立ち呑み日記・マイ香水 [女子]

日本語学校のあと、12歳のムスメのたっての希望でデパートに寄ってから帰ることになりました。

ムスメが
「なんとしても今日中に欲しい!」
と、目の色を変えるのは、『ハンガー・ゲーム(2)』。

ティーン向け冒険小説の世界的ベストセラーで、(1)を読了するや麻薬中毒患者のごとく身をうちふるわせ、
「次! 次!!」
と、目下なっているところです。

マ、その気持ちはよーくわかります。

本屋ならいつも行く大型店だと新品と並んで安い新古品もあるので、ホントのところはデパートでなくそっちのほうがいいんですけど、本日はもう一つ用があります。

ムスメの気にいっている香水に新作が出ているというので、クンクンしてこよう、という魂胆。

女のコはおとしごろに向かうと、一度は香水にハマる時期があるんでしょうネ。ムスメのクラスでも、女子はそれぞれプンプンのプンプンに香りをつけてきて
「これが自分のお気に入り」
というのを、自慢し合うんだそうです。

テュエリー・ミュグレーのナニナニがどうの、ディオールのカニカニがこうのとなかなかいっぱしのもよう。ワタシらもまた、通ってきた道ですもンネ。

12歳ともなるとお誕生日プレゼントにオー・ド・パルファンあたりをねだるのは普通だそうな。うちのムスメも実のところ、お誕生日を迎える前にマイ香水を手に入れています。

「オカーサン香水かして」
というので、鏡台の奥底に後生大事としまってあったかつてのお気に入りを久々に引っ張りだしてみたところ、ワタシのおとしごろ期ははるか遠く、なんとまあどれもこれも揮発していた。

奥底に茶色くこびりついたなりのビンに鼻をつけても夢いっぱいだった日々を彩ったあの軽やかで華やかな香りは雲散霧消し、それどころかお線香でもいぶしたような古くさーいニオイがそこはかとなくするのみ。

わが青春の日々もまた揮発してしまったようで、なかなか悲しかったです。

そこで思い出を取り戻すがごとく、この夏に日本へ一時帰国した折にド・ゴール空港内の免税店で懐かしの香りをつい買っちゃったんです。とはいえ長いこと香りをまとう習慣など失せていて、右から左へムスメのものとなりました。

ニナ・リッチ「ニナ」。

ニナ・リッチには「レール・デュ・タン」という名香があり、ワタシのおとしごろ期はなにしろ香水ブームでしたからまずはこちらへ親しみ、その直後さらに若向けの「ニナ」が出たのでルンルンと乗り換えた次第。

巷ではディオールの「ミス・ディオール」が一番人気でした。

今回は「ニナ」よりさらに軽やかな「タンタシオン・ドゥ・ニナ」が新登場だそうで、ムスメはこれを嗅いでみたくってたまらない。

「嗅ぐだけですよ、買いませんよッ」
と、クギをさして、いざ出かけます。

デパートは土曜の夕方のことでたいへんな混雑。

誇張でなく満員電車のような店内を人波にもまれながら右に左に無暗に歩き、「シャネル」のブースほか中国人店員さんの手を借りてなんとかニナ・リッチのコーナーへたどり着くと、可憐なビンから鼻先にさっそくシュッシュッとやっていただきました。


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この日曜日はなかなかやまない雨でした。

前菜は、野菜ポタージュ
主菜は、牛挽き肉ステーキ、ニンニク風味じゃがいもソテー、いんげん塩茹で

立ち呑み日記・カモはどっち [女子]

「白人男性による女のコのナンパ術・日本編」騒動って、ご存知ですか?

ここ数日世界中のインターネットを賑わせているそうで、ワタシはフェイスブック上のフランス語版ニュース記事や、日本およびフランスの友人の引用から知りました。

記事によるとこの白人男性は若く精悍なスイス人何某で、自身が若い欧米男性に向けて行っている女のコのナンパ指南術・日本編の講演風景がyoutubeに掲載されるやツイッターで大炎上となり、そのあおりで近日中にオーストラリアで予定していた講演が、会場予定のホテルのほうからキャンセルを申し渡されるまでになったそう。

映像を見ると、日本でこの男性が女性店員さんに無理やり抱きついて離れぬなどよろしからぬシーンが続き、こうなると強姦に基づくれっきとした犯罪行為で次回来日の折には逮捕も免れないであろう、と、日本の外国人向け英語サイトが厳しく糾弾している、と、ニュース記事はまとめています。

