立ち呑み日記・追いオリーブ [おでかけ]

ただ今ポルトガルにおりましてスペイン時間でバカンス暮らしの真っ最中ですが(前回の立ち呑み日記をご高覧くださいませ)、一同の中のスペイン勢の、オリーブオイルの使いっぷりといったらないです。

何にでもじゃぶじゃぶやる(じゃぶじゃぶ、ですゾ)。

いつだったか、速水もこみちの「追いオリーブ」がインターネットの俎上に上りましたが、あれッぱかりのたらたらなど子供だましみたいなもンです。

なにしろ初日に買った6リットル入りの「樽」が2週間持ちませんでしたからね。

まずは朝ごはん。

ポルトガルのこのあたりのパンは、外側が分厚くずんぐりした田舎風パンです。ガチガチの外側へ苦心してパン切りナイフを入れ薄切りにすると、これをトースターで焼く。

キツネ色に熱いところを賞味するというより、冷め加減にして表面をガサガサに保ちます。このガサガサをおろし金にして、ニンニクをみっしりなすりつける。


そこへ上からオリーブオイルを蛇行させながらビャーっ。それはもう遠慮仮借ないビャーっ、です。

しかるのちにトマトをうすーくうすーく切って載せ、塩パラパラ(好みで胡椒ガリガリ)、で、かぶりつくわけです。しかも一枚といわず何枚も何枚も。

やってみるとやめられない止まらない、やみつきになっちゃいました。

オリーブオイルとニンニクのあいまったところへトマトの清々しさが加わった風味が、見上げるとくっきりした青空とぴったりの相性。

フランスで、去年までも同じメンバーでバカンスをともにしてきましたが、誰ひとりこの食べ方してませんでした。

「そりゃそうよ」
と、スペイン勢を代表して、フランソワーズの息子のツマでアンダルシアっ子のアナ。
「フランス行ったらバターたっぷりぬったパンとクロワッサン食べなきゃ」

本国ポルトガル人は朝何食べてるのか。

調べたところによると、寝起きはこれといって食べずお腹の空いてくる10時ごろカフェでコーヒーと小さなサンドイッチなど軽食を食べるのが一般的だそうです。カフェは、ワタシらが滞在している小村にも5、6軒はあります。

さてオリーブオイル、焼き魚にも肉にも、お皿にとった白飯なんかにも、どんどこかけまわしちゃう。

フランスにはオリーブ油のほかに落花生油、ヒマワリ油などもよく使われますが、こちらのスーパーを覗くとオリーブ油優勢のようでした(あるいはワタシらが見つけられなかっただけかも)。

オリーブオイルは、一番搾り、搾ったのを精製したもの、その混合など種類がいろいろで、ワタシが一番安いのを右から左へカゴにとろうとしたら、
「これは混合だから風味が大人し過ぎるワ」
と、スペイン語と似ているポルトガル語のラベルを読み上げながらアナに注意されました。

一番搾りが最上等というわけでもなく、あくまで好みの問題だそうです。

ポルトガル人はオリーブオイルでどんな料理をするんだか。せっかく本国にいるのに不明のまま、西・仏・日の混合料理を毎日賞味しております。

おしょうゆは、卓上サイズのものがスーパーに普通に並んでいます。


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大西洋の水は冷たいです。

前菜は、ガスパッチョ
主菜は、チョリソとレンズマメの煮込み、グリーンサラダ

立ち呑み日記・スペイン時間 [おでかけ]

1日って朝・昼・晩という分け方だけではないのだなあ・・
と、ヒルネから目覚めた18時過ぎ、アクビしながらつくづく思いましたね。

ただ今、ポルトガルの首都リスボンから南に200キロほど離れた大西洋寄りの小村に、三所帯で一軒家を借り受けてバカンスにいそしんでいる真っ最中です。

構成員は、古い友人のフランソワーズとその連れ合い、スペインから合流したフランソワーズの息子一家、それにうちら家族。

ポルトガルなのに、スペイン時間で生活しております。

朝は9時過ぎにゆっくり起きる(ここはまあ万国共通の休日モード)。昼食が一日の正餐で、14時半ごろから。たっぷり食べ、のみ、そしてヒルネです。

ヒルネ(シエスタ)は、スペインでは気温が50度までも上昇する夏など不可欠で、
「一日に夜が二回あると思って」
とは、フランソワーズの息子オリヴィエのツマでセビリヤっ子のアナ。

