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立ち呑み日記・ガレットデロワ [デザート]

ただ今フランスのパン屋はガレット・デ・ロワ(「王様のガレット」)一色です。

一昨年くらいから日本でも売られるようになったようですが、ガレット・デ・ロワというのはアーモンドのあんを焼きこんだパイで、中にフェーヴという陶器の小さな人形がしのばせてあります。

日本はおそらく食品衛生法の都合上、しのばせてあるのはアーモンドで、フェーヴは別添えでありましょう。

これをみごと引き当てると「王(女王)様」ということになる、たのしい行事です。

そもそも1月6日の「公現節」というキリスト教の行事食で、東のほうから占星術師の三博士(王様)が贈り物携え生まれて間もないイエスを訪ねてきたのをあらわしたもの。

フランスでは14世紀からもうガレット・デ・ロワが食べられていたそうな。

その当時からつい先ごろの1980年代初頭まで、フェーヴ(「そら豆」)といったらその名通り乾燥そら豆が入っていたそうで、思い返せば1990年代でも、時に模様も何もないただのコイン状のものが無味乾燥に入っていたものです。

今やそんな簡素なフェーブなどあり得ないことでしょう。

だって、フェーヴは食玩と同様、
(どんなの入ってるのかナ、シリーズならそろえたいナ)
という期待感が購買力を高めるわけですからね。

店によっては「今年のシリーズ」が店頭にずらっと陳列してあります。あれを目の当たりにしちゃうといやがおうでも鼻息荒くなりますね。

しかしながら、ワタシはモノ申したい。

名店のガレット・デ・ロワはなぜ、なぜッ、平面的でおもしろみのないフェーヴばっかり入ってるのか(ドンッ、と机をたたく)。

具体的な店名は伏せますけど、アノ名店も、コノ名店も、そうなんです。

平面的なのはおそらく、裏面に店名を刻むのにつごうがいいから。名店は、かっぱ橋みたいな問屋お仕着せでなく、自社謹製フェーヴというわけです。

うちの近所の、名店に数えてもいいパン屋のガレット・デ・ロワは、とおってもおいしいです。パイ皮パリパリで歯にさっくり当たり、中のアーモンドのあんが上品な甘さ。

これを食べている一片から、立体に趣向を凝らしたミニチュアオブジェが出てきたら
(さぞいいだろうになあ・・)
と、思うんですが、ここ数年、小さなタイルに絵が描かれたものばかりなんです。

趣向はその絵にちゃんと凝らしてあるんですが、でももう少し、複雑な立体であって欲しいわけですヨ。陶器の人物や動物や、あるいは有名建築物だったり、ケーキやフルーツだったり。

そこで界隈をさまよい、まずいと分かっている店のガレット・デ・ロワにも手を出すわけです。こういう店こそ、フェーブは期待できますからね。

業者から少量ずつ仕入れる都合上、ひとつとして同じでないフェーヴが入っている可能性大です。

「ヘーエよくできてる」
と、みごと引き当てたフェーヴをみんなでのぞきこむ楽しさ、コレクションに加えるうれしさ。

ただ、少人数で切り分け割に早めに引き当てちゃった場合、その後誰も手をつけようとせず、いつまでも、いつまでも残る、というモンダイを孕むことにはなります。


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オ、ミモザだ、南フランスの花です。これから2月にかけて寒いですが、春へ向かっていくんだなあ・・と、うれしくなります。

前菜は、野菜ポタージュ
主菜は、鶏ローストの残り、カレーとねじりマカロニ、インゲン塩茹で

立ち呑み日記・昭和のサバラン [デザート]

洋菓子のサバランを
「そういや最近見かけない。好きだったのに」
と、学生時代の友人にラインで言われ、そういやワタシも長らく食べてないナ、と、気づきました。

最後に食べたのがいつ、と、ハッキリ思い出せます。かれこれ20年も前、知り合いのお宅にお呼ばれした時のデザートに、出た。

フランス語でサバランは「ババ」といいますが、今どき珍しいワァ、と、そのときでさえ思いました。

「『ラデュレ』にはいつもあるわよ」
と、肩をすくめる女主人である知り合い。

彼女はこの晩餐のためマドレーヌ寺院前にある「ラデュレ」本店へ前日のうちに招待客12人分もの特大サバランを特別注文したと言ってました。

しっとりしたブリオッシュ生地からじゅわーッとしみ出るラム酒のきいたシロップの香りのいいこと。甘過ぎるんじゃないかとおそるおそるスプーンをいれたらとんでもないこと、じゅわーッに魅了されました。

