立ち呑み日記・オー・イェ~ [遊び]

1960年代後半のフランス歌謡曲を研究している知り合いから、当時の歌番組のダビングDVDをいただきました。

この時代の歌および歌手は、ひとくくりに「イェイェ」(yeye)と呼ばれます。

「オー・イェ~」とこう合いの手が入るところからですが、日本ではフレンチポップスの名称でひと時代築きました。

番組は、1967年3月5日放映。新進気鋭「イェイェ」歌手が次々と登場します。

ワタシはフランスのフの字も知らぬ幼児で、テレビといえば「仮面の忍者赤影」や「ひょっこりひょうたん島」などの白黒画面に、かじりついていました。

この年のNHK紅白歌合戦の視聴率は、76,7パーセントだそう。日本の家庭でテレビは大きな位置を占め、白黒からカラーへと買い換え始められたころです。

が、フランスはその限りではなく、テレビを持たない家庭は多かったみたいです。

なにしろ日本のように早朝からの放映はなく、昼過ぎから始まり、面白い番組はようやく夜から。チャンネルも、3つやそこらしかありませんでした。

さて、さっそくDVDをかけてみると、白黒画面で、早々にミッシェル・ポルナレフが登場。

後にトレードマークとなる大きなサングラスはまだかけておらず、目のくりっとした、繊細そうな、かわいらしい少年です。

続投は、ジョニー・アリディ。

シルヴィー・バルタンの元夫、と、言ったほうが日本では通りがよさそうですが、フランスでは今も人気随一のロックの大御所です。

「シルヴィーも応援に来ていますよ」
と、番組の司会者。シルヴィー・バルタンの美しい横顔がアップになります。この二大スターは1965年に結婚し、このころは確固とした愛を育んでいた時代でした。

お二人にはデヴィッド・アリディという後に歌手になる子どもがいたナ、と、思う間もなく、画面を平然と横切って行く人影が、何人もある。

今のテレビ中継ではとうてい考えられませんが、当時は万事生中継ですから、こういう不測の事態って、けっこうあったのではないでしょうか。

・・とそこへ、クロード・フランソワ登場。

ワタシら世代のフランス人の、ことに女子なら誰もが小学校のころ、振り付けを真似て歌い踊った、大人気スターです。

バックダンサーとともに軽やかなステップが始まったんですが、あれれ、カメラは顔をアップで映すのみ。

全身見せてーッ、と、画面をガリガリしたくなりましたが、おそらくこのころ初めて、歌手が身体を動かしながら歌うようになり、カメラマン方(がた)にその心づもりがなかったのでは、ないでしょうか。

現に、次に登場した、無名のまま消えたとおぼしき青年歌手は、往年の東海林太郎のごとく、直立不動で朗々と美声を響かせました。

惜しいなァ、身体を揺らしながら歌ったら、スター街道を駆け上れた、かもしれないのになァ・・

・・などと知ったふうなこと考えるうちに、わが愛するセルジュ・ゲンズフールが、不良アンチャン風に登場しました。


PIC_0844.JPG
逆光で不穏な小路になっちゃいました。ゴメンナサイ。

前菜は、ニンジン千切りサラダ
主菜は、残り肉のカレーライス、インゲンとブロッコリー塩茹で

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