立ち呑み日記・存在している [追究]

この日曜日パリの大デモに加わって、テロはもう勘弁という気持ちとはもうひとつ別に、しみじみ思ったんですが。

フランス人ってやっぱり立食パーティーのひとたちなんですねえ・・

フランスにおけるデモと立食パーティーは同時期に発展したンじゃないでしょうかネ(と決めつける)。

デモのコースになっている大通りを目指してバスチーユ広場に来たところであまりの人の多さに誇張でなくおしくらまんじゅう状態になったんですが、人々はおしくらしながら大通りを目指しているかというと、必ずしもそうではないんですね。

大方の人が、その場に立っている。

ウォーキング大会でもあるまいしコースを歩き切ることが目的ではなく、その場の空気を分かち合い、自分の心を示威する場ですから、これでいいんです。

が、にっちもさっちもいかないところである人はプラカードを掲げたなりで、またある人は別に何も掲げず、立っているんですぞ。

今回は追悼の「沈黙のデモ」だったので、静かなのは当然ではあるんですが。

「立っているのでは断じてない、デモに参加しているんです」
と、糺(ただ)されそうです。

では、「立っている」ではなく、
存在している
という言葉に改めてみましょうか。

これはやはり、立食パーティーに慣れているからこそではないでしょうか。立食パーティーは、時に料理をつまみ飲み物を飲み、時に知り合いと話し、見知らぬ人とも会話する。

しかし時に、料理もつままず飲み物も飲まず、誰との会話からもふととぎれるひとときがかなッらずおとずれるんですね。この、孤独に陥った時をも楽しめるのが、立食パーティーの達人ではありますまいか。

そしてフランス人は達人であった。

考えてみれば彼らは「たっち」ができるようになるともう立食パーティーに身を連ねるんですね。託児所で年に一、二度、スタッフと保護者をまじえた懇親会があるんですが、これがすでに立食なんです。

「たっち」できるなら一人前に参加し、時にお菓子をつまみジュースを飲み、時におともだちと話し、見知らぬ大人やおともだちのきょうだいともまた会話する。

同時に、お菓子も口に入れずジュースもあおらず、おともだちとも見知らぬ人たちとも言葉を交わさないひとときも、来る。

そういうときどうしているかというと、「存在している」。

立食パーティーはそれから、おともだちのお誕生会、幼稚園や小学校の行事、家庭でももちろん機会あるごとに出席することになります。

こうして単独で「存在する」ことが肌にしっくりくるといいますか、そういう感覚をうんと小さいころから身に着けるようになるわけです。

だからこそああやっておしくらの中で立っていられる(ンじゃないかナァ・・)。

これが日本人なら、デモに行ったのにおしくらの群衆の中で立ち止まったなりでは欲求不満で終わるのではないでしょうか。

隊列になって歩かないことにはデモに参加した「感じ」がでない。

移動の民ユダヤ人もまた、立っているだけではデモに参加した気がしないと思います(ってこれは明らかに決めつけだナ)。


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 「(表現ほか)自由な人の絵を描いてください」。〜の絵を描いてください、というのは『星の王子様』のなかのセリフです。先日の大デモにて。カメラが壊れてしまったワタシのかわりにオットの撮った写真です。

前菜は、カボチャのポタージュ
主菜は、シポラータ生ソーセージのグリル、ニンニク風味じゃがいもソテー、いんげん塩茹で、グリーンサラダ


立ち呑み日記・便乗商法 [追究]

「Je suis Charlie(シャーリーは私だ)」、
当初は自然発生的にSNS上で謳(うた)われたもののこの日曜日の50か国の首脳が腕組み合って先頭を行った大デモで大いに使われ、公的な側面がいやおうなくついてしまったこれからは、ひょっとして急激に手垢がついた感じになっていくんじゃないでしょうかネ。

「Je ne suis pas Charlie(私はシャーリーではない)」
という反発がフェイスブックなどで前日から大いに出回っていたほどで、これはつまり哀悼の心を政治にからめとられるのではという懸念などからです。

「Je suis Charlie(シャーリーは私だ)」、
デモでは多くの人がA4の紙に印刷したものをファイルケースで工夫したもので胸に掲げたり、シールにして腕にペタッと貼っていたり、首から下げる名札でさげたり、していました。