また食べたいナ・・と思いながらも、そのまま20年が過ぎてしまいました。

サバランの発祥は18世紀初頭のフランス、ルイ15世に嫁したポーランド王女マリー・レクザンスカが祖国からベルサイユ宮に連れてきた菓子職人ストーレールの考案によるものです。

ストーレールは5年間ベルサイユ宮で奉公し、その後パリ市内に店を出し、ババ(サバラン)はつとに知られることとなります。

ババは、街のどのお菓子屋にも必ず置いているわけではない気がします。が、「ラデュレ」や「ストーレール」などあるところにはかならず、ある。

パリでババすなわちサバランは、売れ筋のエクレアやミルフィーユに大きく水を開けられながらもスタンダードの位置をキープしている五番手ぐらいの存在ではないでしょうか。

日本でサバランというと「昭和の洋菓子」という感じがしません?

しかしさにあらず、サバランは「不二家」にあり、デパ地下の「FLO」にあり、かの名パティスリー、トシ・ヨロイヅカほかにもまたあるんですね。

「家の近所のお菓子屋四軒どこにもおいしいサバランがある」
と、駒込に住んでいるまた別の友人からの証言ももらっています。

ちゃーんと生存しているのに、最近見かけないと多くの人から言いつのられるのはなぜなんだか。

「帰ってきておくれ、サバランちゃん」
と、阿川佐和子も『残るは食欲』(新潮鵜文庫)のなかでサバランを最近見かけないとお嘆きになっておられるくらいです。

思いまするに、なくなったのはサバランではなく、昔サバランがあったようなケーキ屋、ではありますまいか。

サバランは洋菓子、という頭があるので、スイーツないしはパティスリーとなったサバランが他にまぎれて目にとまりにくくなった。

なにしろスターではなく五番手。スワンとアップルパイの間に置かれていた時代はその存在に気付きやすかったが、クレーム・ブリュレやムース・オ・ショコラなどに囲まれるとあっちへそっちへ目移りしちゃう。

今度食べてみようかナ、と、思いますが、どうせならやっぱり、昭和っぽい懐かしの味でお口の中をじゅわーッとさせてみたいです。


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18世紀初頭にルイ15世妃マリー・レクザンスカとともにポーランドから来た菓子職人ストーレールがパリ市内に開いた店は今なお同じ場所で繁盛しています。ババ(サバラン)ももちろん名物。

前菜は、カボチャのポタージュ
主菜は、シュークルート(牛、豚それぞれのフランクフルトソーセージ、千切りキャベツの酢漬け)、蒸しじゃがいも


立ち呑み日記・リ・オ・レ [デザート]