その英語サイトの糾弾通り、講演内容は実にはなはだしいです。

「日本でのナンパには軽妙なおしゃべりなどは必要なし。即、ヤル、のみ!」

日本の女のコといったらオレら白人男と見るや尻尾振ってホイホイだから100パーセント成功だぜ、と、こうです。

日本語話せなくても問題なし、「ビカチュー!」「ポケモン!」とでも叫んでりゃ何とかなるのサ。

日本の街をのして歩き、女のコと見ては路上で次から次へ立て続けに何人も頭おさえつけてオレ様の股ぐらへグッとやらかしたのは楽しかったナァ・・

・・あんた正真正銘のバカ白人?
と、これでは警察に拘留されたって仕方ありません。

炎上コメントのなかには、同じことを日本の男からされようものなら烈火のごとく怒るくせに白人男性だと笑って許す女のほうもよくない、という、自信喪失ぎみの日本男子(おそらくお若い方)の意見も交じっているもよう。

そうかしら?

いえね、ワタシの友人に男斬りの猛女がいるんですけど、彼女に言わせると東京の六本木あたりで軽薄にナンパしてくる若い外国人男性といったら若いだけに素寒貧でケチったらしいんだそうですヨ。

「そんなしみったれ男といい雰囲気になれるとでも思う?」

そこをなんとか百歩譲って「ピカチュー!」でみごとナンパに成功し、首尾を果たしたとしましょうか。

このスイス人何某はもちろんのこと、会場を埋めている白系若者のみなさん、
(ノーテンキだなあ・・・)
と、思わずにいられないんですね。

なんとなれば、女のコには女子トークというものが、ある。このこと、スイス人何某はじめ会場の青年諸君、まるで判ってないんじゃないかなあ・・

「ハヤイのヨ」
などと俎上にあげつらってゲハゲハ嗤(わら)う、なんていう辛辣なお楽しみを、日本の女のコたちは当然のごとくしてるンですゾ。

で、翌日彼女はまたしおらしくあいまいに笑っている。その傍らでは
「Youがウワサのリア友の外人カレ? ハロ~!」
と、嗤いをかみ殺す気配もなく別のコがおしとやかにほほえむ。

いずれ劣らぬカモの味なり。


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午後6時。いよいよ陽が短くなりました。パリ市庁舎裏側からパチリ。

前菜は、トマトと薄切りラディッシュのオリーブ油かけサラダ
主菜は、七面鳥ささ身の竜田揚げ、カレーライス、焼きパフリカ 



立ち呑み日記・カチッとした [女子]

12歳のムスメがなかよし三人組で
「ハロウィンの仮装パーティーする」
と、言い張るので、街へ買い物に出ました。

ムスメがなりたいのは、「ハリー・ポッター」の敵役マルフォイ属するスリザリン寮の女子生徒。魔法学校のガウンと指定のネクタイはこの夏日本でユニヴァーサルスタジオに行った折に奮発しています。

ムスメが差し出した必要なものリストは、これです。黒ないしは紺の簡素な膝上スカート、同系色のベスト、白い襟付きシャツ、薄い黒ストッキング、黒い短靴。

要は、日本や英国でよく見かける中学高校生風にしたい、と、いうんですね。日本ならイトーヨーカドーあたりでいずれも簡単に、格安でそろうのに・・。

本場英国ならなおのことです。

昨年、ロンドンに旅行して知ったんですが、マーク&スペンサーというスーパーへ行くと中学高校の標準制服コーナーがあり、白シャツや黒・紺・濃緑などのサージのスカートやズボン、黒い短靴など、お手軽価格で見つくろえるんですヨ。

