティー専門店が隆盛して、「アルデンテ」という茹で方が広まった。

そのころ関東圏では讃岐うどんのさの字も知られてませんでしたが、このとき「アルデンテ」が定着したからこそ、後に首都圏進出が果たせた、の、では、ないでしようか。

「アルデンテ」、イタリアの隣国だというのにフランスではまるで好まれないんですヨ。フランスはソフトめんのごとく、卵を練りこんでふにゃらーっとさせた麺が一般的。隣国なのになぜこうも好みが分かれてしまったのか。

日本の隣国の中国もまた、麺はやわらかいものみたいです。

パリのラーメン屋さんでかいま見ると、のびないよう私語はつつしみ一気呵成(かせい)とすすっているのは日本人、のびることおかまいなしにのーんびりおしゃべりしながら時に箸さえ置いてゆーっくり食べているのが中国人です。

さて、ただ今より茹でるのは中国仕様の生麺。

ワタシはコシが欲しいので、沸騰した鍋に重曹をざざっとこぼして茹がき始めました(こうするとかんすいの代わりになって麺がしまるんですヨ)。


P1000142.JPG
夕暮れの17時20分ごろ、ノートルダム寺院背後の公園にて。これからものの3分もしないうちにとっぷり暮れました。

前菜は、トマトサラダ、大根の葉のナムル
主菜は、的矢鯛の塩焼き、トマトソースマカロニ、いんげん塩茹で


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。