立ち呑み日記・弁慶 [追究]

昨日、友人と話していたらパリにある高級和食店「弁慶」の名が出てきて、そういえばと思ったんですが・・

「弁慶」って、そういえば最近聞かないナ。

レストランではなくて、歴史上の人物のほうです。

「タッキーの義経の時出てたじゃないの、ホラ松平健」
と、いうお声が上がったようですが。

然(しか)り。2005年のNHK大河ドラマが「義経」で、武蔵坊弁慶は松平健が演じました。しかしそれだってもう十年も前。

われわれが子どものころは、「弁慶」「牛若丸」の名をもっとひんぱんに見たり聞いたりしていたように思います。

まずは絵本で見ました。

♪京の五条の橋の上~・・・
と、絵本を読んでもらうと、ことに同居のとしよりがきまって歌い出した。

としよりは、年端の行かない牛若丸の敏捷さを、負けを認めて子どもに頭を下げる弁慶の潔さを、ほめそやした。

「・・・エートどういういきさつでそうなったんだっけ?」
という方がおられるようなので(ワタシがそうでした)調べたところを説明いたしますと、ならずものだった弁慶は帯刀者と見るとその刀を強奪することに血道をあげ、あと一本で千本というところで、由緒ありげな刀をさしたいたいけな少年(牛若丸)と京の五条の橋の上ですれ違うんですね。

「よこせ」
と、横暴をはたらくものの、少年はひょいひょい欄干の上を身軽にとびまわり、隙をついて弁慶を打ち負かします。

で、
♪鬼の弁慶あやまった~

(牛若丸かっこいいなあ・・)
と、思ったかというとさにあらず、判官びいきの道行きを、忠義を、劇的な立ち往生を、熱っぽく語るとしよりとは温度差があったように思います。

弁慶も牛若丸も、それほどにはわれわれ子どもの心をつかみませんでした(と思う)。

「ウルトラマン」や「仮面ライダー」などとは比較にもならない。「八犬伝」や「真田十勇士」の足元にも及ばない。

でもどういう人物なのかわきまえていたのはやはり、としよりの語りあってこそでありましょう。

戦前の、ワタシら世代の親世代が子どもだったころは、「弁慶」といったらヒーロー中の大ヒーローだったのではありますまいか。「弁慶の泣き所」とか「内弁慶・外弁慶」などの表現があるように、弁慶はうんと身近だった。

1970年代にオープンしたパリの高級和食店「弁慶」も、考えてみればこの世代が命名しているわけです。

そしてわれわれも親となりましたが、「弁慶と牛若丸」が出て来る絵本を、ワタシなど子どもに読み聞かせた記憶がありませぬ。

また、読み聞かせたとて、「だから?」と、首をかしげられてハイ終わりなのは火を見るより明らか。

大の大人の弁慶が子どもの牛若丸に頭を下げるのが戦前の子どもには「してやったり」と、気持ちがせいせいしたことでしょうが、われわれのころですらもう「弱い者いじめした結果の成敗」にしか思えませんでした。

こういう、歴史上の人物の栄枯盛衰って、けっこうありそうですネ。

「油井正雪みたい」
と、ワタシらが子どものころは長髪の男性のことを言ったものですが、この人なども、せっかくロン毛が流行ったのにその名を聞かないままになって久しいです。


PIC_0250.JPG
夕方6時。今日は春めきました。テラス席で食前酒のんでみたいです。

前菜は、アボカド、レモンで
主菜は、七面鳥ささ身ムニエル、いんげん塩茹で、キヌア(南アメリカの雑穀)






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