そういうスーパーならお財布もそんなには痛まないっていうのにまったくもう・・

「仕方ないでしょここパリなんだから」
と、あくまで我を貫き通したいムスメ。

オカーサン(ワタシです)はため息がつい出ちゃいましたね。

「カチッ」と音が聞こえて来そうなほどカチッとした恰好に英国女性はよく身なりをととのえてますが、フランス女性はその真逆です。

「カチッ」はくずし、どこかしらしどけなくする。特別な私学でもない限り制服があるわけでなし、カチッとした制服風などそう簡単に見つかりっこありません。

「バーバーリー」など英国の名店へ行けば「カチッ」の大音量に出会えるやもしれませんが、たかだかハロウィンにそこまでお財布を開く必要があるでしょうか。

とりあえず、ティーンに人気のある安い洋服のチェーン店へ行ってみました。するとあんがい簡単に黒の膝上スカート発見。

ただしこの店の白シャツはテロンテロンでいかにもフランス女性好みにしどけなく、ホグワーツ魔法学校の「感じ」が、まるででません。

「GAP」ならどうかしらと行ってみると、ぎりぎり合格点がありました。今後も着ることをかんがみ、レジへ。

その道すがら、靴屋さんで黒のローファーも購入。

ワタシの中学高校時代はこの靴が制服の一部だったもンです。ムスメもズタ靴でなくこういうカチッとした靴で登校するなら好都合です。

しかし当の本人は仮装の一部としか考えておらず、これ履いて學校へ行くとは
「ダサくてありえな~い」

なにをほざくッ、今後履かないのなら買いませんッ、
と、店内で親子げんかが勃発しかけましたが、学校へは履いて行かないものの家族のお出かけなどには履くというので、解決の糸口を見ました。

難儀したのが簡素なベストで、どの店にもありませんでした。断腸の思いで『ユニクロ』へ。日本なら三割がた安いのにと歯噛みするまいことか。

でもお陰でそれっぽいのが全部そろいました。ムスメはこれらを全部身に着けるとすっかり魔法学校の生徒、ないしは日本のJK(って言うんですってネ女子高生のこと)みたいになりました。


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アンボワーズの街に泊まった朝、ホテルの窓からパチリ。

前菜は、アボカドとトマトサラダ
主菜は、牛挽き肉ステーキ、いんげん塩茹で、じゃがいもとキャベツのピューレ

立ち呑み日記・ミントソーダ [女子]

投げ売りDVD屋さんの前を通ったら、「ディアボロ・マント」
(ディアーヌ・キュリス監督・1977年製作公開)があったので、ウハウハ買って帰りました。

「ディアボロ・マント」は1963年のパリを舞台に女子中学生姉妹の何気ない日常を描く青春譚で、フランス版アカデミー賞にあたるルイ・デリュック賞を受賞し、大人気を博しました。

残念ながら日本未公開。ワタシもパリに住み始めてからテレビ放映で知りました。

1963年秋、13歳と15歳の姉妹が通う、パリの公立女子中等高等学校に新学期がやって来て、二人は校内に入ると学校指定のベージュのスモックを羽織り、ガミガミいう女の先生の先導で教室へ向かって行きます・・

「制服の女子校ってことは、名門私立?」
と、横でいっしょに見ていた12歳のムスメ。

「ジュール・フェリー校」と、リセの名が大写しになるんですが、由緒正しい進学校にしても、れっきとした公立です。

当時は男女別学だったんですね。共学になるのは1970年代半ばから。

13歳の妹は家族のみそっかすで、15歳の姉ほどには信頼がなく、大人の話についていけません。そんな妹が、姉や母がカードゲームに興じているところへ飛び込んできて、
「ケネディーが死んだ!」
「うそつきー」(誰も信じない)

この妹は、学校に通うのにソックスでなく、姉のようにストッキングを履いてみたいんですね。母にしきりにねだるんですが、願いはなかなかは叶いません。

ストッキングって当時は安いものではありませんでした。

ワタシがパリに住み始めた1980年代後半もまだ、「プランタン」などのデパート前にストッキング修復の屋台が残っていたものです。

ついに念願かない、13歳の妹はストッキングに脚を通すことがでました。伝線したところには丹念にマニキュアを塗る。

そうそう、ストッキングの伝線といったらマニキュアでしたよネ。

伝線に気づいたらそのへんのコンビニに飛び込めば即座に事が済む今の日本で、そんなことする女性はもういないんじゃないでしょうか。

13歳の妹はある日、クラスメート数人と学校近くのカフェにこっそり寄り道します。

「わたし、ディアボロ・マント」
と、ツンとおすましして、妹。タイトルにもなっているディアボロ・マントとは、緑色したミントソーダです。

どうです、青春の始まりの清々しさと大人っぽく背伸びする感じが飲み物でよく表現されているではないですか。

が、そこへ友人とやって来た15歳の姉に見つかり、
「こんなところで何してんのッ」
と、頭ごなしにやられます。

その姉は政治に興味を持ち出し、元カレの父親とキスするも失恋し・・

「つまんなかった」
と、ムスメがエンドロールになって断言したので、な、なんでー?? と、素っ頓狂な声が出ちゃいましたヨ。ワワタシなど人生のベスト1といってもいいほどなのに。