今はインターネットとプリンターで各自チョチョイのチョイで作れるんですね。

このスローガン、痛ましいテロ事件が勃発した1月7日の昼の第一報直後から広がり始め、二か所で人質をとって立てこもりを続けていた犯人がついに射殺されたころ、いよいよもってSNSを席巻しました。

ちょうどその頃合いだったと思います。

Je suis Charlie(シャーリーは私だ)と染め抜いたTシャツの広告が、フェイスブック上に載るようになってきた。

1枚19ユーロ(約3400円)ナリ。

「なんたる破廉恥行為!」
と、フランス人は商魂たくましいのを嫌うんですね。広告の下には口を極めたコメントが並びました。

広告をよく読むと、売り上げはすべて『シャーリー・エプド』紙に行くとのことで、
「だったら許してあげる」
と、コメントはにわかにトーンが柔らかくなります。

このTシャツ、売れたんでしょうか。二日後が例の大々的なデモですから、ここで売らねばいつ売る、ということになります。

が、今は1月初旬ですぞ。

Tシャツで心を表現しようにも、その上にセーターと厚いコートをきっちり着こまないことには寒空の下のデモなどとうてい参加できません。

せっかく買っても下着と同じではねえ・・

・・と、思いながら昨日、デモに加わるのにバスチーユ広場に向かっていたら、なんとTシャツ売りがポツンといたんです。

いくらで商(あきなっ)ているのか、売り子のすらっとした青年はダウンコートの上からXXLほどもある大判を着て足元の籠(かご)に袋入りの新品を入れ、なんだか弱り果てたようにひっそりと立っていた。

「さあ安いよ安いよ、デモはそこだよ」
と、呼び込みぐらいしなければはけないじゃないの、と、日本人のオバサン(ワタシです)は助言してあげようかとも思いましたが、まあやめときました。

それで売れるとも限りませんしね。今日ではTシャツだって家のプリンターでチョチョイのチョイぐらいではないでしょうか。

大デモから一夜明けて。

フェイスブックを開けると、便乗商品の広告をやはり見つけました。Je suis Charlie(シャーリーは私だ)と横腹に書かれたお灯明立て。

イスラム教はよく知りませんがキリスト教もユダヤ教もお灯明を立てるので使い道はもちろんあるわけですが、この商品、売れるんでしょうか。


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大デモでは『シャーリー・エプド』ばりの作品プラカードもたくさん出てました。写真の目の加工のやり方がよくわからず汚らしくてゴメンナサイ。

前菜は、ニンジン千切りサラダ
主菜は、牛(フォーフィレ)ステーキ、にんにく風味じゃがいもソテー、パプリカのグリル、グリーンサラダ


立ち呑み日記・浸して食べる [追究]

