立ち呑み日記・バラが咲いた [追究]

通りがかりの小公園に、あらまあバラが咲いている。

♪バァラが咲いたバァラが咲いた・・
と、するとすぐさま頭の中で口ずさむんですね。

♪さぁびしかったぼぉくのにぃわに・・

毎ッ年毎ッ年、初バラを見るとこうです。なぜにこの歌がこんなにも脳内に刷り込まれたんだか、われながら驚くほど。

薔薇の歌といったらほかにもろいろありそうなのに。

♪バラよ、バラよ・・
と、ワタシら世代ならアニメ「ベルサイユのばら」の主題歌を思い出したってよさそうなものですが。しかしこちらのほうは、このサビしか思い出せない。

宝塚版ベルばらにも「白ばらのひと」という劇中歌がありましたが、エートどんな歌詞だったっけ・・

JJS(ジャニーズ・ジュニア・スペシャル)という、今日のジャニーズ大隆盛からはおよそ信じられないほどいまひとつぱっとしなかったアイドルグループも「ベルサイユのばら」という歌を歌いましたが、こちらも曲の詳細は記憶の闇に閉ざされています。

それが、マイク真木のほうはちゃあんと歌えるわけです。

この歌が大ヒットしたのは1966年、ワタシなどまだ乳幼児でした。それでも、あっちからもこっちからも聞こえてきていた記憶があります。

歌えるようになったのは、小学校高学年。遠足の歌のしおりなどに掲載されていて、バスに揺られながら合唱しました。

(古くさい歌だなあ)
と、実のところうんざりしていたもンです。

学校で習うヒット曲って大昔のばっかりなんですよネ。なぜ、先生は今の今流行っている曲を歌わせてくれないんだか。

「バラが咲いた」が紅白歌合戦に出場した当時はおそらく、
「流行歌とはけしからぬ」
とばかり、この歌を学校で歌うことかなわずだったことでありましょう。

それが何年かすると、先生のほうから率先して
「歌いましょう」となる。

♪おもちがつけた、おもちがつけた・・
と、ワタシなどおもちつきの行事で替え歌まで歌わされました。

流行歌は何年もたってから学校で習うことになるなら、
「今、フィンガー5を歌えばいいのに」
と、朝礼で「バラが咲いた」の前奏が足踏みオルガンでぷかぷか始まると、(♪リンリンリリン・・)と、やや反抗的に心の中で口ずさんだり、したものでした。

これは、時代のみならず国も変わったうちのワルガキたちも同じこと言います。

「古生代(1960年代)の歌でなくストロマエとか歌わせてほしい」
と、二匹。ストロマエはフランス当代人気随一のアーチストです。

フランスは、日本にあるような児童合唱用に製作された合唱曲が、ほとんどないんですヨ。たとえば、「手のひらを太陽に」とか「さあ太陽を呼んで来い」などみたいな、最初から児童のため作られた歌が、ない(初夏のことで太陽ばっかり例に出ちゃいました)。

かわりに評価の安定した昔の流行歌があてられることになります。

別の見かたをすれば、発表会はコンサートとして大人が聞いてもふつうに楽しめる、と、いうことにはなるんですが。

「バラが咲いた」って、考えてみればヒットからまもなく50年。もはや堂々たる古典です。


写真はすみませんぬ。本日はしっぱいしました。

前菜は、トマトサラダ
主菜は、メルゲーズ(グリルした羊肉ピリ辛生ソーセージ)を添えたチキンベースのクスクス、グリーンサラダ

立ち呑み日記・シマアジ [追究]

シマアジ
なる言葉を、晩ごはんで鯖(さば)の塩焼きをもくもくと食べていたら、記憶の闇をぬって不意に思い出しました。

家族で食卓を囲んでいるのに「もくもく」というのはホラ、焼き魚を食べる時って箸で身を剥がしたり、口の中に入った小骨をよけたり、細かい作業がありますよネ。

焼き魚に限って個に没入する瞬間があるものです。だからこそそうならないように宮中晩餐会では焼き魚の骨は最初から全部抜いてあると聞きます。

さて、シマアジとは何であるか。

目の前に鯖(さば)があるから鯵(あじ)とこう貧弱なる連想力で浮上してきたわけですが、シマアジは確か鳥であった。

大学のホコリくさい教室の、落書きだらけの長机の手触りまでばあっと思い出しました。

シマアジなる鳥って
「なんなの?」
と、わからなかったんです。わからないまま、このトシまで来てしまった。

ワタシはフランス文学科の学生で、「講読Ⅰ」だか「演習Ⅱ」だかに、詩があったんですね。

19世紀フランス文学の詩がご専門で、「アイサンカナ」と、ワタシら女子大生が陰で密かに呼んでいた教授の授業。

この先生は講義で詩の訳にノッてくると朗々と節をつけてお謳い上げになるんです。それがワタシらにはややくすぐったかった。あのころはほれ、軽・薄・短・小の時代でしたからね。

