立ち呑み日記・言葉もなく

みなさま報道でご存知と思いますが、金曜日の13日の宵に、パリではとても深刻なテロがありました。

ワタシら家族はいつものように晩ごはんを食べ、翌日学校があるワルガキ二匹のお尻たたいてベッドへ追いやり、テーブルを片付けながら何の気なしにテレビをつけたら、エエエエエ?!

現場はうちからやや遠く、室内にいる限りではいつもの金曜日と何一つ変わりません。窓の外からは、週末の宵のこと、階下の若者向けバーのあいもからわぬさんざめきの声・・

・・とはいえ、やはりいつもと同じではなかったです。このバーはふだん明け方4時まで騒がしいんですが、日付けが変わる前に早々と店じまい。

ちょうど、テレビを通じてオランド大統領が、
「火急の用以外外出を控えてください」
と、呼びかけたところでした。

パソコン画面とテレビの実況中継に釘付けになっていたら、さっき寝たはずの13歳のムスメが半べそで起きて来ました。

情報通の友だちから来たメールの着信音で目をさまし、そこからは右に左に情報交換をせわしなく行っていたもよう。

「セシルちゃんの友だちの伯母さんの知り合いの親戚があのへんに住んでるらしいの」

こちらもフェイスブックで、一市民が撮影した、銃声とともに劇場の裏口から命からがら逃げ出す人々の姿を見たところなので、グッと言葉に詰まります。

「明日、学校は臨時休校なんだ」
と、ムスメは目尻の涙をぬぐいながらもなんだかうれしげ。

「いいからもう寝なさいッ」

一夜明けた土曜日は、いつもの土曜日とうってかわり、水をうったようにシーンとしてました。「国家緊急態勢」が宣告され、学校、図書館、プールなど公的機関はすべて閉鎖。

土曜日はうちの界隈にマルシェが立つ日なんですが、これも閉鎖です。

ルーヴル美術館などすべての観光スポット、大手映画館、デパート、ディズニーランド・パリも営業をとりやめました。

ワタシは歯磨きの時間さえ惜しんで再び画面に釘付けでしたが、家族で食べるパンが足りないことに気づき、戒厳令下おそるおそる買いに出ることにしました。

ちらりほらりと人が歩いています。路線バスも普通に運行していました。

肉屋も、パン屋もいつも通り営業。ただし、活気まるでなし。

「ひどいことだったね」
と、1月のシャルリー・エップドー編集部を狙ったテロの時はこういう店で誰彼となく声を詰まらせ会話があったものですが、もはや言葉もない感じです。

ワタシもまたなじみの店員さんと最低限の挨拶を交わしただけで家路を急ぎました。

80人からが犠牲になったバタクラン劇場の前に、今朝、ひとりの若いミュージシャンがグランドピアノを運んでやってきて、ジョン・レノン「イマジン」を弾いて言葉もなく去って行っていった、と、このあとテレビやインターネットでその映像を何度も見ました。

この音楽が、心に沁みましたね。

今回のテロはフランス参戦への報復ですが、日本でも安保法に続いてこのままいったら同様の惨劇が起きて不思議でないこと、力に対して力では解決にならないこと、日本のみなさま、ぜひともお心にお留め置きくださいませ。


P1000149.JPG
 窓からパチリ。こうやって見てもよくわからないんですが、土曜の夜なのに閑散としています。

前菜は、トマトとさいの目エマンタールチーズのサラダ
主菜は、鶏丸焼き、じゃがいもロースト、マカロニとベシャメルソース(昨日の残り)、いんげん塩茹で、グリーンサラダ


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