あついココアが、
「飲みたい、飲みたい、飲みたい」
と、朝ごはんにやってきた12歳のムスメ。
「トースト浸して食べたい」

「ボクも」
と、10歳のオトウトも感化され、カフェ・オ・レ・ボールになみなみとついでいます。

二匹が盛大にべしゃべしゃやっているのを見ていて思ったんですが、世界には、浸して食べるのが公式の国とそうでない国とが、ひょっとしてあるンじゃないでしょうか。

フランスは公式の部類です。なんといってもコーヒーも紅茶もカップでなく口径の広いカフェ・オ・レ・ボールでのむのが一般的ですからね。

口径が広いのは、浸しやすいため。思いまするに、この口径はクロワッサンべしゃべしゃに合わせてこうなったのではありますまいか。

イタリアもまた公式です。

イタリアには「ビスコッティ」という羊羹の一片くらいに切った固いビスケットがあり、コーヒーに浸して柔らかくして食べるようにそもそもから出来ているそう。

こちらは、コーヒーカップに合わせた一片になっているわけです。

英米などは公式も公式、「浸して食べる」とこう日本語では動詞二つを組み合わせてようやく説明できるところ、これのみ意味する動詞がちゃんと存在しているんですヨ。

dunk(ダンク)、というのがそれで、「ダンキン・ドーナッツ」はこの動詞をもとに出来た商標名なんだそうです。

すなわち、ドーナッツはそもそもdunking(ダンキング)、飲み物に浸して食べるものである。

1934年のアメリカ映画「ある世の出来事」で、クラーク・ゲーブルがドーナツをはコーヒーに浸して食べるシーンがあったところからだそうな。

どうです、クラーク・ゲーブルのお墨付きですぞ。

油条、という細長揚げパンが中国やベトナムにあり、ことにベトナムではお粥に浸して食べるものだそうで、こちらも公式。

それらと比較してわれらが日本はべしゃべしゃとはいかない気がするんですが、どうでしょうか。ヒトサマの前ではやりにくい、非公式。

なぜ、日本では公式に発展しないんでしょうかネ。古いお菓子でいうなら甘食など、牛乳に浸して食べたらとってもヨロシイと思うんですが。

「甘食」とこう検索すると、「牛乳に浸して食べるとオイシイ」と、打てば響くようにずららららっと出てくるほどなんです。

が、かりに甘食が名物の甘味喫茶があったとして、甘食セット(甘食とホットまたはアイスのスミルク)をとったとてべしゃべしゃできるでしょうか。

うちではやるけど外ではちょっとねえ・・
というのが大方ではありますまいか。

だいたい甘食のあの大きさは、コップの牛乳に浸すにはぐあいがよろしくないです。にもかかわらず、牛乳に浸しやすい大きさで新登場! なんていう新製品も出たためしがありません。

甘食だけでなくて、カステラもどら焼きもナボナも、飲み物にちょこっと浸して食べるとより美味しいことでしょうが、ワタシも日本の実家の六畳でと考えるとどうしてだかやはりためらっちゃいますね。

パリの我が家のカフェ・オ・レ・ボールでとなると当然気のごとくびしゃびゃ行けちゃうんですが。


カメラが壊れた都合上写真はしばしお待ちを。スミマセンヌ。

前菜は、野菜ポタージュ
主菜は、フランクフルトソーセージ、シュークルート(キャベツ酢浸け、茹でたじゃがいもとともに)

立ち呑み日記・二者は別物 [追究]

日本への一時帰国から戻った時差ぼけで早朝に目が覚め、用を足そうとトイレで便座にすとんと腰掛けた、その時。

ひやー、つめたい。

アアここは日本でなくてフランスなんだ・・と、改めて感じ入る瞬間です。日本の便座は今やどこでも電気で温まっていますが、フランスでそういうトイレは稀です。

ほんの二週間ちょっと前の、一時帰国する以前はこのつめたさが当たり前、どころかつめたいなどとはつゆとも感じなかったというのに、人は贅沢にたちまちにして慣れるものなんですネ。

「パン食べたい、今すぐ食べたーい」
と、ワルガキ二匹はといえば昨日ド・ゴール空港に着きタクシーを前に外気に当たった途端に、身をよじって騒ぎ出しました。

昨日までの日本でだって毎朝、ヤマザキパンのしっとりむっちりした食パンのトーストに[雪印・切れてるバター]をのせてじゅわんと溶けだしてきたところへ
「オイシイ、オイシイ」
と噛みついていたんですが。

それに、オバーチャンにねだってしょっちゅうパクついていたトトロの形をしたチョコパン、これなどフランスにいたら食べられません・・

「でもそういうのはパンじゃないし」
と、二匹は口をそろえて奇想天外な事を言い出すんですね。

二匹が「パン」というのは、バゲットのこと。

気候のせいでしょうが、日本のバゲットはデパ地下の「ポール」などフランス発チェーン店のでさえ風味が異なり、各段にあっさりパサッとしているんです。

タクシーが我がぼろアパートの前に着き、エレベーターの無いところを最上階までずっしり重いスーツケースつごう四ケ、えっちらおっちら運び上げるやすぐさまバゲットを買って戻ると、二匹はもう目の色かえてかぶりつきましたね。

これってさしずめ日本人が海外旅行から帰って白飯にウメボシで落ち着く感じでしょうか。

晩ごはんは、
「鶏丸焼きが食べたい、食べたいったら食べたい!」
と、二匹。

子どもって鶏肉が好きですよネ。オバーチャンオジーチャンの家でも、しょっちゅう唐揚げが晩ごはんにのぼりました。

カリッとした醤油風味もこうばしく、二匹は他のおかずをさしおいてまで唐揚げばかりあんなにぱくぱく食べて
いたっていうのに、この上まだ鶏肉が食べたいなんてねえ・・

「カラアゲって鶏肉だったの?」
と、これまたこちらがのけぞるようなことを10歳のムスコが言い出しました。

塩気のきいた味つけがしてあるし、「丸焼き」になってないしで、パリでいつも食べている鶏丸焼きと日本の唐揚げが同一の素材とは思いもよらなかったみたいです。

鶏を丸焼きにするときローズマリーなどハーブはふりかけますが、お醤油のようなくっきりした味つけは加えないので、言われてみれば確かに二者は別物のような気が、ワタシもしてきました。