ポルトガルの、今われわれのいる村はそこまでの猛暑でなく日中せいぜい30度ですが、ヒルザケはまわりますし、スペインの習慣を踏襲することにしました。

ポルトガルは本来、日本やフランスと同じく昼食は12時から13時ごろ、夜は19時から20時ごろにはじまるもののようですが。

今われわれがいる村は、端から端まで歩いて10分もかからないくらいの小ささで、どことなく昭和30年代までの日本のような趣にあふれているんですヨ。

池波正太郎の随筆に、かつての日本にはひとつの町内に、蕎麦屋があり八百屋や魚屋や金物屋などの商店があって自分の町から一歩も出ることなく生活が営めた、という記述がありましたが、まさにそれ。

鄙びた村に食料品店がありパン屋があり肉屋魚屋八百屋があり、床屋やネイルサロンまでも、ある。

こんな田舎にまあと驚きましたが、中国人経営による安売り雑貨屋まであり、カフェにいたっては数軒もあります。

車の往来がほとんどなく外部から来る人もめったにいそうもないのによく経営が成り立つものだと感心せずにいられません。

角ごとにベンチが置かれ、老人たちがのんびりおしゃべりに興じている。

「ボンディーヤ(こんにちは)」
と、外国人(ワタシです)にも声をかけてくださいます。

ポルトガル人は概して小柄で、老爺の多くは森から切り出したとおぼしき、自分の背丈より高い杖をついているのがゆかしいです。

含羞というのか、ポルトガル人ってつつましやかで、人々が醸す雰囲気が日本人と似てるんですヨ。

「そう、隣国なのにまるで違うの」
とは、セビリヤっ子のアナ。

スペインとポルトガルはソリが合わないというより、隣国を存在しないものとみなすほどお互い無関心なんだそうな。

大航海時代など歴史をともにする双生児、それもお互いソッポを向いた、背中合わせにくっついたシャム双生児、と、譬(たと)えられているそうです。

さて、ポルトガルのスペイン時間で、ヒルネから覚めた18時過ぎ、車で20分ほどの海へ繰り出すことになりました。

大西洋は水が冷たいので泳げず、足をつけるだけ。

西日となる20時ごろまで砂浜でのんびりして、帰ってから晩ごはんは22時過ぎからになります。


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村の魚屋へイワシを買いに行く途中にパチリ。

前菜は、トマトサラダ
主菜は、イワシの網焼き、ニンニク風味モロッコいんげん、白飯(ショーユをかけまわして食べる)

立ち呑み日記・格安便 [おでかけ]

「け、欠航?!」
と、大荷物を引いて汗ふきふきやって来たオルリー空港で、出発便掲示板を見上げ家族一同どよめくまいことか。

ただ今より待ちに待ったバカンスで、ポルトガルへ行くところなんです。

毎年夏は、スペイン国境に近い寒村の、ふるい友人フランソワーズの家に居候を決めこんでいたんですが、相続のあれやこれやで、ついにフランソワーズは先祖代々の家を手放したんですね。

そこで、スペイン在のフランソワーズの息子一家ともども、物価の安いポルトガルに短期貸しの一軒家を見つけて集合することになった次第です。

物件探しと交渉は、仏・西・英語堪能なフランソワーズの息子オリヴィエが請け負ってくれました。寝室が7つだか8つだかある、プール付きの大きな家。が、賃料は三世帯で割れば、ちっとも高くないんですヨ。

