立ち呑み日記・クロマキー [遊び]

緑色布が、どうしても
「どうッしても欲しい」
と、13歳のムスメ。

なにそれ?
と、ムスメの言っている意味がてんでわかりませんから訊ねると、なにしろ反抗期のことで実ににくにくしい侮蔑の表情を鼻に浮かべ、
「オカーサンったら無知もいいとこ」

緑色布は映画やテレビの特撮で背景に用いて人物の映像を切り取り、別の背景と合成するもの、と、こう、歯の矯正器具のせいでいまひとつ発音不明瞭な早口でまくしたてたので、
「あーあれね」と、わかりました。

クロマキー、というのが正式名称で、テレビのお天気予報などでも、この手法で天気図の真ん中に立っているわけです。

そんな専門的なもの、そのへんで売ってるものなんでしょうか。ただの緑色の布なら布屋さんに行けばいいだけですが。

「布屋じゃだめに決まってるでしょ」
と、無闇にイバるムスメ。「撮影道具なのよッ」

ムスメは映画撮影に多大な関心を抱いていて、iPadのアプリで暇さえあればミュージックビデオを作成して遊んでいます。

これがまあ、同じ人物が画面に二人登場したりなど複雑なことが実に簡単に実現できるんですね。

ワタシは学生のころ8ミリ映画制作に熱中しましたが、あのころ知恵を絞りに絞ってフィルム合成したようなことが、今はローティーンがちょちょいのちょいでそれ以上のことまでが出来ちゃうんです。

ムスメは同好の士であるクラスメートのジュリアンくんとデジカメで短編映画を制作するつもりだそう。

してそのシナリオは、
「トップシークレット」で「最終稿の段階」
だそうな。

このテの自主制作の映像がまたYoutubeにざくざくあげられていて、創造心を刺激されるらしいんですね。

ジュリアンくんはお誕生日にカメラの三脚を、ねだりにねだって買ってもらったそうです。いよいよクランクインも間近に迫ったところで、ムスメのほうも必要不可欠な緑のスクリーンを年末行事のプレゼントに
「買って。当然の権利よね」
というわけです。

インターネットで調べたところ、80ユーロ(約1万円)ぐらいからのもよう。

「フナック」という大手量販店に行ってみると、
「うちでは扱ってないんだよなあ・・」
と、パソコン画面で念のため確認してくれた店員さん。

「個人的アドバイスだけどサ」
と、このお若い店員さんはオカーサン(ワタシです)の肩越しにムスメと目を合わせ、パリのバスチーユ界隈にカメラなど撮影関連の店が集まっていること、新品でなく中古の店を狙った方がいいこと等、先輩が後輩を導くがごとくおしえてくださいました。

「バスチーユに行ってみる」
と、ムスメは息巻いていたんですが、師走は慌ただしく、ふと気づけば飛行機に乗ってあれよという間に今回は羽田空港に到着し、ただ今わが実家で時差ボケ抱え居候が始まったところ。

ムスメを連れて、ワタシも学生時代、自主映画画製作に熱中していたころ通ったヨドバシカメラ・新宿西口カメラ総合館に行ってみました。

すると、緑色の背景用布はちゃんとありました。

フチに柔軟なスチールがついていて手品のごとく畳めたり広げたりできるタイプ1万円強ナリを、約束通りムスメにおごりました。


ごめんなさい。写真がなぜかうまく入りませぬ。


前菜は、あぶった新潟の油揚げ(厚揚げみたいな油揚げ)、ふきの煮もの
主菜は、すき焼き

立ち呑み日記・Yの枝 [遊び]

食前酒をのむ手を休めてつらつら考えた。
(ただ今バカンスでピレネー山脈のふもとの友人宅に来ています)

