立ち呑み日記・江戸小路 [追究]

今回の一時帰省は羽田発着だったんですが、羽田国際空港には江戸の町を模した一角があり、にぎやかなイベントが催されていました。

江戸の街からタイムスリップしてきたような扮装の方々が、時代劇の一シーンのごとく闊歩しているんですね。お侍さんあり、町人のお兄(あに)いさんあり、女野菜売りあり、お奉行様までも街に繰り出している。

これから飛行機で本国へ戻る外国人観光客たちがこぞってカメラ向けてましたヨ。お江戸の善男善女とともにフレームにおさまっている方もたくさん見かけました。

と、そこへにぎにぎしくやって来た、花魁道中・・

・・ウーム、と、見送りながらつい腕組んじゃいましたヨ。

けばけばしいお召し物といい、四方八方から頭にささった鼈甲(べっこう)色の簪(かんざし)といい、確かに大いなる華をもたらしますが、もうちょっとこう違った人選で、江戸のきらびやかな女性を登場させられないものなんでしょうかネ。

だって花魁といったら教養があり自らお客を選び、財力に長じた大人物のみ、それも何度も足を運んだ挙句でないと親密な関係になれない、と、喧伝されますけど、そういう側面は、マ、きれいごとで、その実像は金銭で身を売るセックス産業の犠牲者ですゾ。

極貧家庭から身売りされて借金に縛られ、お大尽から身請けされる以外に自由などこれっぽっちもなく、多くの末路は梅毒に苦しむ。

そういう、衣装だけ見たら華やぎながら悲しい宿命の女性をですね、外国人旅行者も多いところでお江戸の素敵な存在のごとく登場させるのはいかがなものか、ト、かように思うわけでございます。

他に華やぎの代打はないんでしょうか。

大店や上級武士のお嬢様なんてどうでしょう。

当時はこういうやんごとなき姫たちも海辺へ潮干狩りに繰り出したそうで、男たちはおみおつけの実にする貝を熱心に獲るというより、美女ウォッチングに精を出したものなんだそうです。

こういう深窓の令嬢は独りでは出歩かず、必ず複数のお供がつきますから、潮干狩り道中はなかなか壮観になります。

ただ、こういうお嬢様がたは自活しているわけではないんですね、女性が職業をもって当たり前の今日、海外からの賛同を得られるでしょうか。

花魁はそこいくと完全なる自活労働者です。

(大奥)
と、わが貧弱なる頭脳に天啓が走りましたね。

大奥こそ当時最高の女性キャリア集団、しかも華があること間違いなし。

御年寄(おとしより)、というのが最高身分で町屋敷を与えられることもあったといいますから、大奥連中(れんじゅう)が市中に繰り出してもおかしいことはありません。

中臈(ちゅうろう)が将軍とその正妻のお世話係で、ここから将軍の側室が選ばれるところから容姿端麗な女性ばかりだったといいます。

その下の御小姓(おこしょう)が将軍の正妻の小間使いで7歳から16歳ぐらいの少女が多かったそうで、大奥はさながらAKB48グループのごとく後続もまた控えているわけです。

どうです、むしろ花魁道中より華やぐくらい。

羽田国際空港関係者は、ぜひともご一考いただきたく、お願いしたい次第でございます。


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今が一番太陽のない季節。これで夕方6時です。朝も8時半近くまで真っ暗です。

前菜は、ニンジン千切りサラダ
主菜は、牛(フォーフィレ)ステーキ、にんにく風味じゃがいもピューレ、いんげん塩茹で

立ち呑み日記・ドイツ人気質 [追究]