ありゃマなんでまた、
と、フランス人のオトーサン(ワタシのオットです)がスーパーで買って来たものの入った袋を点検しながら、つい日本語が出ちゃいました。

自分だけが好きなビスケットやコーヒー、四人家族なのになぜかミカン三つぽっち、などはまあよろしい。

「リ・オ・レ」が入ってる。

「リ・オ・レ」というのは米を砂糖と牛乳で甘―く煮込んだデザートで、冷蔵棚にプリンやらチョコレートムースやらと並んでいます。

手に乗せるとゴハン入りだけあって、ずしり、と、持ち重みします。

いつもは冷蔵棚から「ダネット」というダノンから出ているクリームデザートをよく買って来るんですが、今日に限ってどうしたんだか。

オットは「リ・オ・レ」といったら蛇蝎(だかつ)のごとく忌み嫌っているんです。なんとなれば、甘いゴハンが口中および胃に重い。もッさりと、重い。

ワルガキ二匹もお米のデザートは敬遠です。「リ・オ・レ」のリの字が聞こえて来ただけで「オエー」と失礼きわまりない声をあげるほど。

「給食のデザートに出てもぜったい食べない」
と、極悪非道なることを実践しているくらいです。

彼らの肩を持つわけではないですけど、「リ・オ・レ」は確かに前時代的では、あると思います。

なにしろスーパーのお米コーナーには、日本米に形の似た「リ・オ・レ」用米が置かれなくなって久しいんです。

置いてあるのは細長い、主菜のつけ合わせにするタイプのみ。

万事カロリー控えめをよしとする今日、胃にどしんとくる「リ・オ・レ」をデザートにつくろうという家庭などもうめったにないのではないでしょうか。

では、なぜオットは、自分が食べもしないデザートを買って来たのか。

「なぜか『目が合った』」
と、釈然としない回答しか得られません。

しかし実を言いますと、ワタシのほうはここのところ「リ・オ・レ」が気になっていたんです。

先週、風邪で寝込みながら、ちくま文庫からリバイバルした獅子文六『娘と私』にかじりついていたんですが・・

獅子文六は戦前から昭和40年代まで活躍した国民的作家で、大正時代に遺産をはたいてパリに住み、この時に出会ったフランス人女性と国際結婚をして大正十四年に連れだって帰国後、一女を得ます。

フランス人妻は昭和初期の日本の生活で、米を砂糖と牛乳で炊いたものに煮た果物をかけて好んで食べた、という箇所が、あったんですね。

当時でも東京にいれば米と粉砂糖はもちろん牛乳もまた手に入れるのは難しくなく、フランスの物産など他にそうおいそれと手に入らないなか祖国から遠く離れた土地で食べる「リ・オ・レ」はどんなに美味しかったことでしょうか・・(テナはなしオットにしたっけかナ)

このフランス女性はあまりに違う生活習慣のせいか精神に異常をきたして帰国することとなり、日本においてきたわが子と再会叶うことなく故郷の村で若くして亡くなりました・・

さてそんなわけで、せっかくの「リ・オ・レ」、日本人のオカーサン(ワタシです)が代表して食べることにしました。

甘くておいしいですが、やはり胃にもッさり来ました。


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寒いので不精してバスの中からパチリ。橋の「N」はナポレオンの「N」です。

前菜は、アボカド、レモンで
主菜は、フランクフルトソーセージ、じゃがいもピューレのグラチネ、いんげん塩茹で


立ち呑み日記・コーヒーゼリー [デザート]

以前はしょっちゅう食べてたのに、最近ご無沙汰している食べ物って、ないですか?

コーヒーゼリーって、そういや長いこと食べてないナ、
と、ワタシなどワルガキの日本語学校を待つ間にカフェでコーヒーをのみながら、ふと思い出しました。

コーヒーゼリー、好きだったのになあ・・・

初めて食べたのはいつだったか、1970年代中ごろの、小学校高学年だった気がします。

「オシャレな食べ物があるらしい」
と、休み時間の話題になり、周囲の大人たちが
「食べてみた、しゃれててすごくおいしい」
と、言い出した。

われわれ子どもの「初体験」は、どこでたったんでしょうか。

コーヒーゼリーといえば喫茶店という気がしますが、子どもがそんなところへ連れて行ってもらえたもんだか・・

・・連れて行ってもらってますね。デパートの名店街あたりにあった、パフェなんかも充実した喫茶店。ここで、お子様サンデーではなくコーヒーゼリーを指さした。

苦いんじゃないかとおそるおそるスプーンにとるとぷるぷるして、やっぱり苦いかもと白いクリームにたっぷりくぐらせ、ぱくり。

ちっとも苦くなくて、コーヒー牛乳とは雲泥の差の大人っぽい味で、ツルッと喉越しがよくて、カチカチとスプーンがガラス容器にあたる音もすがすがしく、たちまちぺろりと平らげた、気がします。

この後、食品会社が大量生産に乗り出し、日本の津々浦々まで浸透したようです。

コーヒーゼリーって、日本発祥のデザートなんですってネ。

1963年、軽井沢のミカドコーヒーという喫茶店が食べるコーヒーとしてメニューに載せたのがはじまりなんだそうです。

コーヒーゼリーと同時期に大流行したのがチーズケーキで、こちらはワタシなど今なおしょっちゅう食べる機会があるんですヨ。

日本のチーズケーキはアメリカ発で、アメリカへは中欧から移民したユダヤ人がもたらしたものだそうです。

地球一周して日本に入って来たんですネ。

パリのユダヤ人街の中欧系食料品店でチーズケーキはデザートの王様、ずしんと持ち重みするところを一切れ買って帰り食後に食べると、チーズが濃厚もいいところでノド元までウッとオナカイッパイになります。