男はなぜ、Yの字になった小枝を見つけると目の色かえるのか。と、いいますか、なぜ、目の色かえてYの字の小枝を探すのか。

このYの字でどうするかというと、パチンコを作成するわけです。

パチンコはやっぱり手にしてみたかったもンなあ、
と、女のワタシでも思うところありますね。

子どものころの夏休み、昼間からのんべんだらりとテレビで西部劇なんぞを観る。敵に囲まれた無腰のガンマンが絶体絶命で岩陰に身を隠したところです。

ふと視線を落とすと、周囲には荒涼たるサボテンしか生えてないのになぜかYの字の小枝がたまたま落ちている。

ガンマンはひらめくところがあり、ポケットからとりだしたモロモロでパチンコを作成し、小石を拾っては一撃、また一撃と敵を斃(たお)していく。

(ワタシも打ってみたいなあ)
と、画面のこっち側でアコガレました。

でもじっさいはY字の枝など、そう都合よく落ちているものではありません。

それが、ただ今友人宅にともに滞在している青年らが実に最適なYの字の枝を見つけて来たんですね。青年は二人、友人の連れ合いの連れ子のフランス系ノルウェー人と、その父親違いの弟イラン系ノルウェー人です。

フランス人の父親(友人の連れ合いです)が庭木の粗朶(そだ)から理想的なYの枝を見出したもよう。

フランス、ノルウェー、イラン、そして日本(うちのムスコです)の血の入った男たちが、お目目キラキラでYの枝を取り囲みます。一刻も早くパチンコにしてみたい気配濃厚。ここに国籍は関係ありません。

森林国からか、イランを含めたノルウェー勢の目ざましさといったらなかったです。

まずは、土手で黒竹のにぎりやすそうなのを見定め、ノコギリをとりに帰る間よその人にとられないよう草の中に倒して隠しました。

(ンなもの誰も盗りゃしないわヨ)
と、日本勢の外野(ワタシです)はその行為にややアキレないこともなかったですが、黒竹はみごと彼らの手中におさまりました。

竹の上部に切りこみを入れ、Yの枝をしっかり差し込んで道具箱から見つけてきた麻ひもでぐるぐる巻きにします。どこから見つけたのかゴムひもをとり出しました。

ノルウェー勢の真骨頂はここから。イラン系の青年が、今履いているデニムのすそをめくりあげ、あげの部分をハサミで名刺大にチョキン。これを、友人から借りた針と糸で器用にゴムとくくりつけ、そのゴムをYの枝にしっかりとりつけます。

どうです、見事なパチンコの完成です。遠目には物干しざおを持ち上げるY字棒みたいですけど、小石が勢いよく飛びます。

「ぼくもやらせて」「ぼくも」
と、男性陣は国籍関係なく列をなし、庭で小石やまつぼっくりを飛ばして悦に入りました。

最後になんと、
「プレゼントだよ」
と、日本勢たるちびすけの手へ。

ムスコの喜ぶまいことか。

パリへ持ち帰ると息巻きましたが、さすがにこんな棒を担いでは電車に乗れず、友人宅に来年の夏までしまむっておいてもらうことになりました。


写真はしばしお待ちくだされ。PCとカメラをつなぐ線を忘れました(泣)。

前菜は、ブロッコリーとレタスのサラダ
主菜は、鶏ロースト、じゃがいもピューレ

立ち呑み日記・山の挨拶 [遊び]

「ボンジュール」
と、先ほどからすれ違うたびにみなさん絵にかいたようなご挨拶。

ただ今バカンスでピレネー山脈のふもとの友人宅に来ているんですが、本日は友人の息子(四十路のオトーサンです)一家とともにミニミニトレッキングといいますかハイキングといいますか、そういう山歩きに行ってきました・・

・・とこう書きながら頭をひねりましたが、トレッキングとハイキングってどう違うんだか。

調べたところ、日帰りで行ける程度がハイキング、何日かかかるのがトレッキング、だそうです。ということはハイキングも初歩的ハイキング幼稚園の遠足並み。

四十路オトーサンはピレネー育ちですから、これまでにいろいろ歩いているんだそう。

なかでも、朽ち葉がみっしり積もった深山幽谷を、言葉もなくひたすらひたすらがんばって登った頂上に中世の異端キリスト教修道院の廃墟が音もなく荒涼と風に吹かれている・・という山があり、
「もうね、ぜったいおすすめ」

今回もぜひそこへと意気揚々でしたが、夫人から待ったかかかりました。
「ちびすけたちには無理に決まってるでしょうが」

疲れたー、もうやだー、帰ってPCゲームするー、が、はじまるとにっちもさっちもいかなくなる、と、いうわけです。

日本人のオカーサン(ワタシです)とて
「言葉もなくひたすらひたすら」
の箇所に、大いにひるみましたからね。

「でも日本人ならフジヤマに登ったことあるでしょ?」

ありません。ワタシなど小学校の林間学校で、奥日光の前白根山に登ったのみです。

このときは登山靴もいさましく本格登山のイロハを学ぶ、というタテマエでしたが、級友の一人は靴ずれがひどくて途中から先生持参のゴムぞうりに履き替え登頂に成功たぐらいです。

「こんにちは」
と、このときも出会う人たちに、盛んに声をかけたものです。

山の「こんにちは」は、「ボンジュール」ないしは「ハロー」の日本語訳なんだろうなあと今回しみじみ思いましたね。

だってみなさんふだん、たとえば道ですれ違った近所の人に「こんにちは」って言います?