これって、他のものでたとえるなら何でしょうかネ。

フランスのスシと日本の寿司かナとも考えてはみましたが、スシは寿司の格下にしか思えず、同等の別物と考えるのははなはだ苦しいです。

味噌汁とミソスープ、でしょうかねえ・・
(最近はフランスのスーパーでごく普通にミソスープが売られているんですヨ)


カメラが壊れてしまった都合上写真はしばしお待ちくだされ。

前菜は、トマトとゆで卵のサラダ
主菜は、鶏ローストとじゃがいもローストの残り、カリフラワーとベシャメルソース


立ち呑み日記・マイネームイズ [追究]

My name is 何々、という言い方が中学の教科書から外されることになった、という記事を、読みました。

なぜというにいかにも古くさくおばあさんの世代の言い回しだから。ここはI’m何々、というふうに自己紹介するべきである・・

今の中学生のおばあさんといったら70歳くらいでしょうか。と、いうことはビートルズ世代のフラワーチルドレン、トこう考えると、そんなには古いこともない気もするんですが・・

・・マ、それはそれとしましょう。

My name is 何々と名乗ると、ネイティブの耳には「拙者何々でござる」と言っているように聞こえている、という内容のブログも見つけました。

楽天から大リーグのヤンキースに移籍した田中将大投手が入団会見で
「マイネームイズ・・」
と、しょっぱなにやって、ツイッターで大論争が巻き起こったんですってネ。

「英会話の初歩的な間違いとは恥さらしなりッ」・・

ウィッキーさんだって以前はマイネームイズウィッキーだったのが今ではアイムウィッキーと言っているではないか・・
と、うがった例を持ち出している方もおられました。

しかしまあ、田中投手はアメリカに「上手な英語のお手本」を示しに行ったのではなく野球しに行ったわけですから、現地の方々は別にどっちだろうが、あるいはどっちでもなかろうが構わなかったのではないでしょうか。

マイネームイズがなくなるのはワタシなどつくづく惜しい気がしますね。「マイ」「ネーム」「イズ」とぜいたくにも三語も使った構文なんですゾ。

なにしろ英語習いたてのホヤホヤで、A・B・C・D(エィ・ビィ・スィー・ディー)・・とクラス一同で先生の後に続いて復唱するのがかつかつ終ったあたりの、語彙だってないも同然の時期に、
「では英語で自己紹介してみましょう」
なんてことになるわけです。

マィ・ネェム・イィズ・・とこうコブシきかせて(英語にコブシはなかったかナ)やると、他にそう知っている英単語もなく、い・か・に・も「英語で発音してるーッ」という「感じ」が味わえた瞬間だったではないですか。

アィムだとそこいくと、アィとせっかく始まってもムでもうあっけなく口を閉じることとなり、さほどの醍醐味は味わえません。

マイネームイズは今だってフォーマルな場でちゃんと使われているというのに何たることッ、と、教科書から消えていくことをお嘆きのブログも、いくつか見つけました。

「youは何しに日本へ」を観ていると、
「ワタシノナマエハボブデス」
なんて、マイク突きつけられて一生懸命カタコトの日本語でおっしゃっている方々がおられますが、あれはやはりMy name isが身体にしみこんでいる結果でありましょう。

今年度から英語が始まった、まもなく10歳になるムスコのテキストにはMy name isがちゃんとありました。

ただ、その対訳がMon nom estと直訳で、フランス語の自己紹介でそういうふうに言っても間違いではないものの、ふつうは言わないです。

ふつうは握手しながら「ぐちぐち」とこう下の名前だけ素早く言うのみ。

フランス語の初心者時代はやっぱりこれだけじゃ物足りない気がしたもンでした。


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勢いあまってフラッシュが緑色に反射しちゃいました。窓ガラスを入れたり「力仕事ならまかせて」という会社らしいです。

前菜は、トマトとさいの目エマンタールチーズのサラダ
主菜は、七面鳥ささ身のカツ、じゃがいもとキャベツのスープ煮ピューレ、いんげん塩茹で


立ち呑み日記・「ウエー」 [追究]