コーヒーゼリーとチーズケーキの二大巨頭時代は、チーズケーキといったらケーキの中で別格でしたよね。ショートケーキやシュークリームなどの格上。

しかしケーキがスイーツと呼ばれるようになったあたりから、権威失墜した気がしないでもないです。

段トツ格上から、他と肩を並べるまでになった(と思う)。

「チーズケーキファクトリー」というチーズケーキに特化した喫茶店チェーンがあったそうですが、この会社も大変な負債を抱え、2000年代後半に撤退してしまったようです。

が、コーヒーゼリーのほうは地道に脈々と生き延びた。

カフェ・ベローチェというカフェチェーンなどでは絶大な人気を誇り、ことにソフトクリームののった一品はえもいわれぬおいしさだそうです。

なつかしいコーヒーゼリー、ツルリンと食べてみたいところですが、残念ながらフランスには影も形も存在しませぬ。


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実物はなかなか素敵なんですが、写真の腕が悪いせいで寒々しい感じですナ。

前菜は、ずわいがに(缶詰め)をのせたアボガド、レモンで
主菜は、鶉(うずら)のコニャックぶどうソース、じゃがいもピューレ、いんげん塩茹で


立ち呑み日記・コンポート [デザート]

「これあげる」
と、食通の親戚が、りんごのコンポートを携えてやって来ました。

お昼にしょっちゅう買う高級おかず屋さんのランチセットの定番デザートなんだそうな。

このランチセットは前菜のちょっとしたサラダとたっぷりした日替わり主菜(肉ないしは魚料理およびつけ合わせ二品)にコンポートがついて、12ユーロ(約1800円)ナリ。

なかなかよろしいセットではありませんか。

が、毎日昼ごとにデザートまでしっかり平らげていたらカロリー過多とのことでで、パック入りコンポートは四つもあります。

ということはランチ四回分。

ハハーッとありがたく頂戴し、右から左へ鍋に開けて火にかけました。いくら砂糖煮とはいえ4日前のもあるわけですしね。それにコンポートは冷たいより温かいほうが格段においしいです。

このあたり、高温多湿の日本ではまた違うことでありましょう。クックパッドを見ても「冷して完成」というレシピが多いように見受けられました。

あと、「コンポート」とこう日本語で画像を検索すると果物の形がちゃんと残っているものばかりですが、今目の前にあるのはジャムのごとくにドロドロです。

概してフランス人は、コンポートが好きですよね。ドロドロのやつです。

スーパーの冷蔵棚にもヨーグルトやプリンのように小分けになったコンポートがコーナーを占めています。大ビン入りももちろんあり、いずれもドロッドロ。宇宙食みたいなチューブパックに入ったのは子どものおやつの定番中の定番です。

フランス人はなぜにこう、このドロドロに目がないのか。

うちも、果物が傷み始めると粉砂糖をぱらっとやって煮るんですが、ぐつぐついう音と香りに誘われ、フランス人のオトーサン(ワタシのオットです)がソワソワフラフラと台所にやって来ます。

そして引き出しからスープ用のスプーンを取り出してきて横からいきなり鍋につっこみ、熱いところをベロベロリンと舐めたり、する。

「そのスプーンの二度つっこみ厳禁ッ」
と、日本人のオカーサン(ワタシです)は牽制することとなります。

「コンポート? ・・ってことは今日デザートにクレープだ!」
と、学校から帰るなり、家のなかに漂う甘酸っぱい香りからたちまちに鍋の中のものを言い当てると早々と腕まくり始めるワルガキ二匹。

コンポートとクレープ、ッテことは何枚も何枚も何枚も食べる・・
と、あたかも連想ゲームのごとく、フランス人の胃袋は準備態勢がととのうようです。

仕方ない、晩ごはんに向けてクレープ焼いておきましょうか。

クレープはフライパン二枚をあやつってどんどこ山にしていくのでせわしいことこの上なく、なかなか力が要ります。

さてこうやって、クレープに熱いドロドロをたーっぷりぬって食べたんですが、食通の残したコンポート、とおってもヨロシかったんですヨ。甘さの背後にきわだった酸味があり、隠し味にバターが練りこまれているらしくコクもある。