飛行機も格安便が見つかりました。

オリヴィエ一家はセヴィリヤから、フランソワーズはともに住む地中海沿岸の彼氏の家から、それぞれ車でやって来ます。

国境を二つ越えて運転して来るフランソワーズたちはまだしも、セヴィリヤからポルトガルは目と鼻の先だそうな。

午前中ゆっくり出発して、子どもが小さいところからひんぱんにトイレ休憩し、夕刻にはリスボンから南に200キロの小村サオ・ルイに到着。

その翌日にわれわれ一家が空路で着き、リスボンの空港までオリヴィエが迎えに来てくれる算段です。

それが、勇躍出発とやってきたパリの空港で、どう目をこすって確認しても、「欠航」の文字。

「どういうことよ」
と、こういう時って腹の底から野太い声が出るもンですナ。

おっとりがたなでインフォメーションに詰め寄ると、
「目の前のこの列に並んでください」

それはもう目に入るだに卒倒しそうになるほどの大行列。漏れ聞こえてきたところによると、リスボン行きと同じくバルセロナ行きも欠航なんだそうな。

「なぜッ」
と、通りがかりの係員にすがれば、
「コンピューターの不手際です」

「明日の仕事のアポどうしてくれるッ」
と、くってかかっている人がたくさんいます。

リスボン行きは各社から何便も出ているものの、格安のこの航空会社はどことも連携していないので、
「明日以降に振り替えとなります」
と、にべもなく答えはひとつ。

弊社としましては誠心誠意、本日の宿とお食事を無料でご用意させていただきます、
と、係員が総出で両手をメガホンにして告げるうちに、大行列に蔓延していたイライラガミガミも静まって行ったようでした。

うちは帰れないこともないものの、往復のタクシー代と、エレベーター無しの最上階まで大荷物を今一度上げないとならないことをかんがみて、無料のご用意にあずかることにしました。

宿は空港近くの感じのいいビジネスホテル、Wifiつなぎ放題で、うちの二匹は現金なまでの小躍りぶり。ただ、お食事は同じ境遇の一同が別室に集められ、学食と見まごう、ややトホホな晩餐でした。

格安便も、一長一短ですネ。

翌日、飛行機はちゃんと安全に運行しましたが、到着の段で、着陸路を使える優先順位が低いらしく、リスボン上空をぐるぐるぐるぐる旋回しました。


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そしてこうなりました。手前右にプールがあります。

前菜は、ガスパッチョ
主菜は、ソーセージの網焼き、じゃがいもピューレ、グリーンサラダ


立ち呑み日記・ギターケース [困った!]

「フランス人のテキトーさ加減といったらいやはや」
と、自分もフランス人ながら、うちの11歳のムスコのギターの先生でもある友人のあきれかえるまいことか。

友人の目の前には、バカンスにムスコの初心者用クラシックギターを携行するのに、オカーサン(ワタシです)が楽器量販店の店員さんにすすめられるまま買った、ハードタイプのギターケースがあります。

