立ち呑み日記・耳をそろえて [ワルガキ]

「オカーサン、ぼくの理科の教科書どこやった?」
と、そのへんをひっかきまわしながら、オカーサンのせいで失くなったかのような口吻(こうふん)で、11歳のムスコ。

「知りません」

家族というのは探しものがすぐに出てこない場合、
「オカーサンが片付けたからだ」
という言い逃れをまずしますナ(子どものワタシもそうだった)。

この日はフランス人のオトーサン(ワタシのオットです)も、大分前に仕事で制作したビデオテープを
「こないだまでそのへんにあった、はずなのに、誰かがどこかへ片付けた」
と、不意に言い出しました。

そのへんってどこよ、誰かって誰よ、と、ツマ(ワタシです)の口はどうしたって尖らずにいられません。
「そんなに大切ならちゃんと自分でしまっといたらどう?」

さて、ムスコの教科書です。

こちらはただ今年度末で、ことにワルガキ二匹の通う中学などはバカロレア(大学入学資格試験)の試験会場に使われるため、早々と夏休みに入ります。

今週はいよいよその秒読みで、一年間使った教科書を学校に返却することになってるんです。

フランスの小中学では教科書は学校から貸与されるもので、表紙の裏に代々の一年間所有者の名前が書かれたカードが貼ってあり、9月の新学期にまずここへクラスと名前を記します。

(憧れのセンパイが使ったのに当たりますように)
と、日本の中学生だったら胸ときめかしそうですが、フランスの生徒はどうでしょうかネ。

カードに男子の名前が多い教科書は、なかなか手荒に扱われて来た気がしないでもないです。

年度の初日に、手垢しみついてニオイ立つような一式ごっそり抱えて来ると、どのオカーサンも以前の透明カバーをはがし、新しいのにつけかえる作業を余儀なくされます。借りものですし大切に扱わないとなりませんからね。

そして一年。

教科書は回収され、次の9月になればまた新しい一年間所有者が表紙裏のカードに自分の名前を書きこみ、そのオカーサンが透明カバーをつけかえる、というわけです。

教科書返却日は学年によってこの日と決められ、
「貸与時と同様の状態で」
「CD付きの場合、破損なきよう所定の位置に付けて」
「一冊たりッとも欠くことなく」
持って行くことになっています。

教科書を返却すれば、さながら武士の廃刀令に同じく、もう真剣勝負(勉強)したくともできない。

最終日の授業までちゃんと予習復習したかったなあ・・
と、ムスコは心にもないことを言い放ち、実に晴れ晴れした顔をしたものです。

ところが、前夜になって理科の教科書だけどうッしても見つからない。理科の授業は先生が独自のすすめ方をなさり、教科書は一度も学校へ持って行ったことがないんです。

ということは、家のどこかにある。

机を探し本棚を探し、ソファに腹ばいで宿題をやったところからソファの上掛けをはいで探しても、ないッ。

いよいよ泣きべそに限りなく近づき、床に落ちて折り重なったクッションをやけのやんぱちでパンッと蹴り上げたら、
「あった」

いくらなんでも蹴りつけるものではありませんッ、
と、こちらも鹿爪らしくやりましたが、とりあえずホッとしました。


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アメリカ・オーランドの凄惨なテロをうけ、パリ市庁舎に追悼のリボンとアメリカ国旗(小さくてわかりづらいけど見えるかナ)が掲げられています。

前菜は、ホワイトアスパラ(初物です)
主菜は、鯛のそぎ身ムニエル、チキンライス、じゃがいもピューレ、モロッコいんげん塩茹で

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