一枚でやめるつもりが、わんこクレープについなっちゃいました。


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なまり色の一日でしたが夕立のあと一瞬ぱっと晴れ間が出ました。

前菜は、パンプキンスープ
主菜は、鯖(さば)のグリル、いんげん塩茹で、蒸しじゃがいも

立ち呑み日記・カマンベール [デザート]

ワルガキ二匹の大好物カマンベールチーズを、豪勢にも二ついっぺんに買いました。

こないだ買った時は、冷蔵庫から経木の丸箱をとりだすや否や、ものの数分で残骸のみ。オカーサン(ワタシです)にはカワのところさえ、残りませんでした。

と、いうわけで二ついっぺんです。

日本ではフランス産カマンベールといったら輸入品でお値段がおッそろしく張りますが、こちらでは格安の大量生産品がいくらでもあります。

それにAOCという生産地のお墨付きの上等のものもあり、あと口に牧草みたいな鄙(ひな)びた香りが残ります。お墨付きには生乳を必ず使い、昔ながらの製法を踏襲しないとならないんだそうです。

ただそうすると、ことにアメリカなど衛生法の異なる国への輸出が、出来なくなっちゃう。そこで大量生産の工業製品に、生乳は使わないものなのだそうです。

その昔、初めてスーパーで見つけた時はAOCだかABCだかまるっきり知りませんでしたが、安くておいしいこと、たちまちにひと箱ぺろっといっちゃいました。

留学などで初めてパリに住み始めると、
カマンベールの洗礼
とでもいうようなものが、あるようです。

すなわち、かの有名なカマンベールチーズを食べてみようじゃないかと見よう見まねで買ってみると、これが天にも昇るおいしさ。

しかもひとつ300円やそこらです。コレワコレワとあっという間にたいらげ、翌日またすぐさまスーパーに走り、ペロリ。

ここに大きな落とし穴があった。

「パリに着いた最初の一か月で7キロ太った」
なんていうひとが、ワタシの周囲に一人ならずいるほどです。

洋服がきつくなって冷静に戻り、カマンベールへの熱烈愛は、つかずはなれず時に親密という、長年連れ添った夫婦みたいな間柄へと安定していくわけです。

パリ生まれの子どもにとっても、似たようなもの、かも、しれません。

スーパーの買い物にくっついてくると、「買って」「買って」と、かなッらずひと騒動ある。

「(クンクンしながら)カマンベール出しっぱなしにしてないか?」
「違うよ、さっきボクが靴下ぬいだんだ」
テナ小咄を、晩ごはんの席で得々とする。

貧乏学生の時代に入ると、積年の恨みを晴らすがごとく、スーパーで安いところを買ってはぱくぱく食べるようになります。

やがて冷静の時代がおとずれるんですが、たまさかにガストロノミーレストランで主菜の後にかくも盛大なるチーズボード、なんてときに、フランス人はカマンベールの存在をことさらにないがしろにしますね。

「もっとめずらしいやつを食べてみなさいよ」
と、カマンベールを指さしている外国人(ワタシなどです)に唾棄すべきもののごとくアドバイスするようになる。

さながら苦節をともにしてきた連れ合いを、ようやくスポットライトが当たったところで足蹴(あしげ)にして浮気する感じ。

とはいえ、コレステロールを気にする人用に、脂肪分マイナス何十パーセント! なんていうカマンベール(風)までもあり、これがまあ
「そこまでして食べたい?」
と、聞きたくなるような味なんですが、つまるところ、そこまでして食べたいものなんですね。


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来週結婚するので男友だち連と独身最後のバカ騒ぎ中、だそうです。

前菜は、トマトサラダ
主菜は、牛ステーキ、モロッコいんげん塩茹で、トウモロコシ、グリーンサラダ

立ち呑み日記・パンチとサラダ [デザート]

晩ごはんの主菜が終わり、ひと息いれたところでデザートのフルーツサラダをつくりながら、つらつら考えた。フルーツポンチ、って、そういや長いこと食べてないな。

ワタシが子どものころは、お子様ランチのあとのデザートといったら、フルーツポンチ、と、ナントカのひとつおぼえのごとくにたのしみにしていたもンです。

柄付きグラスのしゅわしゅわしたソーダ水にしずむフルーツ片の数々。グラスにはストローがささっていますが、普通の半分の短さのそれ。この短さがまたフルーツポンチらしいんですよねえ・・