ドイツ人ってどんなこと考えるのかなあ・・
と、目下思いを馳せているところ。

ドイツはフランスのお隣りで、鉄道ならパリから2時間半もいけば国境を越えます。

わがオットと同姓の亡くなった親戚がドイツ人で、生前たまにパリに遊びに来ましたが、ドイツ人気質がどんなだかまではよくわかりませんでした。

ひとつ言えたのは、顔を合わせるとフランス方(がた)はすぐ子どもの頃おいしかった食べ物の話を始め、ドイツ方(がた)は静かにそれを聞いている。

バカンス地の評判でいうと、ドイツ人といったら顕著です。

どんなに朝早く起きようが、プールサイドの寝椅子にドイツ人が場所とりのタオルをもう敷いている、というのが、欧州人の口によく上る「ドイツ人あるある」。

エコに並々ならぬ関心を持っている、というのも顕著です。

緑の党の躍進以来、どのスーパーでもレジを出たところに資源ごみ箱があり、今買ったばかりのものから紙類をメリメリ剥ぎ取り即座にポイするのだそうな。

常に最悪の状況を想定する悲観的な性格、論理的で感情論に流されず、政治に国民が強く関心を持って議論を尽くす、というのも、大きな特長だそうです。

その最大の例が、環境や安全をかんがみた結果、原発を廃止し、他のエネルギーに切り替えることとなった決議。

議論の際は全精力つぎ込んで多方面から喧々囂々(けんけんごうごう)、ところが一歩決議が出てしまうと今度は疑問を挟むことなく従う、という性質もあり、これなどはヒットラーの時代に悪い方向へ突き進む要因となりました・・

・・とまあ、なぜこんなにドイツ人気質のことを考えているかといいますと、つい先ごろ食器洗い機を新しくしたんですね。

初代に引き続き、品質に定評あるドイツ製です。

初代はなにしろ16年もちましたしね。この間、時に不具合もありましたけど、取扱い説明書が明快に方向を示してくれました。

洗浄半ばで止まってしまった場合、
「『おたま』を用いてまず水をかきだします」
と、使うべき道具まで具体的に明示。

今度の新しい機械は、これまでダイヤルだったところが電光掲示板になっただけで、使い方はおおむね同じです。

ダイヤル時代は1時間半の行程の「3」を、いつも選択していましたが、新しいものには同じ行程が「エコ」と名付けられています。

「『エコ』をお選びになるのが経済的にも環境にもおすすめです」
と、説明書にもハッキリ記されていました。

ところがこの『エコ』、3時間半もまわるというんですね。なぜにまたそんなにも時間がかかるのか・・

・・と、仰天しつつ説明書と照らし合わせて機械を見ていると、「スピード」なるボタンがある。

「『スピード』ボタンを合わせて押すと時間が半分以下に短縮され、にもかかわらず洗い上がりは同等です」

つまり、「エコ」と「スピード」を合わせて押せば3時間半の行程が1時間半ですむ、ト。

だったらですよ、なにも「スピード」ボタンなどつけず最初から1時間半の行程のみでいいと思うんですけど、ドイツ人はなぜこんな方式を採用したんだか、知りたくてたまりません。

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 一年ってホンッと早いですネ、もうクリスマスです。

前菜は、トマトとツナのサラダ
主菜は、七面鳥ささ身のムニエル、野菜クスクス、グリーンサラダ
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立ち呑み日記・アンニュイ・・ [追究]

なにもカタカナ語で言わなくとも日本語でいいのではと思うビジネス単語ベスト10、という記事を読みました。

ベスト3は、これです。

1位 リスペクト
2位 メルシー
3位 カンファレンス

ビシネスの場で「メルシー」なんて言うんですネ、ちょっと意外。万事英語ばやりのご時世で、なぜフランス語を採用していただけたんだか。

「課長、資料がそろいました」
「メルシー!」
なんていうシーン、ひと昔前なら給湯室で鼻白まれ、課長はキザ男の烙印を押されるばかりだったような気がしますが。

「昔も今もなく日本語の『ありがとう』でいいっつってるの」
というお声が聞こえてきたようですが。

しかり。そういう記事でした。でも3位の「カンファレンス」は医療や学術の業界用語のような気がしないでもないです。

堂々1位の「リスペクト」はどうでしょうか。この言葉、日本語に戻そうにも相応の日本語がない気がします。

「オレ、開発部の片山さんのことリスペクトしてるんだ」
と、いうふうに使うのでありましょうが、では「オレ」は片山さんを「尊敬」しているかというと、必ずしもそうとは言えない。

尊敬といったらエジソンやら福沢諭吉やらに抱くような全幅の敬服で、片山さんに対してはそこまでの崇拝はない。

一目置いている、というのが一番近いと思うんですが、その上から目線ではなく、対等の立ち位置から
敬意を示しているのが「リスペクト」、ではありますまいか。

そうやって考えると、カタカナ語を目の仇にするものでもない気がしてきます。

カッコイイと思うカタカナ語は何?
という、中高生向けのフォーラムを見つけました。

カオス、アポカリプス、サンクチュアリ、レーゾンテートル、アイデンティティー等々、なるほど中二病ここに極まれり。

エレジー、ラプソディー、スケルツォ等、音楽用語が多いのは、思春期は音楽に目覚め没頭する時期だからでありましょう。

「ドロップス」を挙げている人が複数いたんですが、これ、オバサン(ワタシです)には分かりかねます。

サクマ式ドロップスのどのへんがカッコイイの?