ムスメいわく、13歳と15歳とは思えないガキっぽさで、ストッキングがどうのとかつまらないことにばっかりこだわってるのがまだるっこしい・・

ドラッグ、避妊等、今の12歳を待ち受ける諸問題からすれば、この時代の諸問題など何でもないのは確か、では、ありますがねえ・・


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街でディアボロ・マントを飲んでいたひとがいたのでパチリ。

前菜は、トマト・セロリ・ベルギーチコリのサラダ
主菜は、鶏ロースト、じゃがいもロースト、ピーマン・ズッキーニ・輪切りニンジンのオリーブオイルソテー


立ち呑み日記・ズックを洗う [女子]

「あらマなんて汚い靴だこと」
と、スニーカー専門店に入ったら、12歳のムスメの足元に目をやったお店のマダムが驚きの声をあげました。

「ここまでひッどいコンヴァース、見たことないわ・・」

そりゃマ、だからこそ新しいのと買い替えに来たところなんですが。

「洗ったことないの? 洗濯機は30度よ、30度!」

フランスの洗濯機は水温を90度、60度、40度、30度と、いちいち指定しないとならないんです。それにしてもスニーカー丸洗いなど考えたこともありませんでした。「していいの?」までの心境。

子どもの靴なんて3か月も持てばいいほうですからね。

どたどた走り回るのが身上ですから、見る見るかかとがすり減り、足のサイズもぐんぐん大きくなってつま先に穴が開いたり、する。

それをわざわざ洗うというのも、どうなんでしょうか。が、確かにお店のマダムが言うように、これからはもっとちゃんとお手入れすべきかもしれません。

ムスメも中学第2学年目というおとしごろ、どたぐつで走り回るのもそろそろ卒業です(フランスの学制は日本のように6・3・3年制でなく5・4・3年制です)。

「ホラ見てごらんなさい私のベンシモン」
と、マダムは自信満々に自らの足元の、つやつやぴかぴかしたズック靴の白いゴムを指さしました。
「毎ッ晩、拭いてるのよ、おろしたてみたいでしょうが」

ベンシモンはパリで人気の、カラフルな色がそろったズック靴のブランドです。
(ズック靴、ってそういや最近言いませんネ)

ムスメのクラスでももちろん人気で、ベンシモンは
「何があっても素足に履くもの」で、
まかり間違って靴下を履くのは
「ダサイなんて言葉では足りない」
くらい恥ずかしいことなんだそうな。

考えてみればワタシなども幼稚園から高校まで上履きや運動靴、ないしは体育館履きを、時に家へ持ち帰っては柄付きタワシでゴシゴシ洗ったものでした。

級友のなかには茶色く煮しめたようなのを年中平気で履いてるコも、ウン、いたいた。

上履きの素材って、当時と今とではずいぶん違うのではないでしょうか。昭和40年代半ばの、ワタシが小学校低学年のころは、親指やかかとのあたりが擦り切れて月面クレーターのようにすぐなったものでした。

それに履くと割にすぐお煮しめ色に汚れを吸うので、洗うときは全身全霊でゴシゴシやったもンです。でないとちっとも白くなりませんでした。

そこいくと一昨年の夏の一時帰国で実家近くの小学校にムスコが体験入学させていただいた折にイトーヨーカドーで買ったそれは表面がつやつやして汚れがつきにくい感じ。

あと、「前ゴムシューズ」というのが正式名だそうですが、前のゴム部分にマジックで学年氏名を書きこんだわれわれの時代のスリッポンの運動靴、あれ今や完全に絶滅しちゃいましたネ。

前のゴムのところにひみつのアッコちゃんなどのキャラクターがついているのなどうれしかったものでしたが。

さてムスメはくるぶしまでの黒いコンヴァースに履き替え、足元すっきり。マダムの足元に感化され、ついでにベンシモンにもお財布を開かされました。


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近所の高校生たちが休み時間を過ごし、授業に戻って行きました。