「どうも」
ないしは何も言わず会釈が普通ではないでしょうか。

フランス人だって、店に入るときなどはまだしも、街角の見知らぬ人に「ボンジュール」とは言いません。

でも山の「ボンジュール」ないしは「こんにちは」は単なる礼儀ではなく、しかるべき意味があるのだそうです。

すなわち、自らの存在を知らしめ印象付かせることで、万が一遭難した場合に
「あの人とはあのあたりですれ違った」
と、報告してもらえる。

遭難とはオソロシヤと腰が引けますが、荒涼の廃墟から幼稚園の遠足並みへいっきょにレベルが下がったので、安心の登頂です。

じっさい、小さい子連れハイカーに何組も出合いましたヨ。

その出会い頭に次々と
「ボンジュール」「ボンジュール」

ワタシはでも、せせらぎのほとりにバゲット、バターのかたまり、ハム、レタス、ミニトマト、地元産チーズを広げ各自サンドイッチにするお弁当がとおっても気に入り、歩く苦労なしでこれ専門にやりたいぐらいでした(水はあれどワインがなかったのも残念)。

写真はしばしお待ちくだされ。カメラとパソコンをつなぐコードを忘れてきました(泣)。

前菜は、トマトとインゲンのサラダ
主菜は、フォーフィレ(牛肉)ステーキ、じゃがいもピューレ

立ち呑み日記・ウィジャ [遊び]

「ウィジャ」というアメリカホラー映画を、12歳のムスメがおともだちと観に行きました。「呪い殺す」というオソロシイのが、昨年秋に日本で公開された時のタイトル。

「ウィジャ」とは、西洋版コックリさんです。

19世紀末、「モノポリー」の初代発売元であるアメリカの大手玩具メーカーが発売してたいへんな人気を博した西洋版コックリさんボードが「ウィジャ」で、ウィはフランス語、ジャはドイツ語でそれぞれYesを表しています。

神秘的な絵のついた木の板に「Yes」「No」、アルァベット22文字と数字、それに「Hello」「Good bye」と書かれ、この上をやコインなどに数人で指を載せて霊(?)を呼び出し、意思疎通する。

「Hello」を起点として霊(?)に登場願い、アルファベットを示しながら会話し、最後に「Good bye」のところで去っていく、という流れです。

日本でもコックリさんやそれに類するものって流行りましたよネ。みなさんやりませんでした?

ワタシの学校では、「キューピッドさま」というのが流行りました。紙の中央に♡を描き、「Yes」「No」と数字、それにあいうえおも書いた気がします。

二人一組で一本の鉛筆を、利き手どうしの指をからめるようにしてにぎり、♡に鉛筆の先端を置いて、
「キューピッドさまキューピッドさまいらっしゃいましたらYesまでいらしてください」・・

・・・とこう書くとデパートの呼び出しみたいですけど真剣も真剣、周囲では級友たちがかたずをのんで見守っています。

質問はといえば、
「ワタシに彼氏ができるのは何歳でしょうか」
のたぐい。

二人で握る鉛筆はそれぞれの意志とは関係なくするする動き、数字を指し示します。

「将来の夫の名前をおしえてください」
と、聞けば、鉛筆はあいうえおを離れてくねくね蛇行。

「『ひろし』って書いてるぅ!」
と、本人はもとより囲む一同興奮のるつぼです。

しかしこれは同じ文化と言語を持つどうしが鉛筆やらコインやらにともに指を置くからこそうまくいく、というのがワタシなど経験から分かっています。

つまり霊が動かしているようでその実お互いの協力で知らず知らず意味ある言葉になるよう動かしているんですね。

ワタシなど学生時代パリに来たてのころフランス人の友だちとやってみたことがあるんですが、ワタシのフランス語の綴り能力の貧弱なところで、うまくいかないことオハナシになりませんでした。