目を凝らし、ずらららーっと列挙されているカタカナ語を追っていて気づいたんですが、ワタシらがカッコイイと思いこみさんッざん口にした、
アンニュイ
が、入ってない。

「メランコリー」はでも何度となく挙がってるんですヨ。

当時は日本経済に青空が広がる時代だったからこそ
「アンニュイ・・」
などとお気楽に気取っていられたのが、バブル経済を越え低迷するばかりの世の中となったあかつきには、メランコリー(気鬱)は時代の空気となじみやすいものの、倦怠などただの「うんざり感」、なの、やも、しれません。

ネットカフェにこもって「アンニュイ・・」とつぶやくばかりの若者、とこう考えてみればわかりますが、オシャレどころかシャレにならない状況です。

では逆に、カタカナで言ってもいいのに日本語で言うほうがカッコイイ言葉って、どうでしょう。

シャンパン、なんかそれ。

「泡」
と、フェイスブックの投稿などではみなさん手慣れた感じにそう呼んでおられます。


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信号でパチリ。この秋は暖かでしたが、いよいよ寒くなって来ました。

前菜は、カボチャのポタージュ
主菜は、仔牛エスカロップ(薄切りステーキ)のクリームソース、ニンニク風味じゃがいもピューレ、いんげん塩茹で

立ち呑み日記・むずかしい翻訳 [追究]

翻訳がむずかしい外国語、という記事をニュースサイトで見つけ、ヘーエとおもしろく読みました。

たとえば、ノルウェー語のutepilsという単語。

「ビールを飲みながら日光浴する」
と、これだけのことをたった一語で表してる。

どうです、夏が短い北欧のシヤワセな時間が凝縮されているのに唸(うな)らされるではないですか。

そのお隣りのスウェーデン語には、gökotta。

「鳥の声を聞くために早起きすること」
だそう。

なるほど森の国なのだなあ・・

ラジオ体操をするために早起きすること、を、意味する日本語の単語がないのが惜しまれますね。

中欧のユダヤ人が口語に使っていたイディッシュ語からは「シュリマズル」が紹介されていました。

「シュリマズル」は運が常にない人のことで、
「そんな名詞がなぜあえて必要なのだろう」
と、記事の書き手は首をかしげておられるようでした。

うちはオトーサン(ワタシのオットです)がユダヤ系なので、この言葉はワタシも以前から耳にしたことがあります。

「シュリマズル」は、「シュレミエル(善良なる間抜け)」という言葉と組になって初めて、その存在意義がわかるようになっているんです。

すなわち、
「シュレミエル」が、たとえばたっぷりジャムをぬったパンを口に運ぼうとした矢先に相も変わらずズッコケて、手から離れちゃう。
で、そのジャムつきパンがまたしてもという感じに服にべっとり落っこちて来ちゃうのが、「シュリマズル」。

往年のマルクス三兄弟の映画にでもありそうです・・

・・と今こう書いていたら、
「イタリア語ってすごいんだよ」
と、1980年代後半のパリの語学学校時代、クラスメイトそろって誰かの下宿に集まった学生パーティーで、フランス文学研究者のたまごの日本人青年が安ワインに酔っ払ったところで、感に堪えないように言っていたのを不意に思い出しました。

クラスメイトにはイタリア人青年もいたんですが、男子連が呑んで顔寄せ合うとなれば、マ、国籍関係なくワイ談が始まるわけですナ。

「『女性のオッパイの間でオチンチンをこする』、イタリア語にはこれをたった一語で端的に表す動詞があるというんだ」

パイずり、と、今では日本語にも単刀直入な単語があるようですが、この言葉はわれわれの学生時代から10年を経た1998年ころから使われるようになったもよう。

フランス語で何かないかなあ・・
と、考えてみると、在フランス日本人の間で日本語に置き換えられない単語って、やっぱりありますね。

エキバランス、という名詞などがそれ。

「日本の高卒とフランスのバカロレアにはエキバランスがある」
「日本の医師免許とフランスのそれにはエキバランスがない」
と、いうふうに、学校や免状関連の会話にしょっちゅう出て来る単語です。