「これはフォークギター、それもより大きなアメリカンフォーク用じゃないかッ」

クラシックギター用ケースを切らしていたなら店員さんはそうちゃんと告げるべきだったし、そうでなければただのギター無知の給料泥棒かッ、と、友人はあきれかえります。

ほんのちょっと大きいようだな、
と、店員さんはムスコのと同じヤマハの初心者用クラシックギターを容(い)れてみながら独りごちていたのをワタシも耳にはさみました。

ギターに疎いワタシといえば、ケースにクラシック用やフォーク用があるとはついぞ知りませんでした。

「隙間にTシャツ詰めたらどうかしら」
と、バカンスの荷物の多いところでこちらもふとつぶやいたら、店員さんは大いに奨励してくれたんです。

「靴を買う場合を考えてごらんよ」
と、友人はため息ひとつついてから声が裏返りました。

「自分のサイズがMとして、Mを切らしているからとXLを平然と押し付けてくるのって、どうよ」

靴に足を合わせろと言われたら、マ、鼻白み、当然ながらお財布開かないでしょうナ。ギターケースとて同じことと言います。

心優しい友人は、このギターケースを押し付けた楽器量販店へ、交換についてきてくれることになりました。

クラシックギター用ストックが切れているというならバカンスの間ぐらい自分の古いのを貸してあげるからちゃんと返金してもらえと強くすすめます。

大きなギターケース抱え、対価奪還への鼻息荒く店へと乗りこみましたが、実にあっけなく、かつにこやかに事が運びました。

領収書に打ちこまれた品番が、そもそもクラシックギター用ケースになっていたんです。

「最後のひとつでしたよ」
と、地下倉庫から商品抱えて駆け上って来た、先日とは異なる店員さん。

念のためムスコのギターと同じものを容(い)れて確認したい、と、たのむと、友人は天井からずらりとぶらさがったあまたあるギターの中から瞬時に見分け、
「これだよ」
と指さすんですから、プロの目とはスゴいものです。

帰りの地下鉄ホームで、ワタシが提げたギターケースの何倍も大きなコントラバスをケースで引いている青年と行き会いました。

近くに国立音楽学校があるんですヨ。

友人は手ぶらなのに、ミュージシャンどうしって同じニオイがするんでしょうネ、二人は微笑み合いました。青年はコントラバスを初めて5年、ジャズ専攻だそうな。

二人のミュージシャンは連絡先の交換をしたようでした。

さて、ギターケースを提げて家に戻ってみれば、バカムスコは夏休みをいいことにパソコンゲームに没頭中。

「映画じゃ機関銃が入ってるやつだ」
と、オカーサン(ワタシです)の手のものをチラと見て言いました。

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バカンスにたつ前日、所用あってパッシーというお屋敷街に行きました。

前菜は、ニンジン千切りサラダ、ハム、ミックスベジタブルのマヨ和え
主菜は、ブッフブルギニヨン(牛肉赤ワイン煮)、グリンピースご飯、蒸したカリフラワーとブロッコリー



夏季休暇のお知らせ

いつも立ち呑み日記にお立ち寄りくださりありがとうございます。

こちらは夏休みに入り、インターネットの入らないところへバカンスででかけることになりました。カフェなどワイファイがはいるところが見つかり次第、更新いたします。

みなさまもよき7月をお過ごしくださいませ。

ぐちぐち

立ち呑み日記・クックドゥ [晩ごはん]

彼女が飯に「クックドゥ」とか使ってるとムカつく、
というツイッターへの投稿が、たいへんな反響を呼んでいるのだそうです。

「クックドゥ」は手抜き、という同意意見と
「お前が食いたいのは飯か? それとも彼女の苦労か?」
というような反論による応戦。

それにして冒頭のこれ、「彼女」を「オカーサン」にかえて、しかも本人を前に言ってごらんなさいナ。

「だったら食べなくてよろしいッ」
と、ぴしゃりとやられるのは火を見るより明らか。

「ならアナタが今日から家族みんなのご飯作ってごらんなさいッ、毎ッ日、三度三度よッ」
と、小さい「ッ」いっぱいで、EU離脱となってしまった英国よろしく後悔先に立たずの窮地に立たされる可能性さえあります。

「クックドゥ」にむかつき派の青年諸氏は彼女に作ってもらうことばっかり考えてないで、作ってあげようと、なぜ思わないのでしょうか。

「クックドゥ」でもちろんうれしいワ、
と、彼女は言ってくれると思いますぞ。

「ぼくは自分で料理する」
という青年もおられるようでした。この方の発言が火に油を注ぐこととなったもよう。

いわく、
自分は料理する時は豆板醤やかつお節からやっていて、もし彼女がいたら同じレベルでやって欲しいのでモテない。

だからネ、ご自分で二人前作ればモテないもモテるもないの。

それにしても、なぜ「クックドゥ」ばかりがやり玉にあげられるんだか。だってカレールーやスパゲッテイーのソースでそんなこと言いつのりませんよね。

♪クックドゥー、しましょ~・・
と、ワタシなど黒柳徹子の歯切れのいいCMが目に浮か上がります。

「山口智充や杉崎花でしょ?」
という声が聞こえてきたようなので弁明しますと、1978年、発売当初のCMは黒柳徹子だったんです。

チンジャオロースー、
という料理名もこのとき日本中に浸透したのではないでしょうか。

1980年代後半、ワタシが学生でパリに住み出したころ、早々と日仏家庭を築いていた年上の友人などは一時帰国するたびに「クックドゥー」を買いこんで来るといって戸棚を見せてくれたものでした。