前菜は、カボチャのポタージュ
主菜は、鶏ロースト、じゃがいもロースト、いんげん塩茹で、グリーンサラダ

立ち呑み日記・青春の花火 [女子]

子育てが一段落した旧友が単身パリに遊びに来て、彼女がぜひとも一度行ってみたいというビストロに連れ立ったんですね。

「青春の花火」
なんてことを、フォアグラのビール風味ゼリー寄せやらにナイフを入れながら彼女が言い出したので、うひゃーとたまげました。

このビストロは、当代あぶらののりきった三ッ星スターシェフによるセカンドメゾン。旧友は駆け出し社会人のころ、なんと若き日のこの大シェフと「ひと季節の恋」を打ち上げたのだそうな。

大シェフは当時ニキビの跡も残る19歳で、日本で開催された食の祭典に師匠すじにあたる大料理長の一番下っ端の「コックさん」として一団にしがみつくようにくっついて来た。

美人で語学が堪能な彼女は、別の一団の通訳としてさっそうと仕事をこなしていました。その姿にあからさまな憧憬をあらわしたのが、かの19歳のコックさん。

熱烈な、しかしまだ世慣れないところから稚拙さが見え隠れする口説き文句を受け、彼女もまた働き盛りの恋し盛りですから、「うふふ」と鷹揚に微笑んで道なりに進んだもよう。

「フランス男ってやさしいのね」
と、南仏産赤ワインをひと口喉に滑らせ、旧友。

二人で投宿した翌朝、青年は朝食バイキングで彼女を王女のごとく着席させると、カフェオレを淹れ、トーストを焼き、好みを細かく訊ねてハムやスクランブルエッグを皿にいかにも料理人らしいきわ立った盛り付けで持って来てくれたそうです。

その後一団は帰仏し恋も沙汰やみとなりましたが、仕事で海外をとびまわっている彼女にフランス出張がは入った折に、ふと思い立って連絡をとってみた。

若きコックさんは19歳からひとつふたつ誕生日を重ね、あいかわらず精力的に頑張っていました。

「あッ、あのときの」
と、ワタシも膝を打ちました。

ワタシが語学留学していたころ、彼女が仕事でパリにやって来たことがあるんですが、
「今から元カレと再会」
と、テヘヘと照れ笑いしながら言うので、あらお楽しみねと別れたものです。この時、多忙な厨房の仕事をさいて車を出し、ロワールの古城を案内してくれたそうです。

それから間もなく彼女は良き伴侶に恵まれ、仕事、家事、子育てと例のごとくめまぐるしい日々。

この間、かつての下っ端さんはぐんぐん頭角をあらわし、また、ポール・ボキューズはじめ多くの大シェフたちの活躍により全世界で料理人の社会的ステータスが目を見張るほど上がりました。

旧友は青春の花火のことなどすっかり忘れていた5年前、高校生になった一人娘をまじえ家族三人で欧州旅行をすることになり、ふと思い出してその名を何気なく検索してみたら腰を抜かしたと言います。

3つ星を掲げ、パリの有名ホテルの総料理長としてメインダイニングを仕切っていた(当時)。

「なら5年前に家族そろって会いに行けばよかったのに」
と、暢気に言ったら旧友はフォークを置いて、
「雁首そろえてのこのこ行けると思う?」

先方にとっても青春の花火。

われわれ世代ももう半世紀、家族同伴の邂逅があっても悪くない気もするんですが、でもやっぱり思い出は思い出のままのほうがいいのかもしれませんネ。


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バスを待ちながらパチリ。

前菜は、トマトサラダ
主菜は、牛挽き肉ステーキ、じゃがいもピューレ、いんげん塩茹で


立ち呑み日記・壁ドン [女子]