ある時、マ、直訳すれば
「愛しましょう、愛しましょう」
となる箇所なんですが、市村正親や仲代達也もかくやという熱のこもった声をお張り上げになり、
「愛さん哉(かな)愛さん哉(かな)!」
と、なさった。

名訳、と、今なら心から思いまするぞ。「愛しましょう愛しましょう」じゃ、作者の心が伝わらないことはなはだしいですからね。

が、当時はそういう熱心さ真剣さを鼻先で軽く嗤(わら)いとばすのがカッコイイと思い込んでいたんです。

まさに、その先生の授業でした。授業中に、予習して来なかったところで仏和辞典を引くと「シマアジ(鳥)」と出ていた。

ヒバリよ、ムクドリよ、シマアジよ・・というように三羽の鳥の名が並び、自然の美しさを描写しつつ、まばゆい光景をともに見つめた貴女はわが横にいない・・と、いうような悲恋の詩だったと思います。

この詩が期末試験に出るのは歴然で丸暗記したんですが、「シマアジ」なる和語だけが、どうっしても頭に入らない。ワタシのみならず、劣等生仲間のケイコちゃんもジュンコちゃんもそうだと言ってました。

なぜというに、「シマアジ」がどんな鳥なんだかまるで想像がつかない。

だったら図書館に行って鳥類図鑑を引けばいいだけのハナシなんですが、その手間をおしんでお茶した。

おバカ女子大生ここに極まれり。

そして30年。今では図書館まで足を運ばなくてもインターネットで検索すればたちまちにわかります。

「シマアジ」は、カモの仲間の水鳥でした。

アジ(味)とつくのは味がよく日本で古来から食用にされてきたからだそうで、失恋の詩に食欲をそそる鴨のオレンジソースというのも違和感ありそうですが、なにしろ美食の国フランス、むしろうってつけではないでしょうか。


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朝の光景。ごめんなさい。ブレブレです。

前菜は、ニンジン千切りサラダ
主菜は、牛(フォー・フィレ)ステーキ、じゃがいもピューレのグラチネ、カリフラワーの煮びたし

立ち呑み日記・穴 [追究]

朝ごはんのとき、12歳のムスメにエマンタールチーズの穴ボッコリボッコリのところがあたりました。

エマンタールチーズって、ホラよく漫画のネズミが齧(かじ)っているあれです。本来は両腕で抱えるほどの円形ですが、スーパーの冷蔵棚に選ぶ段では袋入りで小学生の筆箱ぐらいの長方形に切ってあり、穴をよーく検分してカゴにとることになります。

エマンタールは穴があいているほど熟成が進んでオイシイことになっているので、食べる時も穴のところにあたるとなんだかちょっとうれしいんですね。

(別にィ)
という感じに唇のはしを歪めたなりの無愛想きわまりない反抗期のムスメが、手にした穴ボッコリを10歳のオトウトの鼻先へわざとぐるっとやってから口へ運びました・・

・・こういうたびに、いッつも思うんですヨ。穴が大きければ大きいほどおいしいのなら究極のエマンタールチーズとなると穴のみ、すなわち実体のないものになるンじゃないの?

ドーナツは穴のところがいちばんうまい、なんて言ったりするではないですか。

穴というのはなんでこう魅力を秘めているんだか。トローチだって、穴があいているからこそトローチの「感じ」がでるわけです。

トローチの穴はしかしだてに空いているわけでなく、万が一呑みこんで喉につまったときの気道確保のためなんだそうです。

穴といえば落とし穴を、子どものころ空き地なんかに掘りませんでした?