短いストローでチュッと吸っては、フルーツ片をスプーンですくいとる。

破片のフルーツは、何が入っていたでしょうか。フルーツ缶を開けて混ぜ合わせただけだった、ような気が、しないでもないんですが。

真っ赤なサクランボはお約束でした。あれが入ってないと外食の「感じ」が出ない。ストローで、スプーンで、サクランボをよけながらひと口、またひと口とちまちま飲み食べすすみます。

フルーツポンチを食べているテーブルには、おみくじ付きの灰皿があった。

これをやらせてもらいたいんですが、
「だめです」
と、大人は取り合ってくれませんでした。

待ち人来たらず、なんてことが書いてある丸まった細い紙がとび出て来るだけで50円だか100円だかとられるわけですからね。

さてそうやって、フルーツポンチは外で食べるものでしたが、家で同じようにフルーツサラダを食べたかというと、うちの場合、た・だ・の一度も、食卓に上りませんでした。

「フルーツサラダのうた」という曲がテレビをつけると流れていたんですが。

♪フルーツサラダ、ジョリジョリジョリ・・
と、熟れてない長十郎でも噛んでいるみたいな歌。

この曲、フランスの往年の喜劇役者にして歌手ブールヴィルの持ち歌で、フルーツサラダの口当たりがジョリジョリしてる、というわけではなく、素敵、素敵、素敵jolie jolie jolie ・・と、サビの箇所はフランス語でした。

たのしい曲にのって、フルーツサラダがちゃぶ台にあがってもよさそうなものなのに、オカーサン(ワタシのオカーサンです)が特別な時以外そうしなかったのはズバリ、
「そんなもったいないことできませんッ」

リンゴはリンゴ、バナナはバナナでちゃんと食べるべきで、ごたごた混ぜた日には食べたんだか食べないんだかわからくなるし、なにより果物は安いものではないのだからあだやおろそかに食い散らかすべきでない、とのことでした。

確かに、日本でフルーツサラダにするとなるとひと散財です。

それにやはりたとえばお中元にむっちりした桃をたくさんいただいたとして、バナナとキウイと混ぜて食べようとは思わないのではないでしょうか。

桃は、桃だけで賞味する。

その点フランスは農業国なので果物は安く、安かろう悪かろうの見切り品も多々あるんですが、フルーツサラダにしちゃえば味が折り重なって格段においしく食べられる、というわけです。


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本日集中豪雨がありました。

前菜は、トマトとさいの目チーズのマヨヨーグルト和えサラダ
主菜は、鶏ロースト、じゃがいもロースト、ソラマメの塩茹で、グリーンサラダ


立ち呑み日記・ダネット [デザート]

オットが近所へ買い物に出たと思ったら、ダネット・バニラ味を、買ってきました。

ダネット、みなさんご存知ですか? チョコ味とバニラ味が二大双璧のクリームデザート。

ダネット・クリームプリン、という名称で日本でも発売されていたようですが、検索すると、このデザートを話題にした記事が2004年以外にないところをみると、さっと席巻してさっと撤退した、の、かも、しれません(今もあるのかナ)。

コンビニおやつは激戦ですからネ。

ダネットは、フランスの大手乳製品会社ダノンが1970年に発売し、今日では、フランス家庭で最も食べられているクリームデザート、だそうです。

どんなデザートかといいますと、「クリームプリン」から想像するような乳脂肪の濃厚さというよりは、牛乳で練った、ゆるい葛(くず)湯みたいなぷるぷるとろりんで、きわだったバニラ風味ないしは、チョコ味。

キャラメル味、バニラ&チョコ、ビスタチオ味、なんかも、あります。

毎日のデザートに、そうそうしょっちゅう豪勢なケーキがあるわけでなし、また、果物の買い置きを切らすことだって、ある。

こんな時こそダネットの出番で、市販のビスケットとでも合わせれば、まあまあ満足でお食事がしめくくられる、と、いうわけです。

ヨーグルトのように、パッカンと四つに折り分けるカップ入りが普通ですが、発売当初は500g入り、次いで1㎏入りの大型ポットが登場し、冷蔵庫から出して来ては小鉢によそって食べるものでした。