友人は日本語がわからないので、あいうえお版でもやってはみたもののダメ。

「さっさと答えてよ」
と、友人はといえば「霊」にイライラとフランス語のタメ口で命じる始末です。

こういうのはやはり尊敬語でおうかがいをたてるからこそ「感じ」が出るものではないでしょうか。

さて、ムスメの観た映画は、「ウィジャ」を使って亡くなった友人の霊を呼び出そうとするも悪霊が出現し・・というストーリー。

恐怖シーンは大音量や突然ワッと出て来る瞬時の驚かしばかりで、
「おもしろかったけど恐怖が持続しないタイプのホラー」
だと、ムスメはいっぱしのこと申しておりました。


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青信号を待ちながらパチリ。

前菜は、残り物スープ
主菜は、タラそぎ身フライ、「こくまろ」ルウをからめたミニマカロニ、いんげん塩茹で

立ち呑み日記・ルービック [遊び]

ふつうのルービックキューブを
「買って買って買って」
と、10歳のムスコ。

クラスで大流行なんだそうです。一人の子がある日持って来て、ぱっぱっとめざましく面をそろえて見せた。

さあそこから、ことに男子は全員
「欲しい欲しい欲しい」
になったもよう。

うちには以前おみやげでいただいたのがころがっていたので、それを手渡しました。ムスコのよろこぶまいことか。その日からさっそく学校へ握りしめて行きました。

ところがこれはパリのみやげもの屋で買ったもので、一面ずつにモナ・リザの肖像画が描かれているんですね。

これだと色をそろえるのみならず絵もちゃんとしないとだめで、全面揃えられる可能性はたったひとつしかない。

赤や青などの色だけだと、一面をなす九つのキューブは上下左右の位置が変わっても同色の面を構成するので、全面元通りになる可能性がぐんと高まる、というわけです。

だからモナ・リザででなくふつうのが
「欲しい、欲しいったら欲しいッ」と、いうわけです。

「ボク以外みんなふつうの持ってるのに」
と、嘆くムスコもあながち誇張ともいえず、学校帰りに遊びに来たアントワーヌくんも中国名画の龍の珠(たま)のごとく握りしめてました。

ぽい、と、アントワーヌくんは脱いだカーディガンの上へ置いたんですが、年季をつんだとみえてキューブのへりがどこも擦り切れてる。

カーディガンからころがりそうなので置き直してあげようとつかんだら、なんかもう洗濯糊(のり)でも流したがごとくに、ベッタベタでした。

熱中してるんだなあとしみじみしましたヨ。

ルービックキューブといったら日本人のオカーサン(ワタシです)からすれば、大昔のアナログ遊具とばっかり思ってました。

日本では1980年ころ大流行しましたよネ。

これを手なぐさみに持って歩いている男のコはスマートそうでカッコイイ、ということになっていた、ような記憶がうっすらあります。

当時は、ネクラ、ネアカ、なんてこといってネクラはダサいという烙印が押された風潮の中で、オタクじみた手なぐさみがカッコイイとは相反する気もしますが。

それにしてもオンラインゲーム一辺倒の今日、こういうパズルゲームはどこで売っているものなんだか。

「『デカルト』だよ」
と、声をそろえるアントワーヌくんとムスコ。

「デカルト」という店名のパズルと卓上ゲーム専門店がご近所にあり、ここに行けば図面入り解説書と組みで手に入るのでクラスに最初に持ってきた子もこれで体得したのだそうです。

次の日、さっそく「デカルト」に行ってみると、
「品切れ。今週は売れ行きが良くて」
と、(またオバサンが来たゼ)という顔で、若い店員さん。

クラスメートの親御さんみんなここへ買いに走ったんですね。オンラインゲームなどより頭使えそうだしと、どの家庭も考えること同じではないでしょうか。

わが家もまたしかり。

「ルービックキューブ」
と、店員さんに告げたら、
「『ルービックス』、だよ」
と、直されました。

「ルービックキューブ」は日本の会社の登録商標で、「ルービックス」は、英国のそれだそうです。


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こんなところにもまた桜。

前菜は、トマトとオイルサーディンのサラダ、ほうれん草とルッコラ、薄切りパルメザンチーズのサラダ
主菜は、七面鳥ささ身ムニエル、いんげん塩茹で、蒸しじゃがいも


立ち呑み日記・雑居時代 [遊び]