同等価値、と、仏和辞書には書いてあるものの、話し言葉としては使いづらいです。

日本語から翻訳できない言葉、というのもありそうです。

ただ、昨今喧伝されている
「『もったいない』は日本唯一の言葉」、
というのは、ホントなんでしょうかネ。

dommade(ドマージュ)、
と、フランス語にはピッタリ置き換えられる言葉が、ちゃんとありますヨ。


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通りがかりにパチリ。ノートルダム寺院の背後です。

前菜は、トマトと千切りニンジンのサラダ
主菜は、牛挽き肉ステーキ、チキンなしのチキンライス、いんげん塩茹で

立ち呑み日記・ロガリスム [追究]

わが人生においてフランス生活の期間が占める割合ってどのくらいかナ、ということに、ワタシはつねづね深い関心を抱いているんですね。

みなさんもそうじゃないですか?

生まれ故郷を離れてからの日々と親元にいた日々との比率といいますか割合って、気になりません?

ワタシはといえば、昨年とうとう、我が人生で日本での年月よりパリ生活の方が、長くなりました。

が、年月は確かにそうですが、そんな単純計算で、ホントにいいんでしようか。

だって考えてみてくださいヨ、20歳にとっての1年間は、40歳なら半年ということになる。ワタシも20歳のころ、1年といったらそりゃもう長かったです。1週間でさえ長かった。

1年のなかに、あまたのコンパあり、期末テストあり、学期休みあり学園祭あり、恋あり失恋が、あった。たくさんの映画を観て読書して、バイトにも精を出し、友と顔を合わせれば長々とお茶した。

それが40歳さえひと昔前となった今は、1年など「あっ」という間ですからね。ついこないだ新年を迎えたのに、まもなく年の瀬。

その縮尺でいったら、ワタシのパリの日々が人生の半分以上とほんッとうにいえるものなんだか。

こう測ってみたらどうでしょう。

「人生において1日が占める割合」として考える。すなわち、生まれた日で1/1、次の日が1/2、その次の日が1/3・・・と、順繰りに1/365までたすと、「満1歳の人生における1日の割合」となる。

2歳なら、1/366たす1/367たす1/368たす1/369・・・で、365日後の1/730まで。

こうやって足し算していけば、人生におけるある一定期間がどのくらいの割合になるのか明快になる、ン、じゃ、ないかなあ・・

どうです、われながらノーベル賞級のアイデア・・

・・テナことを、晩ごはんのときにワインをクイクイやりながらオット相手にダベッたんですね。

「ロガリスムだね」
と、理系のわがオット。1/1+1/2+1/3+1/4+1/5・・と、いうように順を追っているものを「ロガリスム(対数)」というんだそうです。

オットは、中学生のうちのワルガキがそのへんへ出しっぱなしにしていた、数学の授業で使う関数計算付き電卓に手を伸ばし、ポチポチやって1歳から5歳までたちまち算出しました。

「小さくて打ち間違えそうだから、あとはパソコンで計算するネ」

その結果が、こうです。

1歳  6,477
2歳  0.693
3歳  0.405
4歳  0.288
5歳  0.223
6歳  0.182
7歳  0.154
8歳  0.134
9歳  0.118
10歳 0.105
11歳 0.095
12歳 0.087
13歳 0.080
14歳 0.074
15歳 0.069
16歳 0.065
17歳 0.061
18歳 0.057
19歳 0.054
20歳 0.051
20歳~30歳 0.405
30歳~40歳 0.288
40歳~50歳 0.223

20歳までを全部足してみると、9.472。なるほど、二十歳までの日々は人生の中で占める割合が圧倒的。

「ただ、これって『記憶』については考慮に入れてないよね」
と、オット。

確かに、満1歳までの数値は群を抜いて高いながら、この時期の記憶といったら茫洋たるものです。

それにご覧になってのとおり、5歳の1年間と40歳から10年間の数値が、同じなんです。育児と家事と仕事に精一杯の10年間と、幼稚園年長さんの1年が同じでいいものやら。

ウムムム・・この計算、どうやら失敗でありましょうナ。


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歩きながらパチリ。

前菜は、カボチャポタージュ
主菜は、牛ステーキ、じゃがいもニンニクソテー、いんげん塩茹で、グリーンサラダ







立ち呑み日記・抗議マニフ [追究]