ワタシら夫婦が結婚したての1990年代初頭も、1㎏入りをよく買ったものです。当時だって四個パッカンも、あることはありましたが、割高につくと思ってました。

が、ふと気が付くといつの間にか、四個パッカンのほうを買うようになっていた。21世紀に入って、1㎏ポットは消え、四個パッカンにのみ集約されたようです。

そういえば、ヨーグルトや、生クリームチーズのフロマージュ・ブランなども、以前はスーパーに大型ポットがずらっと場所をとっていたものですが、いつの間にか四個パッカンが主流になっています。

このあたり、フランスの食生活の変化のカギが、ありそうですが。

さてこのダネット、あるときトゥールーズから遊びに来た友人が、
「似たようなデザートならつくれるよ」
と、台所に立ってくれたことがありました。

それがまあ、実にカンタンで、ダネットと食感がそっくり。

鍋の牛乳にトウモロコシ粉(片栗粉)と砂糖とバニラ香料ないしはココア粉末、それにここがポイントなんですが、お酢少々を加えて火にかけてよく練る。以上。

冷蔵庫で冷やして完成です。

友人のオカーサン直伝の、ピレネー地方の伝統的な家庭デザートで、ご当地では砂糖を炒ってキャラメル風味にするのが一般的だそう。

粉と砂糖と酢と香料ちょびちょび、と、材料はたったこれだけですから、ダネットの原価、などということを考え始めると、なんだか騒然としてきましたです。ハイ。


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高級ブティック街サントノーレ通りの街角。

前菜は、アボカド・レモンとヘーゼルナッツで、アラブ風ビーフソーセージ
主菜は、鴨の甘からだれ焼き、ブロッコリーとキクラゲの炒めもの、白飯

立ち呑み日記・食後に洋ナシ [デザート]

洋ナシの皮を剥きながらつらつら考えた。うんと子どものころ食べた洋ナシは、実がもっと大きかったような気がしたけどナ。

日本で洋ナシって、1980年代最後半に高級品としてラ・フランスが登場するまで、いまひとつなじみがなかったですよね。

うちは母の実家が青森のリンゴ農家で、庭には洋ナシの木もあったらしく、夏の終わりに木箱で送られて来るのを、よく食べたものでした。

「さあ食べろ、もっと食べろ、どんどん食べろ」
と、それもせかされながら。

なんとなれば、木箱の籾殻(もみがら)に手を突っ込んで果実を取り出す段階でもう、どれもこれも熟し切ってゆるゆるヤワヤワで、あまつさえ傷み始めているものさえ、ある。

いくら冷蔵庫があるといってもひと箱全部入れるわけにいきませんから、当時のことで茶の間にクーラーもないなか残暑に汗にじませ、おやつに食後にと母の特命を受けて、目いっぱいかぶりつきました。