「ウエーやだー」
と、トマトの肉詰めがオーブンから出てきたところで、9歳のムスコ。

ムスコはこれがニガテなんです。だからこそ本日は同じたねでキャベツ巻きも焼いてあります。

トマトの肉詰めは12歳のムスメのリクエストなんですが、ムスメは時に詰め物なしのトマト焼きも食べたがります。

が、ムスコがいやがるのはまさに、トマトが焼いてある、この一点なんですね。

ムスコいわく、
生でおいしく食べられるのになんでわざわざ焼かなきゃならないのか。

トマト、とこう言われると打てば響くように口のなかがさっぱり、ひんやりを迎え入れようと準備が整うところ、予想外の温度とずくずく感に「ウエー」となるんだそう。

気持ち、わからないこともないです。

ホラ、夏盛りの暑い日に慣れない町でノドが渇いてようやく見つけたおばあさんが一人で切り盛りしているような古色蒼然たる店でコーラを買ってあおったらお燗がついていた、なんてこと、時にありますよね。

このときの「ウエー」は他に追随を許さないまでの「ウエー」。

しかし概してこういうことって、あるものです。学生時代の友人チカちゃんもまた、ムスコの肩を持つと思います。

ワタシらはおとしごろで甘いもの食べ盛りでしたが、チカちゃんは果物のジャムやコンポートが
「しんじらンなーい」
と、当時よく言ってました。

果物は生で十二分においしいのに、なぜわざわざ加糖して煮詰めないとならないの? それって果物に対する冒涜とか思うしィ・・

ベトナム人もまたムスコとチカちゃんの肩を持ちますね。

近所でベトナム食堂をやっていたご主人がおっしゃってましたが、ベトナム人はミントなどの各種ハーブのほかにもやしやら千切りニンジンやらの生野菜をたーっぷり添えて食べるのに、煮込みものに入っている野菜となると眉間にシワよせ押しのけるのだそうです。

なぜというに、生でないと新鮮さがまるで感じられず、
「まずいとしか言えんね、ウエー」

日本料理の雄お寿司も、日本人なら誰もが好きかというとそうではないことをある日知りました。

お刺身とあつあつの白いご飯の組み合わせは大・大・大好きだけどお寿司などもってのほか、と、その方はおっしゃいます。

何がダメって酢飯が信じられない、あのうすら酸っぱくて熱くもなく冷たくもない人肌の温度がもう、もう、
「ウエー」・・

せっかくの鮮魚になぜそんなもの添えるのか、冒涜であるッ、と、たいへんな剣幕です。

これらはみな、頭に思い描く味と異なるところから「ウエー」となるわけです。

克服するにはどうしたらいいんでしょうか・・

「克服? とォんでもない」
と、うちのオット方の親戚に世界各地の珍味佳肴を食べ歩いているたいへんな食通がいるんですが、この人は肩をすくめました。

食通の親戚は、フルーツヨーグルトなど、甘味のついた乳製品が、
「ウエーあり得なーい」。

フランスではフレッシュ生チーズに砂糖をかけてデサーにしたりするんですが、食通の生まれ故郷のリヨン地方では塩コショウで食べるところから、この味の慣れは断じてくずせない、とのことです。


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大通りで引っ越し中。このハシゴはどんどん伸び最上階まで行きました。

前菜は、トマトと千切りニンジンのサラダ
主菜は、七面鳥腿肉ロースト、じゃがいもと豆腐おからのピューレ、いんげん塩茹で


立ち呑み日記・告白の言葉 [追究]

昨日、日本・フランス・スペインの三種三様の求愛法をかいま見るうちに、もう少しつっこんだところが知りたくなってきました。(昨日の立ち呑み日記をご高覧くださいませ)

世の普通の人々は、どんな言葉で求愛しているのか。

言葉でなくとも、アフリカの男女は向かい合って踊るダンスのしぐさで感情が行き来し、みごと結ばれると聞きます。

あと、ラオスだったかミャンマーだったかの少数民族の求愛ボール投げ。若い男女がグループで輪になってボールの投げっこするんですが、意中の異性に集中的にパスする。

投げ合いながら次第に男女の組が出来ていくわけですが、このときことさらに言葉はなく、見つめ合ってボールをパスし合いながら高まっていく気持ちたるやいかばかりでしょうか。