お客様を招いての夕食を中華の献立にするとき手の込んだ炒めものをいっぺんに何品もは大変なので、一皿は手品のようにさっとできるのがとっても重宝、とのことでした。

コレワコレワいいこと聞いた、
と、ワタシも後にパリで所帯を持つと日本からゴッソリ持ち帰り、台所の棚に背表紙を並べました。

が、思わぬ難題に直面します。

フランスで肉は塊で買うもので、薄切りも、ましてやチンジャオロースーのような細切りなど、家庭用包丁とドシロートの技能ではどうにもならない。

それに、麻婆豆腐はワタシの大好物ながら、うちのフランス人のオトーサンはじめフランス人の友人連が「辛い」と敬遠。

1990年代中ごろから街中のそこかしこに安価なテイクアウト中華ができ、中華料理はなにもそこまでがんばって家で鍋ふるわなくても、うんと気軽に食べられるようになります。

台所の棚にずらっと並んだ背表紙は、その後補てんされることなく今日に至ります。

でもワタシ断然、クックドゥの味方デス。


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11歳のムスコの「欲しい欲しい」で買った、マンガ『デスノート』。日本語て読んだことはないんですが、外国語になるととたんに吹き出しの中のセリフの量が増える気がするんですけど、どんなもンなんでしょうか。

前菜は、トマトサラダ
主菜は、牛肉と輪切りニンジンの赤ワイン煮、蒸しじゃがいも、グリーンサラダ



立ち呑み日記・食パン美少女 [追究]

漫画ではあるけど現実には一度も会ったことないキャラベスト10、
という記事にあたりました。

その堂々1位は、
「食パンくわえて、遅刻―!と、走っている制服の美少女」

そのイラストには、蝶結びのタイの首もとを世慣れた風にゆるめて膝上スカートという今風制服の美少女が、食パンくわえてダッシュしている。

マ、確かにワタシも一時帰国する折、こういう少女をついぞ見かけたことはありません。でもホンットに「実在しない」、ないしは「実在したことがなかった」んでしょうか。

「アラフィーにもちゃんと取材した?」
と、この記事をお書きになった若手(に決まってる)ライターさんに畳みかけたいですね。

なぜというに、ワタシ(アラフィーです)が中学生の時分、同級生の美少女が毎朝食パンくわえて家を飛び出ていた事実があるから。

当時、本人からしかと聞き及びました。

セーラー服にえんじ色のタイ揺らし、片手には持ち重みする革の学生鞄。あの学生鞄も、気が付けば見かけなくなりました。

息せき切って家を飛び出す同級生のもう片手には、トーストがあります。

ただし、漫画に描かれるように一枚口にくわえるのではなく、バターをぬったほうを内側に二枚重ねにしてつかむ(そのほうが食べやすい)。

漫画では、食パン美少女は不意に少年とぶつかり恋が生まれますが、彼女によると、
「誰かにぶつかるような運動音痴には全力疾走しながら食べ切るのは無理(キッパリ)」

ワタシなど無類の運動音痴ですから、走りながらカミカミゴックンなどのみこんだものが背中のほうへ入りそうで、想像するだに息苦しくなったもンです。

われらが食パン美少女は別に誰かとぶつからずとも、名門男子校生のイケメンカレシがちゃーんといました(ABCガラミについても聞き及んでますがこれはまた別の機会)。

ABCって靴屋? というささやきがお若い方々から聞こえてきたようなので念のため記しますと、A(キス)から「最後までいっちゃう」(「C」)まで、符牒のように言ったものなんです。