大人が落っこっちゃうぐらい深いの掘ってやろう・・と、小さなシャベルでかんばるんですが、当然ながらそこまで達するわけもなく、せいぜいちょっとしたくぼみになりかけたころにはもう飽きて、
「缶ケリやろう」
と、たちまちに方向転換したもンでした。

が、掘っている間のワクワク感といったら。

少し前に、砂浜で友人をびっくりさせようと大きすぎる落とし穴を掘り、びっくりどころか人が亡くなる悲劇的事故が、ありましたよね。

あれなど行き過ぎもいいところですが、「穴」の持つ魔性ここに極まれり、という証(あか)しである気がしないでもないです。

アリスだって、白ウサギを追いかけて穴に落っこちていくんです。穴の奥には不思議世界が広がっていた。

ウィキペディアを引いて知りましたが、「穴」という題名の映画が古今に6作も製作されているんです。小説は3作。なかでも小山田浩子『穴』は2014年の芥川賞受賞作です。

映画監督も作家も、穴の魅力に引き込まれているんですね。

「山のあなあなあな・・」という三遊亭円歌の新作落語が、その昔大人気を博しましたが、これなんかもやはり「穴」のおかげではないでしょうかネ。

カール・ブッセの詩「山のあなたの・・」がどもってそうなる、というシーンですが、これが宮沢賢治の「雨ニモマケズ」で
「雨ニモニモニモニモ・・」
だったら、嵐ファンはまあいいとしても「あな」ほどの笑いはとれないことでしょう。

「アナと雪の女王」だって、その名あってこそあれだけの人気となったわけです(ンなわけはないナ)。


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オオここにも咲いた咲いた・・

前菜は、トマトサラダ
主菜は、タラそぎ身ムニエル、いんげん塩茹で、じゃがいもグリル、グリーンサラダ




立ち呑み日記・弁慶 [追究]

昨日、友人と話していたらパリにある高級和食店「弁慶」の名が出てきて、そういえばと思ったんですが・・

「弁慶」って、そういえば最近聞かないナ。

レストランではなくて、歴史上の人物のほうです。

「タッキーの義経の時出てたじゃないの、ホラ松平健」
と、いうお声が上がったようですが。

然(しか)り。2005年のNHK大河ドラマが「義経」で、武蔵坊弁慶は松平健が演じました。しかしそれだってもう十年も前。

われわれが子どものころは、「弁慶」「牛若丸」の名をもっとひんぱんに見たり聞いたりしていたように思います。

まずは絵本で見ました。

♪京の五条の橋の上~・・・
と、絵本を読んでもらうと、ことに同居のとしよりがきまって歌い出した。

としよりは、年端の行かない牛若丸の敏捷さを、負けを認めて子どもに頭を下げる弁慶の潔さを、ほめそやした。

「・・・エートどういういきさつでそうなったんだっけ?」
という方がおられるようなので(ワタシがそうでした)調べたところを説明いたしますと、ならずものだった弁慶は帯刀者と見るとその刀を強奪することに血道をあげ、あと一本で千本というところで、由緒ありげな刀をさしたいたいけな少年(牛若丸)と京の五条の橋の上ですれ違うんですね。

「よこせ」
と、横暴をはたらくものの、少年はひょいひょい欄干の上を身軽にとびまわり、隙をついて弁慶を打ち負かします。

で、
♪鬼の弁慶あやまった~

(牛若丸かっこいいなあ・・)
と、思ったかというとさにあらず、判官びいきの道行きを、忠義を、劇的な立ち往生を、熱っぽく語るとしよりとは温度差があったように思います。

弁慶も牛若丸も、それほどにはわれわれ子どもの心をつかみませんでした(と思う)。

「ウルトラマン」や「仮面ライダー」などとは比較にもならない。「八犬伝」や「真田十勇士」の足元にも及ばない。

でもどういう人物なのかわきまえていたのはやはり、としよりの語りあってこそでありましょう。

戦前の、ワタシら世代の親世代が子どもだったころは、「弁慶」といったらヒーロー中の大ヒーローだったのではありますまいか。「弁慶の泣き所」とか「内弁慶・外弁慶」などの表現があるように、弁慶はうんと身近だった。

1970年代にオープンしたパリの高級和食店「弁慶」も、考えてみればこの世代が命名しているわけです。

そしてわれわれも親となりましたが、「弁慶と牛若丸」が出て来る絵本を、ワタシなど子どもに読み聞かせた記憶がありませぬ。

また、読み聞かせたとて、「だから?」と、首をかしげられてハイ終わりなのは火を見るより明らか。

大の大人の弁慶が子どもの牛若丸に頭を下げるのが戦前の子どもには「してやったり」と、気持ちがせいせいしたことでしょうが、われわれのころですらもう「弱い者いじめした結果の成敗」にしか思えませんでした。

