立ち呑み日記・クックドゥ [晩ごはん]

彼女が飯に「クックドゥ」とか使ってるとムカつく、
というツイッターへの投稿が、たいへんな反響を呼んでいるのだそうです。

「クックドゥ」は手抜き、という同意意見と
「お前が食いたいのは飯か? それとも彼女の苦労か?」
というような反論による応戦。

それにして冒頭のこれ、「彼女」を「オカーサン」にかえて、しかも本人を前に言ってごらんなさいナ。

「だったら食べなくてよろしいッ」
と、ぴしゃりとやられるのは火を見るより明らか。

「ならアナタが今日から家族みんなのご飯作ってごらんなさいッ、毎ッ日、三度三度よッ」
と、小さい「ッ」いっぱいで、EU離脱となってしまった英国よろしく後悔先に立たずの窮地に立たされる可能性さえあります。

「クックドゥ」にむかつき派の青年諸氏は彼女に作ってもらうことばっかり考えてないで、作ってあげようと、なぜ思わないのでしょうか。

「クックドゥ」でもちろんうれしいワ、
と、彼女は言ってくれると思いますぞ。

「ぼくは自分で料理する」
という青年もおられるようでした。この方の発言が火に油を注ぐこととなったもよう。

いわく、
自分は料理する時は豆板醤やかつお節からやっていて、もし彼女がいたら同じレベルでやって欲しいのでモテない。

だからネ、ご自分で二人前作ればモテないもモテるもないの。

それにしても、なぜ「クックドゥ」ばかりがやり玉にあげられるんだか。だってカレールーやスパゲッテイーのソースでそんなこと言いつのりませんよね。

♪クックドゥー、しましょ~・・
と、ワタシなど黒柳徹子の歯切れのいいCMが目に浮か上がります。

「山口智充や杉崎花でしょ?」
という声が聞こえてきたようなので弁明しますと、1978年、発売当初のCMは黒柳徹子だったんです。

チンジャオロースー、
という料理名もこのとき日本中に浸透したのではないでしょうか。

1980年代後半、ワタシが学生でパリに住み出したころ、早々と日仏家庭を築いていた年上の友人などは一時帰国するたびに「クックドゥー」を買いこんで来るといって戸棚を見せてくれたものでした。

お客様を招いての夕食を中華の献立にするとき手の込んだ炒めものをいっぺんに何品もは大変なので、一皿は手品のようにさっとできるのがとっても重宝、とのことでした。

コレワコレワいいこと聞いた、
と、ワタシも後にパリで所帯を持つと日本からゴッソリ持ち帰り、台所の棚に背表紙を並べました。

が、思わぬ難題に直面します。

フランスで肉は塊で買うもので、薄切りも、ましてやチンジャオロースーのような細切りなど、家庭用包丁とドシロートの技能ではどうにもならない。

それに、麻婆豆腐はワタシの大好物ながら、うちのフランス人のオトーサンはじめフランス人の友人連が「辛い」と敬遠。

1990年代中ごろから街中のそこかしこに安価なテイクアウト中華ができ、中華料理はなにもそこまでがんばって家で鍋ふるわなくても、うんと気軽に食べられるようになります。

台所の棚にずらっと並んだ背表紙は、その後補てんされることなく今日に至ります。

でもワタシ断然、クックドゥの味方デス。


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11歳のムスコの「欲しい欲しい」で買った、マンガ『デスノート』。日本語て読んだことはないんですが、外国語になるととたんに吹き出しの中のセリフの量が増える気がするんですけど、どんなもンなんでしょうか。

前菜は、トマトサラダ
主菜は、牛肉と輪切りニンジンの赤ワイン煮、蒸しじゃがいも、グリーンサラダ



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