チー坊、
と、なぜか脳内で聞こえてきた声に誘われ、ここのところYoutubeでドラマの「雑居時代」を毎晩一話ずつ観ています。

「『パパと呼ばないで』でしょうがチー坊といったら」
というお声が右からも左からも上からも下からも突き上がるごとく聞こえて来たようですが。

然(しか)り。でも石立鉄男といったらどうしたってあの一声をまず思い出すではありませんか。そしてそこから、「パパと呼ばないで」なり「雑居時代」なり「水もれ甲介」なりへと枝別れしていく。

なにしろ40年前も前に観たドラマ、脳内ではそれら断片がつながり合って茫(ぼう)洋たるひとつの世界に熟成されているわけです。

1970年代は半ばごろまで毎週水曜日夜8時といえばつねに石立鉄男だったようです。その第一弾が、1971年「おひかえあそばせ」。

父親と六人姉妹が父の友人から広い一戸建てを条件付きの格安で手に入れるが、その条件とはこの家の元持ち主の長男でぼさぼさ頭の自由人(石立鉄男です)が居候することだった・・

「雑居時代」はこのドラマの焼き直しで、1973年秋から翌年春まで放映されます。もっともワタシなど少したってから夕方の再放送で観たクチです。

看護婦寮に入っている長女が富士真奈美、家をきりもりするしっかり者の次女が大原麗子、男まさりの三女が川口晶、女子大生の四女が山口いづみ、小学生の末っ子が名子役杉田かおるチャン。

大原麗子の次女は今でいうツンデレ、石立鉄男と心の底ではお互い惹かれあっているのに顔を合わせるといつもひともんちゃく・・とまあドラマですからこのあたりがおもしろおかしく描かれるわけです。

ほんすじはもちろんおもしろいですが昔のドラマはその「時代」に、なんといっても魅かれちゃいます。

ドラマが撮影されている現場から私鉄やバスを乗り換えていくと小学生のワタシが住んでる町があり、画面で杉田かおるチャンが着ているのと同じような色柄のセーターのワタシがハナでもほじっている・・

ドラマの中で、大原麗子がひもでくくったトイレットペーパー2パックを提げて帰って来るシーンがありました。

「さもしいねえ買い占めなんて」
と、さっそくくさす石立鉄男。

当時はオイルショックで、どの家庭もこうやってトイレットペーパーを買いだめしたものですが、ひもでくくってあるのにグッときちゃいました。

ウンそうだった、当時はああやって何でもひもでくくってくれたものだった。

酔っ払って帰って来るオトーサンのオミヤの折り詰めもそうでしたが、持ち手にワッカをつけてひもでくくるのって、いつしか絶滅してしまいましたよネ。

そしていやがおうでもつきつけられる、石立鉄男も大原麗子ももはやこの世にいないという現実。

時間は過ぎていくなあ・・

何度目かの再放送を観た時は登場人物たちのファッションがいかにも流行遅れはなはだしく、
「ウッソー、チョー古すぎィ―」
と、鼻で嗤(わら)ったものですが、40年もたつと70年代ファッションのリバイバルもずいぶん前にあったことでむしろオシャレと思いました。
警察署の前を通りがかりにパチリ。

前菜は、パルム産サラミ、トマトサラダ
主菜は、烏賊と海老のフリッター



立ち呑み日記・大人のババ抜き [遊び]

「ジジよりババのほうがおもしろいよ」
と、ヒロシ青年。

日本からやって来た友人のクミコさんとその息子さんのヒロシ青年といっしょににぎやかな晩ごはんとあいなり、デザートがおわったところでうちのワルガキ二匹がトランプゲームを持ちかけ、快く承諾してくれたところからテーブルでジジ抜きが始まったんです。