こういう、歴史上の人物の栄枯盛衰って、けっこうありそうですネ。

「油井正雪みたい」
と、ワタシらが子どものころは長髪の男性のことを言ったものですが、この人なども、せっかくロン毛が流行ったのにその名を聞かないままになって久しいです。


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夕方6時。今日は春めきました。テラス席で食前酒のんでみたいです。

前菜は、アボカド、レモンで
主菜は、七面鳥ささ身ムニエル、いんげん塩茹で、キヌア(南アメリカの雑穀)






立ち呑み日記・76点の日蝕 [追究]

この金曜日の午前中、フランスは日蝕でした。

こちらでは何日も前から報道され、北のほうが条件が良くブルターニュ地方で日蝕80パーセント、やや下がってパリでも76パーセント、とのこと。

100点満点のテストと考えると、いずれも好成績です。

「太陽をじかに見上げてはいけません」
と、ニュースでは鹿爪らしく特別な紙メガネをわざとかけた解説員が繰り返し注意を呼びかけていました。
「UVケアのサングラスでもだめです」

日蝕用の紙メガネは、フランスで前回1999年の金環食、すなわち100点満点の日蝕のときは何にでも景品にやたら付いていたものでしたが。

どの家庭でも持て余していて、
「次に予定されているアフリカの日蝕の地に寄付しよう」
と、スーパーの店頭などでリサイクルを呼びかけていたもンです。

また、とっておいても引き出しをふさぐだけなので、こぞって供出しました。

あれを一つぐらいとっておけばよかったなあ、と、前夜にワルガキ二匹からせがまれてつくづく思いましたね。

今回はどうしたわけか紙メガネの景品は見かけませんでした。やはり満点でないと販促も力が入らないんでしょうか。

「日蝕メガネは薬屋などで売っています」
と、テレビニュースの解説員。

(100点満点じゃないというしねえ)
と、漢字の書き取り豆テストの答案を前にごほうびをどうするか思案するごとく、うちなど前日にお財布を開くのをついしぶったんですね。

窓の外はどんより鉛色。このままいくと当日も曇ったまま・・

・・と、いうことは専用メガネなどあってもなくても同じこと、お財布開く甲斐がないことになります。

「エーッ買わなかったの?!」
と、ムスメは泣きださんばかりにオトーサンオカーサンに詰め寄りました。

ムスメの通う中学では保護者あてのプリントが出て、
「太陽を裸眼で見上げると危険極まりなく、よって学校全体での観察は行いません」
と、とりつくしまがない感じ。

日蝕用メガネの、しかも安全マークのついているものを生徒用に確保できないかららしいです。ムスメはそんなのどこ吹く風で空を仰ぐ気満々。

弱ったオトーサン(ワタシのオットです)は捨てそびれている老眼鏡を取り出しました。すなわち、ガラスを炙(あぶ)って煤(すす)で黒くし、太陽を見る。

以前はこの方法が一般的で、ワタシも子どもの頃、学研の『科学』あたり読んで知ってました。ワタシ自身はその『科学』付録になるセルロイドの黒い小板で太陽を見た記憶があります。

オトーサンはさっそくライターで炙り始めたんですが、
「こりゃだめだッ」
と、すぐさま手元をフーフーしだす始末。「レンズがプラスチックだった」

ムスメの気落ちするまいことか。

ところが、専門メガネも煤つきガラスも要らない方法があったんですネ。

当日の午前中、11歳のムスコの校外学習に付き添いで行ったんですが、担任の先生も別の付き添いのオカーサンも示し合わせたように針穴を開けた厚紙をバッグにしのばせてました。このやり方、ムスメの中学の先生方におしえてあげたいくらいです。

が、曇天で太陽の方角もわからず、76点の日蝕は何ごとも無きがごとく過ぎて行きました。


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桜、ではないようですけどとにかく咲きました。

前菜は、サラダ・マセドワン(さいの目ニンジン・根セロリ・いんげん等缶詰の残りとトマトのマヨ和え)
主菜は、雛鶏ロースト、じゃがいもロースト、モロッコいんげん塩茹で、グリーンサラダ