壁ドン、というのに、多くの女性のみなさまがアコガレておられるんだそうですってネ。

僭越ながらウラシマのワタシが説明いたしますと、男性が女性を壁際に追い詰めて壁をドンッと叩き、決めセリフをもってはなはだ強引な愛情表現をするのが、壁ドン。

(ドンッ)「俺以外の男を見るな」
・・・(胸きゅん♡)・・
と、いうことのようです。

な、なんでまたそんな・・
と、初めて聞いたときは肝をつぶしたものですが。

だってですよ、これってDV(ドメスチック・バイオレンス)ではないですか。

某国でDV被害のかけこみ電話サービスのスタッフをやっていた知り合いによると、「壁」はDV支配の典型的な第一歩だそうです。

まずは男性が女性の片肩を、とん、と、こづくところから始まる。

両人ともにこれがDVとはつゆとも思わず。

そのこづきが次第に壁際の逃げ場がないところへ押しつけて行くようになり、さらにはベッドに力づくで押しつけるまでになる。

「床ド」ンといって、壁ドン憧憬者がさらに目くるめく思いでアコガレるのがベッドへのこれなんですが。

本物のほうのDVではいよいよ殴る蹴る暴言が始まり、嵐が過ぎると今度は涙を流して殊勝に行状を反省するので、二人の間にうたかたの蜜月が戻る。

これを繰り返すうち、女性側も、
「自分がいなければこのひとはだめなんだ」
と、共依存に陥って行くのが、本物のほうのDVです。

本物のほうのDV
と、繰り返しましたけど、壁ドン、ひいては床ドンは断じてそうはならないんですね。

なぜというに、壁ドンも床ドンも、少女マンガのワンシーンのごとき妄想上のそれだから。

リアルではどうか、というアンケートを見つけましたが、「リアル」なんて言葉が出てくること自体、現実として想定してないわけです。

「好きでもない男からなど問題外」
と、このアンケートでは勘違い男に釘をさしていました。

日清食品のカップヌードルのCMにも壁ドン編があり、「想像と現実は違う・・」というのがテーマになっています。

片やスマホの、バーチャル彼氏とやりとりするアプリなどでは壁ドン大盛況(らしいです)。

草食男子など、現実世界では壁ドン式強引男子とは対極の品行方正青年が横行する今日、心をしばし非現実へと解放するのでありましょう。

それにしてもワタシらが若かりしころだって(もちろん今だって)被虐的なラブシーンに心ときめかせた善女はいるはずなんですが、「壁ドン」のようにみんなと思いを共有しようとしたことは、なかったと思います。

やはりインターネットありき、ですよネ。

あと、壁。

壁なくして壁ドンできないわけですが、ワタシらの時代の壁は、親しみづらかった。

当時はテニスブームで、壁あるところどこでも壁打ちテニスが盛んだったものですが、そんなところで壁ドンされようものなら球が飛んできて危険この上ない。

また、街中で見かける壁はといえば、
サタンの瓜参上 夜露死苦
なんて汚らしくスプレーで書かれていて、壁ドンのお相手がヒデキだろうとトシちゃんだろうと国広富之だろうと、壁に背中をくっつける心境にはとてもなれませんでした。


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インディアンサマーの宵。

前菜は、トマトとカレーマカロニのサラダ
主菜は、白身魚(タラ)のフライ、蒸しじゃがいも、いんげん塩茹で


立ち呑み日記・再会 [女子]

もうちょっと気の利いた場所で待ち合わせればよかったな、と、八百屋の前でぬぼーと立ちながら少々反省しました。

ただ今、中学時代のクラスメート、チアキを待っているところです。中学卒業以来、実に35年ぶりの再会。

チアキもまたフランス人の伴侶を得、夫ぎみの転勤で世界各地に居を構えてフランス語のみならず英語、中国語が自在にあやつれるまでになっているということは、風の便りで知ってました。

彼女とは中二のとき同じクラスで、ひところ教卓の真ん前に前後して席が近く、時に度を越えたオフザケを二人でやらかしたものでした。

マ、厳格な女子校でしたから、「度を越えた」といっても世間一般の「度」よりはうんとハードルが低いですけどネ。

あれは何の機会だったか、学校に「ニンニクを持って行っちゃおう」ということになった。

「ニンニク担当する」とチアキ。
「じゃワタシはおろし金」とワタシ。

ラーメン二郎でもあるまいしそんなもの学校に持って行って何になると思いますが、中二病の頭にはニンニクとおろし金さえあれば革命だって起こせ吸血鬼も尻尾巻いて逃げていく、ト、思いこんじゃったんですね。

なにしろ二人して席が教卓の真ん前ですから別に感じなくてもいい責任感を感じ、級友の乙女らを吸血鬼(ないしはキライな先生たち)の魔の手から守らねばと、さながらドラクロアの絵画「民衆を率いる自由の女神」のごとく腕(かいな)ふりあげ立ちあがったわけです。