ジジ抜き、ワタシも子どもの頃大好きでした。どの札が残るか最後まで判らない分、ババ抜きより格段にドキドキしたもンです。

ヒロシ青年は率先して二匹の相手をつとめてくれていたんですが、1,2回勝負がついたところであくび噛み殺して冒頭のこのセリフ。

子どものころジジ抜きでドキドキしたクチ(ワタシです)には意外な気がしましたね。

「子どものころは確かにジジ抜きもおもしろかったですよ」
と、ヒロシ青年。「でも大人になったら断然ババ抜き」

ババ抜き(ジジ抜きも、ではありますが)といったらおもしろいもなにも子どもらにつきあって札をやりとりするだけの、ごく単純なゲームではないですか。

「イヤイヤ、大人のババ抜きは違いますよ」
と、ヒロシ青年は胸を反らせます。

ルールは例の、札をやりとりして組を作ったら捨てて最後にババを持っていたら負け、というごく単純なあれですが、心理作戦が大人にこそふさわしい高度なゲームだと言うんです。

つまり、ババを引いてしまったひとはポーカーフェースを貫く、ばかりでなく、さまざまな演技をもって全員をあざむいていく。

あるいはババは持っていなくても持っているようなそぶりをして札をとるひとをはらはらさせたりもする。いかにもとりやすそうに一枚だけ高く上げる、などがその典型的な策略です。

これババでーす、とでも見せつけているような札に手がのびるとも思えませんが、だからこそ、ほかの持ち札に手がかかったときに(してやったり!)という表情をしてみたり、(やられた!)という顔をしてみたりして牽制するわけです。

(やられた!)という顔に自信をもってひいてみるとこれがなんとババだった、なんてことになるわけですね。

「演技がオーバーになればなるほどおもしろくなっていくんです」
と、ヒロシ青年。

それはほんッとうにそうだろうなあ・・
と、心から、しみじみナットクさせられましたね。

想像してみてくださいナ。ヒロシ青年のような活気ある若者男女が車座になってオーバーアクションに札を引き合う。

アクションがオーバーであればあるだけ大爆笑となり、ポーカーフェースを貫いてもまた大爆笑となるわけで、これ、楽しくないはずがありません。

ワタシも学生時代に大貧民ばっかりでなく大人のババ抜き、やればよかったナァ・・・

さてそれからワルガキをまじえて大人のババ抜きが始まったんですが、おもしろさが重々わかって来ました。ことにワルガキが先にあがって大人だけになり、いよいよ札が少なくなってから。

ヒロシ青年とオカーサン二名(ワタシとクミコこさんです)という若者と「元」若者の混合メンバーでしたが、それでもやっぱり大爆笑とあいなりましたぞ。


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最近めずらしく晴れ上がりました。通りがかりのサンシュルピス寺院。『ダ・ビンチ・コード』で犯人のカギになったところです。

前菜は、サーモン刺身、トマトと千切りニンジンのサラダ
主菜は、鱈(たら)そぎ身のフライ、バジリコ・しょうゆ風味ミニマカロニ、いんげん塩茹で


立ち呑み日記・メチャギントン [遊び]

♪ド~ミソッドッ(下のド)・・のメロディーで、
♪メ~チャギントン・・
と、電車に乗りこんだら部活帰りらしき女子中学生の集団が呪文じみた文句を軽快に唱えていたので、つい吸い寄せられちゃいました。

♪メ~チャギントン・・
は、おはやしのような繰り返しで、続いて誰かが「ネズミ」などのお題を言うと、
♪チューチューチュー、チューチューチュー・・
と、その隣りのひとが擬音語で応酬する。

♪メ~チャギントン「パ・チ・ン・コ・屋」
♪ジャラジャラジャラ、ジャラジャラジャラ・・
と、それはもうみなさん打てば響くように出題し、解答者もまた滞ることなくリズムにのって答えます。

その楽しそうなこと。

「そよ風」
♪さやさやさや、さやさやさや
なんていう麗しい表現が出ると、セーラー服のタイ揺らして拍手が巻き起こる。

「そうそう、体育館の横の竹林のとこ」
「やぶ蚊いるけどあそこめっちゃいい風通るし」
とのことで、東京近郊の中学校の校庭が見えるようです。

竹林からの連想か、♪メ~チャギントン
「たけのこ」

♪にょきにょきにょき、にょきにょきにょき・・

「にょきは音じゃないじゃーん」
で、今度は車両を揺るがす大爆笑。なにしろお箸がころんでものおとしごろですからね。

このゲーム、TV「めちゃイケ」の人気コーナーなんですってネ。

♪メ~チャギントンという不思議な呪文は、めちゃイケの「めちゃ」と、「チャギントン」というトーマスみたいな電車をモチーフにしたマンガを組み合わせ、マンガ「チャギントン」のテーマ曲に乗ってゲームが進行するから、だそう。