若いっていいなァ・・

言葉派のほうはどうでしょう。

メールなしでは日も暮れない今日、幸いなことに「告白の言葉」とこう検索すると、日本語もフランス語もずららららーッとページが出て来ます。

今日ビ愛の告白といったらメールが当然なんですネ。

でも、日本語とフランス語のそれを読み比べてるとなんとなあくですけど、違いがあるみたいなんですヨ。

まずは日本語のほうから。

「好きだ!」
「お前と友だちやめるわ、今から彼女に変更してよ」
「君を幸せにできるのはぼくしかいない」・・
等々、スペースの都合上文章の短いところから選んでみましたが、当然ながら多種多様です。

が、一本共通するところがあると思うんですね。

何かといいますと、ねるとんで「お願いしますッ」と命運を賭けて手を差しだすように、「イエス」か「ノー」かの究極の答えを最終的に求めている感じ。

万にひとつ「ノー」が来ちゃったら、玉砕。この後の失恋の絶望感たるや想像するのも辛いくらいです。

ところがフランス語のほうはまた違うんです。

まずは、「好きだ!」に相当する「Je t’aime!(キッパリ)」みたいなひと言言い切り型が、見当たりません。ジュテームJe t’aime!は前提事項とでもいいますか告白はここからで、しかも文章が長いんです。愛しのあなたをどれだけどんなふうに好きか、かくかくしかじかに素敵か、めんめんと綴る。

あなた礼賛の部分が必ず含まれるんですね。

きのうの立ち呑み日記で、南米コロンビアでは男性が女性の窓の下で愛のセレナーデを謳い上げるならわしがある、とのことでしたが、まさにこれなど礼賛、それも窓の下でといったら公衆の面前の礼賛です。

「あなたは太陽のように美しい・・」
のような言葉を尽くした礼賛は、日本女性の耳にはやはりそらぞらしく通り過ぎるだけでありましょう。

告白のあとは、その愛が成就か否か、ということになっていくわけですが、フランスの場合はそうキッパリしていない気が、します。

すなわち、仮に色よい返事が来なかろうが「玉砕」とはとらえず、第二段、第三段と言葉を代え品を代え懲りずに再チャレンジする。

あるいは気持ちを吐露しきったところで、やるだけのことはやったと満足感を得る。

不首尾に終わったところで、またぞろ別の人へ恋に落ちるわけですしね。


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ボジョレー・ヌーヴォー、召し上がりました? パリのスーパーでは1本3.9ユーロ(約600円)でした。ただ今円安ユーロ高で1ユーロ152円なのでこの計算(涙)。1ユーロは100円であらまほしき(そうすると1本390円の計算になる)。

前菜は、トマトとマカロニとゆで卵のサラダ
主菜は、鶏肉のアシ・パルマンチエ(水炊きの残り鶏肉とじゃがいもピューレのグラタン重ね焼き)、いんげん塩茹で




立ち呑み日記・愛を語る [追究]

残り野菜をおテンコ盛りにのせた即席ラーメンのお昼を食べながらなんとなくJSTV(欧州向け日本語衛星放送)をつけたら、NHKEテレ(教育テレビ)の語学番組がやってました。

JSTVはNHKが中心なので、日中はこのテの番組が主なんです。

ただ今はスペイン語講座で、この日はたまたまフランス語講座の先生がゲスト出演しているもよう。西と仏、それにわれらが日本勢のフクシマ先生とイケメン男性生徒でなかなか国際的です。

本日の目玉企画は、
それぞれの言葉で愛を語ろう、
というものでした。

愛を語られるのは講師のお一人で南米コロンビア出身の知的美女。西・仏・日の男性陣それぞれ母国語で求愛し、もっともグッときた表現者へ彼女からホッペにチューがもらえる、という流れです。