漫画によく登場するという食パン美少女って、
「もともとの出典が未詳」
なんだそうです。

未詳のまま、バナナですってんころりんと
同じくパロディのほうが発展したのだそう。

1989年『サルでも描けるマンガ教室』
(相原コージ、竹熊健太郎共著)に、ありがちな
出会いの例として紹介されているのが最初とも言われています。

『エヴァンゲリオン』の綾羽レイが起源、
との説もあるそうですが、これらはいくらなんでも
若手の見解に偏りすぎではありますまいか。

少女マンガでは、1965年『リンゴの並木道』((西谷祥子)、
あるいは1968年『パティの初恋』(木村三四子)、
少女でなければ、1965年の回の『フジ三太郎』、
1962年の回の『サザエさん』までさかのぼれるそう。

つまりそれは、日本人の朝食がパン食に
移行した時期と合致する、ということでありましょう。

「モーレツ」時代、食パンかじりつつ家を出た
人って、あんがいいたのではないでしようか。

ではなぜ最近、食パン美少女を見かけないのか。

元食パン美少女のわが同級生がまさに
そうなんですが、自分が親になった
あかつきには平日の朝寝坊などあるまじき、
栄養バランスのいい朝ごはんを何が何でも
食べさせてからおくり出しているから・・

・・とまあ考えるんですけど、どんなもンでしょうかネ。


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信号を待ちながらパチリ。

前菜は、メロン
主菜は、舌平目グリル、じゃがいもロースト、いんげん塩茹で

立ち呑み日記・夏休みの予定表 [ワルガキ]

13歳のムスメが、いつになく真剣に机にかじりついている。

成績審査会議もとっくのとうに終わっていて、焦って予習復習するべきものもこれといってないのにと背後からのぞいてみれば、「夏休み予定表」なるものを書いているんですね。

こちらは9月始まりの年度末ですから、まるまる二か月以上、宿題から完全に解放された夏休みです。

それなのになぜ予定表? と、さらに顔を近づけたらわかりました。

スレンダーボディー
という目標を掲げ、毎日運動するつもりだそうです。

その連日のメニューの綿密さといったらスゴいです。

〇月〇日、6時半起床 腹筋200回、スクワット300回、ジャンプしてしゃがんで床に両手ついて足伸ばしてまたジャンプする、というの400回・・

「ジャンプしてしゃがんで・・っていうのはうちの中ではやめてちょうだい」
と、慌てたオカーサン(ワタシです)。

うちの建物は築350年の古色蒼然、ただでさえ水漏れなど諸問題が起こりやすいところ、そんなに暴れられた日には床が抜けちゃいます。

以前、階下の隣人が大音量でハードロックをかけていたら、壁づたいに振動してうちの居間の壁づけ本棚を支えていた釘がゆるみ、ドタリバサバサパサーッと棚がくずれ落ちたことがあるほどなんです。

「じゃ、毎日公園まで走って行くことにする」

この夏運動するから買って買って買ってェ・・
と、さんッざんの示威運動の末、H&Mでビキニの上みたいなスポーツ用ミニTシャツとジョギングパンツを何足か、ムスメは手に入れています。ジョギパンにミニTシャツの艶姿で家の中にこもっていたって仕方ないですからね。

ムスメの夏休み予定表を見ていて、遠―い日の、わが夏休み予定表を思い出しちゃいました。

あのころはわら半紙に青インク(今わら半紙ってまだあるんでしょうかネ)。夏休みに入る二週間ほど前に配られ、宿題や部活や家族旅行などの予定を書きこんで、いったん先生に提出して評価を受けた記憶があります。

「〇〇さんの予定表が素晴らしい」
という先生お墨付き「A+」の成績で教室の掲示コーナーに貼られたのを、ザツでオオザッパ過ぎるわが予定表(「B-」)と見比べ、ため息ついて見とれたもンです。

〇〇さんの予定表は、
「8月1日 算数問題集p21、漢字書き取りp54からp56、日記」
のように、1日にやる分を明快に、隙間なくみっしり書きこんであります。

(でもこれホントのホンットに守れるのかなあ・・)
と、実のところ疑いました。

予定表って、予定立てただけで満足しちゃうテナ側面も、あると思いません?