フェイスブックを開いたら、9月21日の国際平和デーに先がけてパリ市内で在パリ日本人による安保法採決への抗議デモがあるというので行ってみました。

フランスの平和団体が主催するデモに、戦争法およびその採決のされ方に異議をとなえる日本人グループが
「いっしょにやっていいですか」
と聞いてみたら
「どうぞどうぞ」
と快く受け入れてくれたのだそうです。

日本では、若者を中心にデモが根付きつつありますよネ。とはいえまだまだデモと聞くや「直訴」「一揆」のたぐいと敬遠する方々も多いようにも思います。

ワタシもまた日本語で「デモ」と言われるといまだに、ヘルメットに角材持って機動隊ともみ合うさまが真っ先に頭に浮かんじゃいます。

ところが、フランス語の口語で「マニフ」とこう聞こえてくると、タイコがタカタカ、他の楽器も適宜鳴るなか思いのたけを書いたものを首から吊るし、ないしはそのボードを旗のようにかつぎ、あるいは別にこれといったものを持たず、老若男女が好き勝手にのろのろ歩きしているさまが見えてくる。

「マニフ」もとい「デモ」は、おのおのの主張を発揚する場です・・

・・とはいえワタシだってバブル世代ですから慣れているというわけではないんです。うちのフランス人のオトーサン(ワタシのオットです)ならマニフといったら水を得た魚なんですが。

告知版に示されていたメトロ駅を出ると、日本人会で顔見知りの男性が、前と後ろにフランス語でスローガンを大きく書いた紙のちゃんちゃんこをまとって立っておられました。

「ABE A BAS(アベをはずせ)」、
スローガンは見た目もすっきり、韻をふんでいてすばらしい。

つい先日、パリのマニフというと中心の場となるレピュブリック(共和国)広場で在フランス日本人70名からが集まった戦争法案抗議マニフがあり、
この時に作られた標語だそうです。

「歌もあるんですよ」
と、その男性。

「男と女」のメロディーで、というのがいかにも在フランス風ですが、♪ダバダバダ、ダバダバタ~・・を、
♪アベアババ、アベアババ~・・

「弱っちいのよね歌うと」
「そうそう、闘争っていうより海辺で恋しちゃってる感じ」
と、プラカードかついだお仲間の女性お二人がニコニコなさいます。
「でも武力で抗議するわけじゃないしね」
「そうそう、平和な感じがいいワ」

全体を主催する平和団体の方々は、世界各地のあやつり人形を生きているように動かしながらあの人この人と語り合っています。それを縫うように、ギター抱えた茶褐色の肌の男性がフォークソング風の歌を歌っています。

和やかなマニフです。

「日本の方々ですね」
と、60がらみのフランス人マダムに話しかけられました。

マダムはもともと社会学者で、ユネスコと連携してレバノンをはじめとする中東の平和団体を主宰していているのだそうです。

日本人の一団は初対面どうしが多く、おたがい自己紹介しあったりしました。

「写真とりまーす」
と、日本の抗議デモの主催者の方が手をメガホンにして内心ふつふつと怒れる日本人たちを集め、プラカードとともに写真におさまりました。


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「ケバブ」の看板は下から火で炙っている感じがよく出てるんですヨ(写真がヘタでその『感じ』がうまくつたわらなくてすみませぬ)。

前菜は、カボチャのポタージュ(の残り)、トマトサラダ
主菜は、コルドンブルー(七面鳥ささ身のハムチーズはさみフライ)、白隠元豆とさいの目ニンジンのトマト煮込み、いんげん塩茹で、グリーンサラダ



立ち呑み日記・おいしいもの [追究]

土曜日のお昼。

冷蔵庫の残り物のやりくりもなかったので、
「何食べたい?」
と、朝からのーんべんだらりとゲームにかじりついている10歳のムスコに訊ねました。

「おいしいもの」

おいしいものってなによ? と、つきつめようとした矢先、
「ピザとか」

ムスコは無類のピザ男。それも具ののっていない、トマトソースとモッツァレーラチーズだけの「マルガリータ」が大大大の大好物なんです。

「おいしいもの」がピザとはねえ・・
と、つい考えこんじゃいましたヨ。

ワタシがムスコの年齢のころ、おいしいものといったらこれはもう
「エビグラタン」
と、即答でした。

表面がこんがり焼けてジューッと熱く、パン粉がキツネ色にざくざくして、刻みパセリの緑がまばゆい。

かぶりついてどんどん平らげたいのにあふくてあふくて(熱くて熱くて)、フーフーしながらマカロニ一、二本ずつしか口に入れられないのがもどかしかった。

うちにも家族の人数分のグラタン皿がありましたが台所に天火が無かったので、オカーサン(ワタシのオカーサンです)は茹でマカロニにホワイトソースをかけたグラタン皿を蒸し器であッつあつに蒸したところが出てきたものでした。