それにしても、街に出れば手に手をとった恋人どうしですらおのおの手もとの小さな画面をのぞきこんでいるご時世に、意外なほど「昭和」なゲームではありませんか。

「連想ゲーム」のワンワン・ニャーニャーコーナーの変型判といっても過言ではありますまい。

♪メ~チャギントン「たぬき」
♪ポンポコポン、ポンポコポン・・
と、やや画一的な返答になってしまうのが玉に疵(きず)のようにも見受けられました。

もう少し想像力を働かせるとよりおもしろくなるんじゃないでしょうか。

「たぬき」でいうならば、エート・・
♪ぶーらぶら、ぶーらぶら
なんてどうでしょう(ってこれじゃむしろ想像力に欠けるかもナ。それにぶらぶらは音じゃないナ)。

♪メ~チャギントン「忍者」
♪ニンニンニン、ニンニンニン・・

(まさにその通り)
という顔で、グループ全員ウンウンうなずき合っています。

忍者といえばニンニンとなったのは、「忍者ハットリくん」のアニメや「忍たま乱太郎」からでありましょうか。

が、ワタシら世代が熱狂した、忍者怪獣ジッポウが出てくるほうの「忍者ハットリくん」では、そうは言わなかった、ような、気がします。

♪メ~チャギントン「忍者」、とワタシらにふられたなら
♪手裏剣シュッシュッ、シュッシュシュ~(赤影が~行~く~)・・

・・と、女子中学生集団の背後にピタリとついたオバサン(ワタシです)は、いつ番がまわって来てもいいように、問題が出されるたびにいっしょになって考えちゃいました。


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あたりは蝉しぐれ。

前菜は、メロン、トマトサラダ
主菜は、ハンバーグステーキ、ブロッコリー塩茹で、マカロニサラダ


立ち呑み日記・フリスビー [遊び]

リュクサンブール公園の芝生の植込みで、近所の高校生の男子数人がフリスビーで遊んでいる。

ジーンズにポロやTシャツ、スニーカーないしは革靴で、ひょろっとした、ごくごく平均的なこの界隈の男のコたちです。

えいっ、と、実に楽しそうに円盤を投げるんですが、対面の青年には届かず、投げた本人にとっても意外な方へ素っ頓狂にとんで低木にぶつかり、落下。

また、対面の青年も別に追いかけようとしないんですね。落下をむざむざ眺め、歩いて行って拾い上げるとびゅんと投げるんですが、やはりあらぬ方角へとんでいきます。

この繰り返し。

このあたりがフランス人におけるフリスビーの限度かなあ・・、などとはなはだ僭越なことつい考えちゃいました。

だって同じ光景を、アメリカで想像してみてくださいナ。

広大なビーチ、ないしはキャンパス内の野ッ原で、バミューダにTシャツにサンダル履きのガタイのいい青年たちが「ゥワァオ!」かなんか言い合いながらびゅんッと陽気に投げ、胸元でバスンと受け取る。

片足上げて下をくぐらせながら投げたり、後ろにまわして背中側から投げたりも、する。

(かっこいいなあ・・)
と、1970年代後半ごろ、コカコーラあたりのテレビCMで見てアコガレたもンでした。

円盤投げ、などとつい言ってしまい、クラスメートに嗤(わら)われたりも、した。フリスビー、と、このときその名がしかと頭に刻まれました。

欲しい欲しい欲しい・・と、さんざんっぱらやった結果、ワタシなどついにパチモンのほうを買ってもらえ、近所の空き地で盛んに遊びました。

実力は先のフランスの高校生以下。とろうとしてはずれた時など指先にぶつかって痛いことといったら。

「腕を伸ばしてとるのではダメ」
ということは、ワタシなど大学の一年の体育で「フリスビー」の授業があったので知ることとなります。

走って追いかけ、必ず胸の前で受け止める。

「フリスビーって遊びでしょ?」
と、ワタシもその時まで思い込んでましたから、ジャージ姿で向かい合って鹿爪らしく投げ合うのは「フリスビーっぽくない」と思ったものです。