立ち呑み日記・ひとりで全部 [追究]

いちど一人で全部食べてみたかったもの、
という人生の深淵なモンダイを、本日は考えてみたいと思います。

いえね、先日の立ち呑み日記で、買い置きのつもりだったヤクルト(7本パックでした)があれよという間に一気飲みされていた、とまあ例によってどーうでもいいことほざいたら、近しい人から連絡をもらったんです。

「姪よ甥よあっぱれ! ボクも子どものころやってみたかったんだ・・」
と、号泣せんばかりのわが実弟。あのころヤクルトは毎朝配達されてくるもので、一本ずつ飲むのがそれはもうたのしみだったもンです。

が、いかんせん量が少なかった。

「量が少ないですと? とんでもないッ」
と、ヤクルトご関係者のみなみなさまに叱られそう、では、あります。「65mlに65億もの善玉菌ですぞよッ」

おっしゃること重々承知しておりますが、子どもにしてみれば甘酸っぱくておいしいところをグーッと、フルーツ牛乳ぐらいは一度にあおってみたいんです。

フルーツ牛乳がダメというなら「パンピー」ぐらいでもいい。

「わたしの場合はアスパラひと缶全部だった」
と、わがおさななじみ。

彼女は缶詰のアスパラが大好きで、おかずにのぼるのをそれはたのしみにしていました。

「缶詰の」と言いましたが、当時アスパラといえばホワイトもグリーンもなく缶詰のみでしたからね。家族で食べる都合上、缶のものは全員均等に分配となる。

一人でひと缶全部(うっとり・・)と夢見て、後に一人暮らしを始めるや自分のためだけにアスパラ缶を買って一人でさらったそう。

大人になったなあ・・
と、心から実感した瞬間でありましょう。

「わたしはレディーボーデンのアイスクリーム」
というエピソードを、山田邦子さまが対談でお語りになっているのを読んだこともあります。

山田邦子さまは飛ぶ鳥を射落とす勢いで超売れっ子コメディアンとなっていかれます。

その初ギャラで、高級アイスクリームとほまれ高い「レディーボーデン」の500ミリリットルを買って胸に抱え、大きなスプーンでわしわしわしっとお食べになったそう。

「家ではそういうことさせてもらえなかった」
と、お語りでしたが、気鋭女性コメディアンのご実家のみならず、どの家庭でも「レディーボーデン」は特別でしたよネ。

ガラスの器に取り分け、食べすぎるとお腹が冷えるというので一度に食べていいのは大きいスプーンでせいぜい3すくい、というのが当時の一般的なありさまだったのではないでしょうか。

ワタシはといえば、「ふりかけごはん」です。

おかずは不要。
「ふりかけはおかずをちゃんと終わらせてからッ」
など誰からもさしずされず、白いご飯おテンコ盛りでふりかけをたーっぷりふりかけたなりでうんざりするまで食べてみたい・・

一人暮らしを始めてすぐ実現しました。唸(うな)るほどおいしく、そしてわが身が誇らしかった。

ただこういうのって、一度経験したらつきものが落ちたように興味喪失するものですよネ。ふりかけごはんだけにワクワクするお食事は、わが人生で後にも先にもこの一回っきりでした。


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夕方6時、陽が長く春になって来ました。

前菜は、アボカド、レモンで
主菜は、鶏ロースト、じゃがいもロースト、モロッコいんげん塩茹で、グリーンサラダ

立ち呑み日記・おのおのの量 [追究]

ヤクルトを2パックも買ったのに、冷蔵庫を開けたら、無い。

これはなんとしたとテーブルに目をやると、カラッポの残骸がみごと全部ころがってました。

「おやつのあとは片付けなさいッ」
と、鹿爪らしくやるわけですが、日本の家庭ならこういう狼藉は起こらないのではないでしょうか。ヤクルトは一度に何本も何本も飲むものでないと、身についている。

ヤクルトは海外進出めざましく、海外の売り上げは日本の倍だそうです。欧州にはオンダに研究所があり、パリの、うちの近所のスーパーでも気軽に買えます。

ヤクルトは毎朝一本ずつ飲んでますよ、というフランス人がいたらこれは相当な日本通でありましょう。

食べる(飲む)ときの分量って、これでなかなかお国柄が出るものですネ。

パリに和菓子の「とらや」があるんですが、この老舗のサロン・ド・テをフランスが誇る大女優がひいきにしているというエピソードを、日本語のフリーペーパーで読んだことがあります。