洋ナシがあのころそんなには流通しなかったのは、まさに、この熟し方のせいだそうです。

洋ナシは木になっている間は固いままで、追熟といって、もいでから室温にしばらく置いてはじめて香り高く熟れた果実になるのだそう。

メロンなんかといっしょです。

この、追熟の加減がむずかしく、消費が見込まれる首都圏に輸送された段階で、おいしい状態からほど遠いことになってしまう。

まして当時一般的だった洋ナシは、バートレット、という早生の品種で、8月下旬から9月にかけて涼しい東北地方で収穫され、東京地域で厳しい残暑にさらされるわけです。

バートレットは生食にも缶詰にも向くということで、昭和30年代に鳴り物入りで導入されたものの、昭和40年ころを頂点に、生産が減少していきました。

母の実家の青森からも届かなくなりました。

ここから洋ナシと日本人の疎遠時代がはじまり、ラ・フランスの登場まで四半世紀もの年月を待たないとなりません。

「洋」ナシというくらいで、西「洋」の国フランスには、洋ナシの種類はけっこうあります。

リンゴもそうですが、生食はこれ、タルトに焼くならこれ、ワイン煮にするならこれ、と、毎度毎度みなさん買い分けていらっしゃる。

ワタシも見よう見まねで選びますが、食後にでも剥こうかナ、と、八百屋で買おうとすると、まだ固いなりで並んでいることが、けっこうあるんですヨ。

「熟れてないの?」
「今のところはね」
テナ会話がなされ、それでも多少なりとも熟れたところをもとめて、触りに触る。

指で押したとて熟成がすすむわけでなし素直に固いところを買って室温に置き、追熟させるべきなんでしょうがネ。

とはいえ狭い台所にごろんと出ているのも邪魔ですから、ついつい冷蔵庫にしまっちゃう。が、そんなことしたら追熟はうまくいかず、いつまでたってもゴリゴリのままです。

ただ今剥いている洋ナシは、やれうれしや、うまいぐあいに熟して汁気も多く、お皿にのせたそばから次から次へと手が出て、たちまちに、なくなりました。


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朝せわしく歩きながらパチリ。

前菜は、さいの目エマンタールチーズとトマトのサラダ
主菜は、鯖(さば)ムニエル、インゲン塩茹で、刻みパセリ入りガーリックライス

立ち呑み日記・ザクロの実 [デザート]

「ひとつあげるワ」
と、マルシェの帰りにばったり会ったオカーサン仲間から、ザクロの実をいただきました。

「ないと年が明けないわヨ」
エーッ、そうだったの、と、ありがたく頂戴し、家路を急ぎます。

この日曜日の宵、ユダヤ暦のお正月だったんです。

うちのオトーサンはユダヤ系なので、ユダヤの主だった年中行事を、します。ロシャシャナ、と、いうんですが、ユダヤ暦の新年が、今の秋口。

とろけるような甘き一年でありますよう、という祈願をこめて、リンゴとハチミツで祝います。

「ヒデキ、か~んげき」
と、どうしたって言ってみたくなるんですが、マ、心の中で言うくらい、いいんじゃないでしょうか。

そこでマルシェでリンゴを忘れず買ったわけですが、ザクロのことは、気にもとめていなかった。以前、ロシャシャナの宴にご招待いただいたお宅では、リンゴとハチミツ以外にザクロも、あったことはありましたが、つけたしのような扱いだったんです。

が、マルシェで会ったオカーサン仲間は、ザクロこそが新年の象徴とさえおっしゃる。

いずれにしても日本人のオカーサン(ワタシです)は、子どものころから慣れ親しんできた行事ではないので不手際も多く、オカーサン仲間の助言にしたがって、新年のテーブルにザクロの実を、でん、と、置きました。

すると、
「うちらの伝統ではないよ」と、親戚。

フランスのユダヤ人は、中欧系と北アフリカ系にざっと言って出自が分けられるんですが、新年にザクロを重んじるのは北アフリカ系で、親戚やうちのオトーサンなど中欧系はもっぱらヒデキかんげき、もといリンゴとハチミツのみらしいんです。なんとなれば、中欧は寒く、ザクロの木はそこかしこには生えなかった。オカーサン仲間は、北アフリカ系だったんですね。

それにしても、ザクロ、って、みなさん、食べますか。ワタシなど子どものころは買ってもらってまで食べたことは、なかったです。

庭に柘榴(ざくろ)の木があるお宅からたまさかに玄関先で頂戴するもの。頂戴しながら、鬼子母神の好物だ、というハナシを、誰かがかなッらず繰り返すもの。子どものころの味の記憶は、まるっきり、ないです。

新年のテーブルから台所にさげたのち日を改めて食べてみました。ザクロの実は、割ると中に、真っ赤なつぶつぶがたくさん入っていて、これをこそいで口に入れるとさりさりして甘酸っぱく、えぐみなんかもある。

イスラエルでは、食べやすいように赤いつぶつぶだけトレーに入って、コンビニ風スーパーでスプーン付きで売られているものだそうで、テルアヴィヴに出かけた食通の親戚から、おみやげにいただいたことがありました。

日本では何年か前に、ザクロ果汁には女性ホルモンが多く含まれているとされ、身体にいいと大流行したそうですってネ。

実際には含有されてないらしいですが、ザクロジュースや、グレナデンシロップを使ったカクテルって、赤くて、きれいで、なんだかしゃれてますよネ。


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フランス語の「ザクロ」は手りゅう弾でもあります。なるほどそういう形ですよね。って本物は見たこと、ないですけど。

前菜は、胡麻油と乾燥エシャロットをふりかけた赤カブサラダ
主菜は、カレー風味アシパルマンチエ(つぶした牛肉とじゃがいものグラタン)

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