さて、こちらの中学はいよいよ夏休みに突入です。

ムスメは、6時半起床なんてとォんでもない、お昼すぎまで惰眠むさぼり、目が覚めればすぐさまIPhoneにかぶりつく。

腹筋とスクワットは、気が向いたときにベッドの上で形だけちゃっちゃっとやる。

おニューのジョギパンとミニTは
「パジャマにちょうどいいみたい」

マ、夏休みですしネ。

ムスメの綿密な予定表は、もう使わない今年度のノートやプリント類とともにあっさりゴミ箱行きとなったもようです。


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はっ。写真撮り忘れてたと大急ぎで窓からパチリ。今日はやっと来た夏日で、とおっても暑かったです。

前菜は、すいとん入りカレースープ
主菜は、カワだけ炙(あぶ)った生サーモン、ミニマカロニのゆかり和え、いんげん塩茹で

立ち呑み日記・さらば、先生 [ワルガキ]

「オカーサン、予定変更!」
と、年度末の授業最終日の前日、13歳のムスメが息せき切って学校から帰って来ました(こちらの学校は9月始まりで6月が年度末なんです)。

最終日は教科ごとにジュースやお菓子の持ち寄りパーティーなので、ムスメはレインボーケーキを焼いて持って行くつもりです。

マ、その大方の作業はオカーサン(ワタシです)がやらされるわけですが。

レインボーケーキはここ数年世界中で流行しているらしき重ねスポンジケーキで、「レインボーケーキ」とこう打ちこみ画像検索なさると、世にも毒々しいのがずらららーっとご覧になれます。

生地を六等分ないしは七等分して食紅で彩色したのを順次焼き、クリームチーズを糊にして虹の色の順番に重ねたケーキ。

表面には粘土みたいな市販の白い砂糖ペーストをのばして覆い、カラフルな砂糖ペーストでデコレーションする算段です。

ムスメは、表面に、
「雨の後は必ず晴れる」
という、ムスメ言うところの「ロックな」一文を書くつもりでいました。

今年はセーヌ河が氾濫するほど雨降りましたしね。

ところが前日になって、この立食パーティーの時間であるドイツ語の先生がこの授業をもって定年退職を迎えるという情報を得て来たというわけです。

そこで予定変更し、
「〇〇先生、定年おめでとうございます」
と、文法あぶなっかしいながらドイツ語で書くこととあいなった次第。

先生との別れって、なんだか胸が苦しくなりますネ。

♪さようなら子どもたちよ・・
という、往年のミュージシャン、ピエール・バシュレの「オールヴォア(またお目にかかりましょう)、先生」が不意に脳内で響き渡り、グッときちゃいます。

ピエール・バシュレはホラ、映画「エマニエル夫人」の主題歌のミュージシャン。

同じ別れでも、二度と会えない状況の、「アデュー(さらば)、先生」という歌も、フランスにはありました。

「スターアカデミー」というスター育成のテレビリアリティ番組に出演した生徒一同が集大成で歌った曲で、この番組が終われば先生もまた追い越すべきライバル、感謝をこめながらも「アデュー(さらば)」という、凛とした決別の言葉がきいています。

この歌の流行った2004年は、学生運動に身を投じた団塊世代が定年を迎えた時期で、曲の中で彼らの青春歌「インターナショナル」を想起させる旋律が含まれていのが、これまたグッときちゃいます・・

・・とこうやたらとグッときて、どうせならもっとグッとなっちゃおうと日本の歌を検索してみると、これが意外にも、リタイヤする先生へのはなむけの歌って、「無い」んですヨ。

卒業式でよく歌われるという「ありがとうさようなら」では確かに先生への別れと感謝が3番にありますが、友だち(1番)、教室(2番)との並列です。

これはいったいどうしたことか。

「チップス先生さようなら」
のような話は、日本では生まれないのか。

やっぱりその、万事世知辛い世の中、定年で悠々自適とはいかないからでしょうかネ。

レインボーケーキもまた、日本ではいまひとつ流行ってないみたいです。


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 ひゃー、壁の修理中。命綱はついているみたいです。

ピエール・バシュレ「またお目にかかりましょう、先生」は、これです。
https://www.youtube.com/watch?v=hLltsfvK2bY

スターアカデミーの「さらば、先生」は、こちら。当時ハリー・ポッターブーム真っただ中、ふつうフランスの学校に制服はないんですが、英国風の制服を着くずしています。
https://www.youtube.com/watch?v=TyrZWgkL5Yo


