立ち呑み日記・私はテラスで

沈鬱な週末が開けました。

フランスは誰もが打ちのめされ、何とか心を立て直そうともがいたことと思います。

「国家緊急事態」が宣言されて火急の用以外の外出は控え、安全確保のためデモおよび集会は禁止というお達しでしたが(現在も継続中)、いてもたってもいられずデモや集会のメッカの共和国広場に足を運ぶ市民が多くいました。

不安にあおられた群衆がパニック状態に陥って四方八方に走り始めた光景は、日本でも報道されたのではないでしょうか。

翌日曜日は、泣けてくるほど美しい青空。

常設マルシェに出てみると、いつもの日曜と同じようにふるまおうとしている人たちであふれてました。

カフェのテラス席には、陽を浴びながら食前酒を前にする人また人。

陽気な笑い声はどうあっても聞こえて来ませんが、そこかしこに静かな微笑みがあり、「楽しもう」としている気概が感じられます。

「Je suis en terrasse(私はテラス席にいます)」
というスローガンを、『ル・モンド』紙ウェーヴサイト版で見つけました。

「Je suis charlie(私がシャルリだ)」と同じ文法構文ながら、確固たる意志表示というより見るからにのーんびりしているさまが垣間見えておかしみを誘います。

金曜の夜は、いかにもフランス人らしく音楽に身をゆだね、宵のカフェのテラス席でおいしい飲み物と食べ物に舌鼓打ちつつ談笑をたのしんでいた普通の人々が、テロに斃(たお)れました。

テレビでマイクを向けられた、幸いにも銃弾をかわせた人によると、とっさのことでカフェのテラス席に座ったまま生ビールのグラス片手にカクンと首が垂れて動かなくなっている一人の女性の姿があった、とのことで、ワタシもまたこの目撃談に強い衝撃を受けました。

ひるんではいけない、
と、フランス人は自らを鼓舞しているんですね。

「Je suis en terrasse(私はテラス席にいます)」は、自分たちが熱愛する享楽とともにある日常に戻ることこそテロに屈しない姿勢で、同時に思考の硬直したテロリストたちに幸せの何たるかを見せつけ心の扉をノックしてやろう、というわけです。

フェイスブックではまた、若い男女三名がパリの屋根の上で全裸のお尻をこちらに向けてエッフェル塔に手を振っている挑発的な写真を掲げてイベントを呼びかけている方もいて、1万2000人もがエントリーしていました。

同日同時間におのおのが自宅の窓を開放し、あるいはカフェのテラス席で、手持ちの音楽のボリュームを上げ飲むこと食べることのたのしみを示威しよう、というイベントのようです。

いずれもバカフザケの体裁をとりながら、カラ元気をもとになんとか光を見出そうと心を尽くしているのは火を見るより明らか。

月曜から日常が始まり、正午に国をあげて一分間の黙とうがありました。

うちはワルガキ二匹がお昼を食べに学校からいったん戻って来るので、本日は特別にテレビニュースをつけたまま食卓に向かいます。

「黙とうに間に合わないからブロッコリー残すね」
と、ちゃっかり言い出す11歳のムスコ。

「だめです」

ムスコがブロッコリーを口に詰めこんでいると、窓の下の舗道に道行く人々が足を止め始めました。


P1000153.JPG
「テラスにいるとは暢気だね」とアハハと笑ううちにテラス席で動けなくなっているテロの被害者が想起されグッと心にささるスローガンです。

前菜は、トマトとさいの目チーズのサラダ
主菜は、仔羊腿肉ソテー、鶏出汁のクスクス、モロッコいんげん塩茹で
nice!(4)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 4

コメント 2

式守錦太夫

ステキな表現だなって思いました。
テロに屈しないことを紋切型で叫ぶのではなく、
まったくの日常だよ!って言えるのが粋なのでしょうか。
日本だったら、なんて言おうか、少し考えてみます。
by 式守錦太夫 (2015-11-23 22:03) 

ぐちぐち

日本ではまずテロが起きないようにしないと! と、心から思います。
by ぐちぐち (2015-11-24 07:47) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。