ホッペにチューといったら日本ではなかなかに親密な愛情表現ですが、スペインやフランスではほんの挨拶程度なので、彼女も照れることなく堂々としています。

まずはスペイン人講師の男性がじゃんじゃかとギターかき鳴らしてスペイン語で愛を謳いました(日本語の字幕が出ます)。

素敵なあなたとこの場にともにいられてとても嬉しい・・
というような、知的美女を惜しみなく率直に賞賛する歌の自作自演。

スペイン人男性ってほっこり温かいですネ。

次はフランス人、彼は自作の詩の朗読です。

あなたは太陽のように美しい・・
と、韻もちゃんと踏んでまばゆいばかりの形容表現がちりばめられた、ヴィクトル・ユーゴーもかくやの出来栄え。

彼は15歳のころから詩作に親しんで来たそうで、フランス男は言葉に気持ちを託して贈る、というような解説もなさいました。

さていよいよわれらが日本のイケメン青年です。

結論から先に言わせていただきますと、
「エ、そ、それって愛なの?!」
と、仰天のあまり鼻からラーメンが出そうになりましたぞよ。

ある川のほとりにカエルくんとサソリくんがいました・・
と、日本人のイケメン青年はお始めになりました。

(動物に託すとはアニメの国の青年だなあ・・)
と、求愛を見守ります。

サソリくんはカエルくんへ川を渡るのに背中に乗せてくれと頼みますが、カエルくんは断ります。
「だってサソリくん、きみはぼくを刺すだろ?」

「絶対刺さないよ」
との約束で、カエルくんはサソリくんを背中に乗せ川を泳ぎ始めますが、行程半ばでチクーッと鋭い痛み。
「サソリくんやっぱり刺したね」

「カエルくん、ぼくはサソリなんだ、刺さずにはいられないんだ!」

「ぼくはサソリなんだ」
と、日本人青年。「きみを愛さずにはいられないんだッ!」

そ、それって愛じゃなくて支配じゃないのッ?!

ただまあ、日本人男性が日本語で、
きみは太陽のように美しい、
なんて語ったところでそらぞらしいだけ、というのも、確かにあります。

コロンビア人の知的美女は、スペイン男性の自作自演ギターをお選びになりました。

コロンビアでは男性が女性の家の窓の下で愛のセレナーデを謳い上げるならわしがあるのでそれをほうふつとさせられた、とのことでした。


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今朝はいつにない霧でした(午前9時です)。

前菜は、トマトとさいの目エマンタールチーズのサラダ
主菜は、ビーフフランクフルトソーセージ、じゃがいものスープ煮、いんげん塩茹で

立ち呑み日記・ナポレオン帽 [追究]

ナポレオンの例の両ツノ帽子が競売にかけられ、188万ユーロ(約2億7000万円)で韓国の会社経営者が落札したそうですってネ。

当初の予定の5倍の値段だそうです。

この帽子は1800年、ナポレオンがマレンゴの戦いのときに被ったもの。ナポレオンに傾倒していたモナコ大公ルイ2世、現アルベール2世のひいおじいさんだそうですが、この方のコレクションだったもので、今回の競売の目玉だったそう。

フランスが唯一戦争に強かった時代の名残を、本国の誰かが落札できなかったのかなあ・・とも思いましたが、ナポレオンの両ツノ帽子はあと18個現存しているのだそうです。

唯一絶対の帽子を後生大事と身に着けてたわけではないんですネ。

ナポレオンといえばあの帽子、とこう打てば響くように思い描くまでになってますからナポレオンが独自にデザインしたのかとつい思ってましたが、西欧では軍隊の将校の正式帽として広く被られていたものなのだそうです。

ただ、被り方の向きにいろいろあり、多くは両ツノをナポレオンのように左右でなく、前後に来るように、被る・・

・・・・アアあれ同じものだったの、と、ワタシなど改めて知りましたが、9月と6月のフランスの入学卒業の時期にパリの学生街ではエコール・ポリテクークという軍隊付属の理系超エリート校の生徒が式に列席するのに制服制帽でウロウロしているんですが、彼らの制帽がまさに頭の前後に両ツノの来るそれなんですヨ。

そういうモロモロを思い出しつつ、ニュース記事の韓国へお嫁入りするナポレオンの帽子を眺めていたら、そういえば、と、思い出しました。

早野凡平、って、いたナ。

黒くて丸い、つばのとれる帽子に素早く形をつけ、牧師さんになったり、カウボーイになったり、変幻自在に形態を模写する芸でいっせいを風靡しました。

もちろん、半円に折って被りナポレオンにもなりました。

見たところただの黒いベレー帽なのになんであんなに目ざましく形が変わるのか、われわれ子どもはテレビ画面に釘付けになったもンです。

この芸、あんなにおもしろかったのに後に継承されませんでしたね。

あれはやっぱり、学生帽が廃れて帽子になじみがなくなったからでしょうか。学生帽は昭和40年代まではごく普通に被られていました。

東海林さだおの『青春記』に、学生帽のことが言及されています。

大漫画家は一浪して早稲田に入るんですが、浪人中何が辛いって、被るべき学帽がないのが「心から辛かった」。何か被ったにせよ帽章がないので街を歩いていてもひと目で浪人とわかってしまう。