大女優は和菓子を好み、いちどきに7つも8つもお召し上がりになるとのこと。

なにしろ大女優であられ財布の心配は無用。和菓子は小さくて見た目が美しく、バターもクリームも使っていないところから
「ヘルシー」というわけです。

これが日本在の日本人なら、サロン・ド・テでケーキならいっぺんに何個か食べることがあっても、和菓子のおかわりはしづらいのではないでしょうか。

「和」といってもお汁粉とあんみつなら甘味屋で両方いっちゃうことはまあ、あり得ましょう。が、和菓子はどうでしょうか。

「あらどうして?」
と、大女優に訊かれたら大いに弱ります。

季節を表現する和菓子はそうパカパカ食べるものでもない、とこう、考えるわけなんですが。

たとえば「とらや」の茶房でお薄と季節の和菓子のセットをとったとして、
「このお菓子おいしいからもうひとつちょうだい」
と、ウェートレスさんを呼び止めるのは、お財布のことはひとまずおいて、やりにくいです。

ひと口の分量に関してはどうでしょう。

いつだったか一時帰国の折に浅草に出かけたら、仲見世の店頭で実演販売している手焼きせんべいをおのおの一枚だけ買って食べ歩きしている二人連れのフランス人観光客がいて、ヘエーとつい盗み見ちゃったことがありました。

オセンベを齧るテンポが、日本人と違った。

丸いオセンベといったらホラ、ガリッ、バリバリバリッ(ごっくん)、ガリッ、バリバリバリッ・・とこう、ある程度のスピードと勢いをもって食べ進みますよネ。

ところがそのフランス人はオチョボ口でささやかにぽりり(その後しばし持ったまま歩く)、また少々ぽりり(またしても持ったまま歩く)。

そもそも日本人にオセンベの食べ歩きは思いつかないのではないでしょうか。

フランス人は固いバゲットの尻尾などは小腹がすくと遠慮仮借なくガリガリいきますが、オセンベは食前酒にちょこっとつまむもので、おやつに勢いよくバリバリいくものではないんですね。そういう腹具合になってる。

白飯なんかも、おしょうゆもなにもないところをわしっとかきこむのはフランス人にはノド通らないみたいです。


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歩きながらパチリ。

前菜は、カボチャのポタージュ
主菜は、舌平目グリル、いんげんとじゃがいもの塩茹で


立ち呑み日記・シヤワセとは何か [追究]

朝10時半。

10歳のムスコがパジャマから着替えもせず足投げ出してwiiUにかじりついている。ゲームに打ち込んでいるようでいて、その実まーったりと無為な時を費やしている感じ。

シヤワセとはこういうことなり、という風情です。それもそのはず、本日は待ちに待った二週間の学期休みの始まりなんです。

しかしこれが丸々二週間、終日パジャマでゲームとなったらシヤワセの片鱗もなく怠惰、どころかネグレクトの部類に入って来ます。

シヤワセもこれでなかなかむずかしいです。

「ぼかァシヤワセだなァ」
と、有頂天の青年が昭和の時代はドラマやマンガに登場したものですが、やたらの有頂天は能天気ともとらえられました。

本日はみなさんとともに、シヤワセについて考えてみたい所存であります。

昨年のクリスマスイヴにフェイスブックで見かけた一枚の写真に、ワタシなどグッときましたね。何週間も前から予約したというケンタッキーのクリスマスボックス。

写真では買ったなりの状態でちんまりおさまってましたが、この箱を開けるとシヤワセがじーんわりあふれてくると確信しました。

これがフタが開いていてフライドチキンがのぞいていたら、ここまでシヤワセの気配は漂わなかったことでしょう。クリスマスだから鶏肉と右にならう凡庸にして俗物、そういった印象に終始した(と決めつける)。

みなさんの日々のシヤワセは何でしょうか。

ワタシはですね、うちはフランス家庭なので毎日欠かさずバゲットを買うんですが、パン屋で店頭のバゲットがすっかりはけ、ただ今焼き上がったばかりを粉まみれの職人さんが慌てて運んでくる時がままあるんですね。