ピザもまた、そのころ東京近辺ではもうめずらしいものではありませんでした。

パンダのカンカン・ランランが上野動物園に来た年、ワタシは今のムスコより2歳年下の小学3年生でしたが、何かの都合で給食代わりにお弁当の日があって、級友の一人がおかずにピザを持ってきたんです。

丸い一枚まんまでなく、切った二、三片が重なってタッパーに入っていたのを鮮明に覚えてます。

今ならお弁当にピザを持たせた日には生活の落魄(らくはく)丸出し、という印象が否めませんが、当時はそれどころかうんとめずらしいご馳走だったんですね。

クラスでもピザをもう食べたことある子と、見たことも聞いたこともないという子の両方に別れました。ちなみに、「ピザ」でなく「ピザパイ」と呼んでました。

しかしそのピザパイ、「おいしいもの」かと聞かれたら、どうでしょうか。

「まずいもの」では断じてないんですヨ、とおッてもおいしいし大好きでした。が、「おいしいもの」の唯一絶対的存在としては、どうだったか。

家庭で食べるピザパイは冷凍食品でしたしねえ・・

だったらむしろ、時に連れて行ってもらった喫茶店のピザトーストのほうが「ちょっとした」おいしいものだった。

「おいしいもの」と、グーグルで画像検索すると、それはもうおいしいものばーっかりずららららーっと出て来ます。

天をつくほどおテンコ盛りのイクラ丼とか、濃厚ソースをまとったハンバーグステーキとか、脂のつぶがキラキラしたラーメンとか、むっちり敷き詰められたうな重とか。

分厚く、いかにもフカフカしたホットケーキが画像の右に左にいくつも現れるところを見ると、これって今流行ってるんでしょうネ。

「エビグラタン」は、目を凝らして探しましたがないようでした。

ピザはあることはありましたが、ラーメンや具たっぷり丼ものや肉料理の中ではマイノリティーのようでした。


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歩いていたら騎馬隊と出会いました。彼らもこの世の華とばかり晴れがましいでしょうネ。沿道では層をなす観光客のシャッターチャンスです。

前菜は、乾燥バジリコをふりかけたトマトサラダ
主菜は、白身魚そぎ身ムニエル、そばつゆ風味クスクス、いんげん塩茹で

立ち呑み日記・京都のお茶漬け [追究]

「京都のお茶漬け」ってフランスにもあるんだなあ・・
と、ホテルの会議室階エレベーター脇の地味な貼り紙眺めながら、しみじみ感心しちゃいました。

伝手(つて)あって仕事をいただき、国際見本市の会場である、アルプスのふもとの湖畔を望むゆかしいホテルに来ているところです。

百年からの歴史を誇る由緒あるホテルで、避暑避寒のなぐさみにカジノがあり、会議室も大小いくつも用意されています(残念ながら宿泊したわけではありませぬ)。

「京都のお茶漬け」とはホラ、京都人は直接表現を嫌い、たとえば来客が玄関先で用件のみにいとまごいすると、
「上がってお茶漬け食べて行っておくれやす」
と、すがるがごとく引き留める。

せっかくだからお言葉に甘えちゃお、と、のこのこ上がりこもうものなら、
(礼儀知らずやわぁ)
と、腹の底で嗤われることになる、あれです。

でも京都だけでなく、同じようなことって日本全般にありますよネ。

「お近くにいらした折にはぜひお立ち寄りください」
と、結婚の新居通知の写真付きハガキに添えてある一文などが、それ。

だからといってホントにピンポンしたら大いに驚かれます。

日本からはるか遠くアヌシーの湖畔でなぜお京都の茶漬けに思いを馳せたかといいますと、会議室に続くエレベーターが実にもうゆーっくりだったんですね。

待つ手持無沙汰に、目の前に貼られているA4版のどうってことないホテルからの事務的なお知らせになんとなく目を走らせたんです。

「ATM機はカジノの横にございますのでどうぞご利用くださいませ」

これが「京都のお茶漬け」とは、当初はつゆとも気づかなかったんですが、ハハーンと次第に判って来ました。

これ、ATM機のありかを教示している態勢をとった、カジノの宣伝ではありますまいか。

考えてもみてくださいナ、他のホテルの会議室階に、
「ATM機は当ホテルをお出になられて右側にございます」
テナ貼り紙が、エレベーターの横なんかにあるでしょうか。

かといって、
「当カジノでひと山当てましょう!」
と、あからさまに射幸心を煽(あお)る広告は、やってはイカンとひょっとしたら法律で決まっている、の、やも、しれない。