で、その日朝礼の前に鞄から所帯じみた秘密兵器をとりだした。

「どうする?」
と、一応は顔を見合わせ、「決行」

すりすりすり、と、その場でひと玉全部すっちゃいました。おろしがね持参の立場上、実際に手を下したのはワタシです。

たちまちに、教室中オッソロシイにおいが充満しました。

「みんな窓閉めてーッ」
と、チアキの先導で教室を密閉し、さらに魔力を増強させます。

よくしたもので鼻ってバカになってくるんですね、中にいる一同は何ら臭気を感じません。平然と着席し、担任の若い男の先生を待ちました。

「ウッ」と、先生はドアを開けるなり一歩退き、
「窓開けろーッ。オレ吸血鬼じゃないが死にそうだ」

この時点ではまるで理解に及びませんでしたが、われわれの実に実にくだらないオフザケを先生はオフザケとしてちゃんと反応してくださったわけです。

「首謀者は誰だ」
と、二人の名誉もみんなの面前で追及してくださった。

得々とチアキともども手を挙げ、お叱りともお嘆きともつかないお言葉をいただきました。

翌日、いちおう反省して消臭スプレーを持って来てシューシューやり、今度はうってかわって教室が爽やかな香りに包まれましたが、ニンニクひと玉スリスリしたワタシはといえばセーラー服のシンまでニンニク臭がしみつき、ことにえんじ色のタイは洗濯屋に何度だしてもニオイが消えず、閉口しました・・

・・テナこと八百屋のニンニク眺めて思い出していると、
「ぐちーッ!」

横断歩道の向こうから、チアキと顔のそっくりな日仏混血で美貌の青年と淑女に両横からはさまれ、大きく手を振りながらチアキが早足でやって来ました。


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夏休みの一時帰国で日本に到着しました。

前菜は、トマトとブロッコリーのサラダ、冷奴、枝豆
主菜は、お寿司

立ち呑み日記・ムダ毛 [女子]