学生帽は、頭髪の学則が緩くなり個人の自由が尊重されるようになるに従い風化していったようです。

「ど根性ガエル」や「ドラエもん」「サザエさん」などには学生帽は当然のごとく登場しています。

われわれ子どもがこれらのアニメにかじりついていた同時期に、早野凡平もまた飛ぶ鳥を落とす大活躍だった。

ずいぶん前に鬼籍に入られたのではなかったかなあ・・
と、調べてみたら、なんと50歳というお若さだったそうです。

あの芸を、また観てみたいです。


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リュクサンブール公園を横切りながらパチリ。

前菜は、バジリコ風味トマトとさいの目エマンタールチーズのサラダ
主菜は、牛挽き肉ステーキ、カレーソースとミニマカロニ、パプリカの焦がし焼き

立ち呑み日記・水洗の(小) [追究]

水洗トイレの(小)レバーは必要か?
という記事を、ライブドアニュースで読みました。

記事をお書きになったのは37歳の男性記者で、つねづねこの疑問を抱いていたとのこと。生まれてこのかた(小)で済ませたことはなく、最終的に(大)でジャーッとやってきた。

今回思い切って日本の二大水洗トイレ会社に電話して聞いてみたところ、二社ともに同じ答えが返って来たそうです。

「(小)で流せます」

ただし、紙を大量に使うと流れません、つまりは男性の小の用足しのための(小)です・・

今後は(小)レバーを推奨するぞ!
と、力強くまとめておられます。

この記事に、なかなか深―く考えさせられましたね。

長き歴史のなかで男女同権は女性たちがたゆまず望み努力してきたことですが、こと水洗トイレ、正確を期しますと家庭内における水洗トイレに関しては今日、同権どころか女性上位では、ないでしょうか。

そもそも水洗トイレの(小)を開発し導入したのは、男性でありましょう。ホラ、「あさがお」の代わり。

パリにもその外観から「エスカルゴ」と呼ばれた男性の小さい用足し限定の公衆トイレが以前はそこかしこにあったようです。

現在はシャンゼリゼ大通りやリュクサンブール公園などのうんとうんと目立たないところにひっそり残るのみ。

男性専用はなぜ絶滅に向かったんでしょうか。街に繰り出す女性たちのニーズに応え、男女ともに使えるように軌道修正したのか。

だいぶ前にお亡くなりになりましたが、フランス有史以来初の、女性で政務次官をおつとめになった方からお話しをうかがったことがあるんですが・・

政務次官執務室には専用トイレがついていたそうで、ただしそれは「エスカルゴ」に同じく男性の小さい用足しのみのそれだった。

女性はこれでは用が足せませんから座れる便器に工事してもらったところ、「公権濫用!」と、ひと騒ぎする一派が出たそうな。

「女性キャリアはこんなバカバカしいことにも戦わないとならなかったのよ」
と、ひょうひょうとおっしゃるお姿に、頭下がる思いでした。

今、トイレに「あさがお」のある家庭って、あるんでしょうか。

それどころか、
「オトーサンッ、飛び散るから座ってやってってゆってるでしょッ」
と、厳命下され、女性同様の態勢を余儀なくされている、どころか、このほうがラクとわかってすっかり慣れっこになっている殿方は、あんがい多いのではないでしょうか。

どうしてと聞かれると答えに詰まるんですけど、この態勢で用をすませるわれわれ女性はたとえ使う紙ほんのちょっぴりでも(小)で流すのは心もとないことこの上ないです。

(大)でともう脊髄反射的にレバーを左方へねじらずにいられない。

ワタシら世代の幼少時代はぼっとんトイレから水洗への移行期で、ことに洋式水洗トイレには
「(小)レバーは男性の小用に」
なんていう説明の入った使い方のステッカーがタンクのところに貼られていたりしていたものでしたが。

この記者の方、その後ほんとうのほんッとうに(小)レバーのみを実行なさってるんでしょうかネ。だとしたら、がんばらなくてもいいようにも思いますぞ。


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不精して窓からパチリ。11月半ばですがそんなに寒くない週末です。

前菜は、かぼちゃポタージュ
主菜は、鶏ロースト、簡易クスクス、パフリカのフライパン焼き、グリーンサラダ


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