焼き上がり直後のバゲットは外気に触れて
(カチカチカチカチカチ・・)
と、ごくごく小さな音の合奏になります。

これを聞きながら順番を待ち、「あちッ」というほどあつい焼きたてをにぎるシヤワセ。正確を期すると、この焼きたてを即座にちょこっと千切って口に入れるシヤワセ。

そのおいしいこと、外側パリッパリ、中の白いところなど熱がこもっていてハフハフしちゃうほど。

このままどんどん口に運びたいところですが、そこは堪(こら)えないことには家に着くころには家族の食べるぶんがなくなっちゃいます。

また、どんどんどんどん口に運んで道の真ん中でバゲット一本まるまる平らげちゃうオバサン、とこう考えてみれば、落魄(らくはく)、この言葉そのままであることは否めません。

ハナシはやや「あっちのほう」へ傾きますが・・

みうらじゅんさまのエッセイだったか、女性とホテルなりでいよいよ二人きりになり、まだシャワーも浴びていないなか本式に首尾を遂げるつもりは毛頭ないもののとりあえずベッドにもつれこむ歓び、というようなクダリがありました。

(ウンわかるわかる)
と、殿方連はこれをシヤワセに数えてしかるべきとお考えではないでしょうか。

でもですよ、この場合シャワーだシヤワセだとせせこましいこと言ってないでとにかくまっしぐらに二人の「幸せ(ないしは幸せの絶頂)」へと突き進んでいくのが熱情というものではありますまいか。


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そういえばバレンタインデーでした。

前菜は、クマト(赤黒いトマト)と千切りパセリのサラダ
主菜は、鶏ロースト、じゃがいもロースト、パプリカのグリルとブロッコリー塩茹で

立ち呑み日記・厚いと薄い [追究]

「カバンに入ンなぁ~い・・」
と、朝の登校直前、ただ今読みかけの分厚い『ナルニア国物語』をよっこらしょと持ち上げ嬉しげな弱り声をあげる12歳のムスメ。

分厚いも分厚い、誇張でなく『広辞苑』です。

この出版社はなんでそんなことしちゃったんだか、
と、日本人のオカーサン(ワタシです)は実のところ内心アキレているんですね。

なぜというに、ナルニア国物語全七巻が一冊になっちゃってる。

ワタシがその年齢だったらこおんなにも分厚い本、内容のいかんにかかわらず間違いなく途中で投げ出します。

なにしろ学校カバンに入らない。重くて腕が疲れる。外見(そとみ)だけでうんざりする。

東京の、生き馬の目を抜くような通学通勤の満員電車でこんな本、つり革つかんだなりの片手でなどとうてい開けません。

分厚いにもほどがあります。

が、フランスの子どもらはどうもそんなふうには考えないみたいなんですね。分厚いの大歓迎。「読んだーッ」という達成感がある。本棚に並べて背表紙を眺めるのもたのしい。本屋に平積みになっているどのジュニア小説も分厚いです。

『ナルニア国物語』は各巻ごとに分冊になっているのもあるんですが、ムスメは合冊のほうを選びました。

「紙によるんだよ」
と、フランス人のオトーサン(ワタシのオットです)がニッカリ笑い、分厚い本に立ち向かう気満々のムスメの出鼻をくじくようなこと言い出します。
「聖書読んでないだろ? 本というのは見た目の厚さではないのさ」

オトーサンとはそういう鹿爪らしいこと鼻ピクピクでスグ言い出すものですが、その実一理も二理もあるんですね。

ホントホント、紙によるんですヨ。フランスの本のページって画用紙みたいにゴワゴワ厚く嵩(かさ)がはる。日本の本と大いに異なります。

本の厚さの好みって、日本人とフランス人では違うんじゃ、ないでしようか。フランス人はお厚いのがお好き。片や日本人は薄さへと向かう。

「厚い本」とこう日本語で検索すると「分割」と、すぐさま続いて出て来るほどです。厚いと読みづらいから自分で分割製本てみしましょう、と、いうことです。

『ハリー・ポッター』全7巻だって、日本では(上)(下)の巻もあり全11冊、文庫本版となると19冊になります。

新潮や角川など文庫本がまた、フランスのペーパーバックよりひと回り小さい。

フランス文学の珠玉『レ・ミゼラブル』、ペーパーバッグは分ッ厚い全二巻ですが、一番最近出たちくま文庫で全五巻。この違いはどこから来るんでしょうネ。そのほうが売れるんでしょうか。