前菜は、ホワイトアスパラ、マヨヨーグルトソース
主菜は、鶏ロースト、じゃがいもロースト、いんげん塩茹で、グリーンサラダ




立ち呑み日記・耳をそろえて [ワルガキ]

「オカーサン、ぼくの理科の教科書どこやった?」
と、そのへんをひっかきまわしながら、オカーサンのせいで失くなったかのような口吻(こうふん)で、11歳のムスコ。

「知りません」

家族というのは探しものがすぐに出てこない場合、
「オカーサンが片付けたからだ」
という言い逃れをまずしますナ(子どものワタシもそうだった)。

この日はフランス人のオトーサン(ワタシのオットです)も、大分前に仕事で制作したビデオテープを
「こないだまでそのへんにあった、はずなのに、誰かがどこかへ片付けた」
と、不意に言い出しました。

そのへんってどこよ、誰かって誰よ、と、ツマ(ワタシです)の口はどうしたって尖らずにいられません。
「そんなに大切ならちゃんと自分でしまっといたらどう?」

さて、ムスコの教科書です。

こちらはただ今年度末で、ことにワルガキ二匹の通う中学などはバカロレア(大学入学資格試験)の試験会場に使われるため、早々と夏休みに入ります。

今週はいよいよその秒読みで、一年間使った教科書を学校に返却することになってるんです。

フランスの小中学では教科書は学校から貸与されるもので、表紙の裏に代々の一年間所有者の名前が書かれたカードが貼ってあり、9月の新学期にまずここへクラスと名前を記します。

(憧れのセンパイが使ったのに当たりますように)
と、日本の中学生だったら胸ときめかしそうですが、フランスの生徒はどうでしょうかネ。

カードに男子の名前が多い教科書は、なかなか手荒に扱われて来た気がしないでもないです。

年度の初日に、手垢しみついてニオイ立つような一式ごっそり抱えて来ると、どのオカーサンも以前の透明カバーをはがし、新しいのにつけかえる作業を余儀なくされます。借りものですし大切に扱わないとなりませんからね。

そして一年。

教科書は回収され、次の9月になればまた新しい一年間所有者が表紙裏のカードに自分の名前を書きこみ、そのオカーサンが透明カバーをつけかえる、というわけです。

教科書返却日は学年によってこの日と決められ、
「貸与時と同様の状態で」
「CD付きの場合、破損なきよう所定の位置に付けて」
「一冊たりッとも欠くことなく」
持って行くことになっています。

教科書を返却すれば、さながら武士の廃刀令に同じく、もう真剣勝負(勉強)したくともできない。

最終日の授業までちゃんと予習復習したかったなあ・・
と、ムスコは心にもないことを言い放ち、実に晴れ晴れした顔をしたものです。

ところが、前夜になって理科の教科書だけどうッしても見つからない。理科の授業は先生が独自のすすめ方をなさり、教科書は一度も学校へ持って行ったことがないんです。

ということは、家のどこかにある。

机を探し本棚を探し、ソファに腹ばいで宿題をやったところからソファの上掛けをはいで探しても、ないッ。

いよいよ泣きべそに限りなく近づき、床に落ちて折り重なったクッションをやけのやんぱちでパンッと蹴り上げたら、
「あった」

いくらなんでも蹴りつけるものではありませんッ、
と、こちらも鹿爪らしくやりましたが、とりあえずホッとしました。


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アメリカ・オーランドの凄惨なテロをうけ、パリ市庁舎に追悼のリボンとアメリカ国旗(小さくてわかりづらいけど見えるかナ)が掲げられています。

前菜は、ホワイトアスパラ(初物です)
主菜は、鯛のそぎ身ムニエル、チキンライス、じゃがいもピューレ、モロッコいんげん塩茹で

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