結局ワタシは時間も、お金を引き出す用もなく、カジノのほうへは足を向けないままパリの自宅へ戻りました。

すると、10歳のムスコの小学校の年度末学校祭のお知らせプリントが来ていました。

年度末学校祭は、夕刻から合唱などの発表があり、そのあとは夏のことでなかなか暮れない、夜風の気持ちいい校庭でお弁当を広げ、ワインをみんなで分け合って、ディスコ音楽で深夜まで屋外ダンスフロアのごとくになり(チークタイムあり)、大人たちもとても楽しみにしている行事です。

それが今年は校長の一存で規模縮小となってしまい、諸先生方もそろって憤慨している旨、ムスコの担任の先生から小耳にはさんでいました。

「21時30分に、校長先生とともに後片付けとなります」
というプリントの一文の「校長先生とともに」の箇所に、先生方の憤慨と不賛成が滲(にじ)んでいる気がするンですよねえ・・


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アルプスのふもとアヌシーという街の湖です。

前菜は、トマトとツナのサラダ
主菜は、鶏肉入りオムレツ、蒸しじゃがいも、いんげん塩茹で


立ち呑み日記・冷ター [追究]

「やってみる」
と、ふだん使っていない製氷皿を出しきて、10歳のムスコ。ぶどうジュースを凍らせたらおいしいアイスになるんじゃないか、というもくろみです。

なる、かも、しれない。

氷菓ってでも、固まりかけたところでこまめにかきまわして空気を含ませ、ゴリゴリがザリザリに、ザリザリがシャリシャリへと手をかけてこそ出来上がるものではなかったでしったけ。

・・・マ、いいでしょう。

ムスコは不器用この上ない手つきで製氷皿にぶどうジュースをじゃーっとやって盛大に周囲に飛び散らせ、次いで持ち手にする爪楊枝をさし渡します。

それにしても、人はどうしてだか食べ物を凍らせてみたくなるものですネ。

凍らせると美味しい食べ物、
とこう検索するとずららららーっと出て来ます。

2ちゃんねるにまで掲示板があるところからすると、誰もが何かしら凍らせて悦に入っているんですね。冷ター、と、呼ぶそうです、凍らせて食べるのが好きな人(ツメター、で、いいのかナ、読み方]。

人はでも人生のある時期必ず冷ターに、なるものではないでしょうか。ワタシなど子どものころは、「シャービック」と聞えて来ただけでワクワクウキウキしたもンでした。

「カルピス凍らせたら美味しいんじゃないかな」
と、ワクワクウキウキはさらにつのりました。

が、うちの場合カルピスは、そうは簡単には凍らせること叶いませんでした。何となればオトーサン(ワタシのオトーサンです)が晩酌をする。

当時はウイスキー水割りが全盛で、水割りには氷が必需品。

うちの冷蔵庫はまだ二層式でなく、氷室は製氷皿二つがかつかつで、この氷はオトーサンの水割りのためだった。

カルピスを凍らせる隙間も冷凍力もありませんでした。しかもその隙間にはおつまみにするレーズンバターが凍ってました。

昭和40年代の働き盛り世代はおつまみといったら塩豆しかないトリスパーを卒業し、三角に切ったチーズと凍り加減のレーズンバターが乗った「オードブル」を横において水割りをたしなむのに憧憬したようです。