検索するうちに知ったんですが、日本で「薄い本」というと決まったものをさすものだそうです。コミケで売られる同人誌のエロ漫画。大方が薄いのでそう呼び称されるようになったそうな。

厚かったら「厚い本」と呼ばれたことでしょうが、やはりこれ「薄い」からこその価値じゃ、ないでしょうか。

「明るい家庭計画」だって、日本のはことさらに薄さを強調してますもんね(ってこれはあんまり関係ないかもナ)。


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1月いっぱいはガレット・デ・ロワ。近所に、味がいいのに中に入っているフェーヴが平面的でつまらない店と、味はもっさりイマイチなれどフェーヴがおもしろい店があり、後者をひいきにしておりますです。味でライバル店に負けるとわかっているのか毎回シードル(リンゴのビール)までオマケに一本つけてくれます。

前菜は、グリンピースとトマトのマヨヨーグルト和えサラダ
主菜は、鶏肉入りオムレツ、モロッコいんげん塩茹で、自家製フライドポテト

立ち呑み日記・鬼と悪魔 [追究]

フェイスブックに上がって来たコンビニの恵方巻予約承りの広告を眺めながらつらつら考えた。鬼と悪魔じゃ、どっちのほうが強いのかナ・・

・・と考えるそばから、鬼が形勢不利なんじゃないかと思い始めました。だってホラ、怒るオカーサンと並べたら一目瞭然です。

「鬼よりコワイ」
と、うちのワルガキ二匹も断言します。

鬼は迫力があるようでいて、その実ここというパンチに欠けていた。

体格はがっちり型なんですけどね。「泣いた赤鬼」がそうですが、情に流される性分もあり鬼はちょっと守備が甘いです。

服装からしてあれですもんねえ・・

鬼のパンツといったら虎の毛皮で出来ていて「つよいぞー」ということになってますが、よく見れば半裸。

全身豹(ひょう)柄にくるまれた大阪のオカーサンが怒るド迫力と比べたら、どちらに軍配が上がるかなど一目瞭然です。

そこいくと悪魔は全裸ではありながら鋭角な角(つの)と羽を持ち、パンツ履いてないなどつゆとも気づかせません。痩せ型で、邪悪で、冷徹そのもの。

悪魔は高学歴、鬼はたたき上げ、とも、言えそうな気がします。悪魔はエリート、鬼は中間管理職。悪魔は数か国語に堪能、鬼は日本語かつかつ、で、あるとも言えると思います。

「泣ンぐ子いねがー?」
と、鬼はそれどころか郷土色丸出し。

「だからさー、それもありじゃん?」
なんていう東京弁さえ忌避する感じです。

今から十なん年前、自分の子どもに「悪魔」と名付けようとして役所に却下され、世をあげて喧々囂々(けんけんごうごう)となったことがありました。

鬼のほうは、「鬼束ちひろ」という美人有名人さえいます。これって悪魔と鬼のどちらへ軍配を上げるべきなんでしょうネ。

スポーツインターテーメント番組「SASUKE」で対決させてみたらどうでしょう。鬼は金棒ふりまわしてガチでいく。片や悪魔は悪知恵の限りを尽くした頭脳戦で立ち向かう。

来年のことを言うと鬼が笑い、「気が早いねえアハハ・・」と、その場がなごんでこちらにも笑いが出ますが、悪魔が笑うとなると凄みが出てオソロシイ・・

・・ということはやはり悪魔のほうが強そうですが。

「小悪魔」「やさしい悪魔」といったら、殿方を罠にかけ惑わせる妖艶な存在。「プラダを着た悪魔」なんていうのもありました。

しかしながら「鬼女」といえばリサーチ力万能です。

テレビ番組でいうなら、「悪魔くん」という白黒の30分ドラマがワタシが子どもの頃などゾクゾクするほどたのしみでした。

ホラ、主人公の男の子が「ジャイアントロボ」の主演でもあった。

が、「げげげの『鬼』太郎」もまたとおってもたのしみでしたから、これもまた甲乙つけがたいです。


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うんと狭い小路でパチリ。

前菜は、胡麻油をふった赤かぶサラダ
主菜は、さいの目七面鳥腿肉・ニンジン・ジャガイモとマカロニ(以上残り物)入りオムレツ、焼きパプリカ、じゃがいもソテー、グリーンサラダ





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