ゥワァオ! と、手慣れた風に言う一瞬がないと本格の「感じ」が出ない。が、練習の甲斐あって運動音痴のこのワタシでさえ胸元で取れるまでになりましたヨ。

フリスビーって学生が発明したんですってネ。

1930年代、アメリカの名門イェール大学の学生が「フリスビー」というパイ屋さんのお皿を投げて遊んだのが始まりなんだそうです。

「お皿なんか投げちゃイカン」
と、誰も注意しなかったんでしょうか。

その後、ウォルター=フレデリック・モリソンという人がプラスチックで製造したものをワーム・オー社が買収し、世界的人気となったもよう。

「フリスビー」は、ワーム・オー社の登録商標なんだそうです。

ディズニーランド・パリ近くのアメリカンレストランではフライングディスク(と一般名詞ではいうんだそうです)が皿代わりで持ち帰ってもいいんですが、これ投げて遊ぶにはいまひとつの代物ですが、お皿としてはとおっても重宝しておりますです。


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夕方(といっても夜9時過ぎですが)、みやげもの店だけ開いてました。

前菜は、カレーサモサ、トマトサラダ
主菜は、牛(フォーフィレ)ステーキ、いんげん塩茹で、蒸しじゃがいも


立ち呑み日記・欲しかったモノ [遊び]

「昔欲しかったラジカセを自分への誕生日プレゼントにしたんだ」
と、日本の友人。

1980年ソニー製で、古い家電収集家とやりとりを重ねてみごと入手とあいなったのだそうです。写真を見せてくれましたが、ウンあのころあったあった、こういう四角い大きなラジカセ。

原宿ではこのラジカセを真ん中に置いて竹の子族がピラピラした衣装で跳ね踊り、街中ではあの大きいのをこれみよがしに肩に担かついで闊歩している少年たちがいたものです。

当時中学生だった友人はこれがノドから手が出るほど欲しくて、『基礎英語』を聞くためと口実をつけて
「買って、買って、買って」
と、さんッざんぱらねだったものの、願い叶わなかった。

ソニーのラジカセといったら高価でしたからね。

それから幾星霜、人生半世紀を越え、生活も確立したことだし、今、あの時の願望を叶えてもいいんじゃないかと思い立ったのだそうです。

なんかグッときちゃいました。

青少年のころノドから手が出るほど欲しかったものって、ありますよね。

今70代半ばのフランス人の知り合いに言わせると、ベスパだったそうです。ホラ、「探偵物語」で工藤ちゃんが乗ってたスクーター。

しかしベスパは高価で乗ることかなわず。かわりに、名称を失念してしまいましたが類似品があり、知り合いは格安だったそっちを買ってもらって乗り回したそう。

(本家ベスパのほうがよかったけど)
と、ふとした時に思ったそうですが。

フランス人のワタシら世代なら、これはもう間違いなくウォークマンが欲しかったはず。ただし本家ソニー製は高価なので、じっさい手にしたのは、アイワです。こちらはベスパやその類似品ほどまで高嶺の花ではないので、誰もが願い成就したことでありましょう。

子どもの頃欲しかったものを語り合うインターネットの掲示板はどこも花盛りです。

シルバニアファミリーがどうしても、どうーッしても欲しかった、というコメントが、意外なほど多いように見受けられました。

うんとねだったが買ってもらえなかった。うちは「3年2組のなかまたち」を買ってくれたが子ども心にパチもんと思った・・

みなさんリカちゃんは買ってもらえたと思うんですが、なぜこちらのドールハウスの方は敬遠されたんでしょうネ。やはり値段がちょっとあれだったんでしょうか。

コメントのなかには、三十過ぎてるけど自分のために買って遊びたい、というコメントも一つといわずありました。ということは、シルバニアファミリーは今後、子育ての一段落した世代向けの商品開発がされてもいいんじゃないでしょうか。

我が身を振り返ると、何が欲しかったんだか。

時代さらにさかのぼり昭和40年代最初頭になりますが、お化粧セット、これが欲しくて欲しくてたまりませんでした。

本当に色のつく口紅や白い粉のつくおしろいをつけてみたくてねだりにねだりましたが、「子どもがなんですッ」と、願い叶わず。

その夢を今に実現! と、考えてはみましたが、子ども向けのピンクの勝った色合いをオバサンの顔にぬりたくった日には、おてもやんになっちゃいます。


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薔薇の季節になりました。

前菜は、トマトサラダ
主菜は、スズキの塩焼き、茹でたじゃがいも、いんげん塩茹で

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