脱毛クリームを
「買って、買って、買って」
と、11歳のムスメ。

思春期の入り口に目覚める自我というのはまず産毛(うぶげ)の先に宿りますナ。

オカーサン(ワタシです)とて通ってきた道ではあります。シャンプーの銘柄に凝るようになり、朝、鏡の前で入念も入念に髪を梳(と)かすようになる。

ワタシらのころは寝る前に前髪にカーラーを巻いてクルンとさせるのも流行りました。

思春期の入り口はまだ寝相(ねぞう)が悪く、知らぬ間にカーラーが曲がって朝目覚めると横山ノックになっちゃってる、テナ惨劇もまま起こりました。

髪はその後授業中の手なぐさみの枝毛つみへと発展していくんですが、こちらはハイティーン以降。

ロウティーンで一度は手を染めるのが、手足の産毛(うぶげ)のお手入れです。

自分の腕やすねの毛が「熊みたい」に思え、気になって気になって気になって、もひとつ気になって仕方がない。

クラスメートのだれそれちゃんが脱毛した、なんてウワサを聞きつけると、
「ど、どうやったの?」
と、身を乗り出してたずねに行き、すべすべの腕に触らせてももらう。

「あたしもやってみる」ということになるわけです。

ワックスとクリームと安全剃刀ではどれが一番か、というのは最重要話題ですから、口角泡をとばして語り合います。

あとワタシらのころは、オキシドールで脱色するのが流行りましたよネ。オキシドールで脱色してるコはすぐ
わかりました。腕が金色にキラキラしてる。

大人っぽいなあ・・と、まぶしく見たものですが、ワタシなど試してみる勇気が出ませんでした。なんとなれば、オキシドールのせいで「やけどする」などとも喧伝されていた。

そういえば、コーラで髪を洗うと脱色できる、なんてまことしやかに広まっていたもンでしたが、実際にやってみたコっていたんでしょうか。

当時は家のお風呂にシャワーなんてありませんから、洗い流すのはなかなかやっかいだったのではないでしょうか。

ワタシは、今ムスメの試したがっている脱毛クリームは、やりました。クリームをぬって数分おき、ティッシュでこそぐ。

産毛が見る見るとれていくんですが、よーく見ると毛根に罌粟(けし)の実ほどの小さなつぶつぶが残っているんですね。

これは一大事と顔を近づけ、毛抜きでひとつひとつ丹念にほじっていく。

いやはや、今思えば青春とはたーっぷり時間があったものでした。大人になって久しい今、こんなバカバカしいことに時間など費やしてられません。

しかし当の思春期世代にとってはわが身につきつけられた(と思いこんでる)最大の艱難(かんなん)ですからね。

「次のデートで初エッチになりそうなんですがお腹の産毛や脇の剃りあとをどうしたらいいでしょう」
という女子高生のお悩み相談さえ、検索していたら見つけました。

相談者の彼氏というのも同級生だそうで、ということは間違いなくおへそまでつながってるあたりを見下ろして、同様にひとり懊悩していることでありましょう。


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9歳のムスコの本日の宿題。詩の二連まで暗記です。

前菜は、アボカド、レモンで
主菜は、牛ステーキ、じゃがいもソテー、モロッコいんげん塩茹で、グリーンサラダ



立ち呑み日記・血圧計 [女子]

「健康の太鼓判ですヨ」
と、心臓専門医に宣告され、やれやれの心境です。

ことの発端は一か月前、野暮用あって単独一時帰国した時でした。

親族と出かけた先に血圧計があったので、みんなで「測ってみよう」ということになったんです。ワタシもふざけ半分で腕をつっこみました。

するとなんとまあ、上が175、下が125などという世にもオソロシイ数字が出た。

血圧の正常値は上が130以下、下が90以下ですからね。血圧計が壊れていたわけでもなく、親族はワタシ以外常識的な数値でした。

「やッだぁ、普段はモチロンこんなじゃないわよォー」
とかなんとかお茶を濁したんですがなんだか気になり、パリに戻るなりすぐさま上腕で測る血圧計を買ったんです。

以前から持っていた手首で測るので測ってみると何ら問題ないんですが念のため。上腕のほうが正確と聞きますしね。

真新しいオムロンのそれへ緊張にうちふるえつつ腕をさしこみます。

え、えーッ。やはり170なんていう驚くべき数字が出る、どころか測れば測るほどグングン上がり、しまいにはなななんと、上が200にまで到達。

ワタシもう息も絶え絶え。今にも足がもつれ舌がもつれてきそうな心境になりました。

ひと晩そうやって上腕に撒いた血圧計をにらみまんじりともせず朝を迎え、おっとりがたなで心臓専門医の緊急当日アポをとります。

アポの時間をじりじりと待っているところへ一本の電話。

眠れぬところでわが最悪なる状況を友人についメールでこぼしたところ、日本からわざわざ国際電話をかけてくれたんです。

「ねえ、血圧って、どうしようッ・・と不安に思いながら測るとどんどん上昇しちゃうって、知ってた?」

ハラハラしながら血圧を測るとそれだけで数値が上がる悪循環に陥って行くものだと言うんです。

「ぐちのことだから今ごろ相当動転してるナと思って」
(うくく)と、電話の向こうで笑いを噛み殺している気配さえ、する。ひどォいとも思いますがさすが、ちゃあんと見抜いています。

しかしこれで心がグッと軽くなったんですから友とは有り難いものです。

「そういう数値が出る場合もまあ、ありますよ」
と、心臓専門医は問診でワタシがここまでの経緯をオデコに青筋立てて語ったところ、のーんびりした口調でお答えになりました。

友人の慧眼(けいがん)通り、血圧は緊張したなりで何度も何度も測ると際限なく上がっていくものだそうです。

家族をパリにおいての単身一時帰国や時差ぼけ、「血圧をみんなで測ってみよう」という競争に似た緊張感などから一時的に高い数値が出たのであろう、というのが専門医のお見たてでした。

念のため血液検査の処方をいただきました。

フランスはこの処方箋を持って検査専門の街のラボへ行き、検査結果を患者が受け取って改めて医者をたずねます。その検査結果を講評してもらうのが本日のアポでした。

結果は、どこもかしこも異常なし。

血圧も、数日間は血圧計に触らないで気持ちを落ち着け、しかるのちに毎日測ってつけてみるように言われたのでそのようにしてみたら、実にあっけなく正常に戻ってました。


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夕方6時です。もう3月ですもんネ、日が長くなってきました。

前菜は、カボチャのポタージュ
主菜は、鯔(ボラ)のオーブン焼き、蒸しじゃがいも、インゲン塩茹で


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