冷蔵庫が二層式になったころには、関東にも流通し始めた福岡の明太子が時に我が家で凍るようになりました。

誰から教えてもらったのか、凍らせた明太子を薄く切って舌にのせるとフワリと融ける。凍ったお刺身、ルイベの応用ですネ。

北海道では生鮭のみならず、烏賊の沖漬け(醤油漬け)の輪切りなどもルイべにするそうです。これ、食べてみたいナ。

お菓子では、プリンを凍らせるとアイスクリームみたいになってことのほかヨロシイそう。

ホラよくアイスキャンデーをつくる容器、百均なんかで売ってますよね、あれにプリンをくずして押し込めて凍らせると食べやすくおいしいみたいです。

カントリーマアム、バナナ、シュークリームなどももっくりした食感が生き、風味絶佳だそう。

福岡では手羽先唐揚げを凍らせたの(冷凍品、ということではありませんゾ)まであるそうですが、これなどどんなな風味なんだか。

つめたーいところにかぶりつくとやはりつめたーいピールがすすんじゃうのは確かでありましょう。


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入ったカフェの目の前をパチリ。

前菜は、アボカド、レモンで
主菜は、オムレツ、昨日の残りの子腿肉ソテー、ニンニク風味じゃがいもピューレ、いんげん塩茹で


立ち飲み日記・食ぶたい [追究]

「うちにかえったらぴざがたぶたい」
と、ただ今海浜学校に行っている10歳のムスコから手紙が来ました。

10歳にもなるっていうのにひらがなのみ、しかもた「ぶ」たいとはなんともオハズカシイ日本語力。

「べ」のほうが「ぶ」よりは書くには簡単なのにねえまったく、と、日本人のオカーサン(ワタシです)はアキレ嘆きつつ何度も読み返しました(なにしろムスコからの手紙ですからネ)。

2日に一度更新されている海浜学校のサイトによれば、生牡蠣やら手長海老やら、画面のこちら側でヨダレがでちゃうほど土地のおいしいものが小学生の分際でお皿に上っているようなんですが。

そうはいうもののこうやって何日間か日常を離れるときまって食べたくなるものって、ありませんか。

ワタシなどパリに住み始めのころは、数日間のフランス国内小旅行でも住まいに戻るなり、
「お寿司、お寿司・・」
と、目の色変えて和食レストランへとびこんだものです。

ふだんパリでそういつもお寿司を食べているわけでなし、何もそこまで飢餓感つのらせなくてもよさそうですが。

オペラ座界隈の日本人街でラーメン屋とみるやとびこんでいる日本人観光客のみなみなさまも同じでありましょう。

日本ではあんなにも
「ラーメン、ラーメン・・」
とはならないのに、外国に出るとなぜかとおっても食べたくなる。

「お寿司、お寿司・・」だったワタシの飢餓感はしかし、この地に長らく住まううちにまるっきりわき上がらなくなりました。

なぜというに、大方の食べたいものは自分で作れるようになり、レストランも八百屋も肉屋も魚屋もアジア食材店も街のどこにあるかちゃんとのみこんだから。

それでも一時帰国が目前に迫ると、着いたら
(あれも食べたいナ)(これも食べたいナ)
と、日本のおいしいものがいろいろ頭に浮かべます。

ひところは、そういう食べたいものを思いつくままノートにメモしたものでした。

1996年年末の一時帰国直前のメモがたまたま手元にあるんですが、その筆頭は、おでん、です。なにしろ寒い冬のこと、つみれ、ごぼう巻き、ちくわぶ、あたりをお皿にとってハフハフしたいなあ・・

味噌煮こみ
には、先頭に☆マークまでついてます。

豚カツ+キャベツの千切り、
うちはオトーサンがユダヤ系で豚肉料理を遠ざけるので、なおさら恋焦がれたんだと思います。

秋刀魚塩焼き、
秋刀魚はフランスにはないので、これはなんとしても食べたい。焦げ目がプシューッとなったところへダイコンおろしでぱくっといきたい。

豚の三枚肉なべ、ちくわの煮たの、などは、わが実家の懐かしのおかずです。

しかしこのメモから20年近くたった今、これらを書いた時のような、胸の奥底からグーッと突き上がってくるような、
「食べたいったら食べたいッ」
欲望は、ずいぶんと薄まっています。

なぜというに、秋刀魚だけはまああれですが、食べようと思ったらパリで自分で何とかできるまでになったから。

トシを重ねるとはそういうことなのかもなあ、
と、なんだかしみじみしながら、さっそくムスコのためにピザシートとモッツァレラチーズとトマトソースをスーパーへ買いに出ました。


PIC_0307.JPG
 この写真を撮っているワタシの背後はくっきり青空なんですが。不穏な向こうをパチリ。

前菜は、ベトナム春巻き、中華春巻き(レタスとミントと紫蘇の葉を薬味に巻いて食べる)
主菜は、鶏ささ身の中華風和え、チンゲン菜の塩あぶら炒め、白飯

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