立ち呑み日記・セーヌ大洪水 [困った!]

日本でも報道があったようですが、パリのあるイル・ド・フランスはじめフランス全土に雨が続き、洪水が起こっています。

なかでもロワール河やセーヌ河支流マルヌ川などは、地区一帯に車の屋根まで届くほどの水。

パリ市内を横切るセーヌ河もまた、エッフェル塔を見はるかすお屋敷街がある河岸沿いで地下カーヴに浸水する被害が出ました。

すわルーヴル美術館も犠牲に?!
という報道もありましたが、すんでのところで水位上昇は止まりました。

「橋下の目前まで水が来てるってのも妙な感じだねえ」
と、今朝買い物に出たらどこへ行ってもこの話題で持ちきりでしたヨ。

誰もが雨の中を物見高く橋までわざわざ出かけて行きスマホかざしたもよう(ワタシもです)。水位よ下がれ、と、念じながらも、スゴい光景もとめて橋から橋へついさまよっちゃうんですね。

先生に引率された幼稚園児の集団さえ見かけました。

「ほらあそこ見てごらんなさい」
と、先生が指さす橋げたの手前の石壁には横線が刻まれ、
1910
の、文字。

1910年に、セーヌ河は歴史に残る大氾濫となり、メトロのサン・ラザール駅が水没してパリ一帯は湖のごとくになりました。

アルマ橋という橋の橋脚に兵士の彫像があり、パリっ子はセーヌ河の水位上昇を、この兵士の「足元まで来た」「膝が沈んだ」というふうに表現するんですが、1910年には肩までずっぽり・・

・・テナことを、ワタシがパリに住み出した1980年代後半には、自分の目で見たがごとく得々と語るオジサンオバサンがいたものです。

そういや最近全然耳にしてなかったナ・・
と思ったら、このありさま。

今回は、この兵士の股下まで来ました。

もっともアルマ橋は自動車量が増えた1970年に幅広のものに建て替えられ、このとき兵士の像も移動したので実のところ当時との比較にはならないんですが。

1910年は水位8.2メートル上昇、今回は6.5メートル、だそう。

肉屋で仕入れたハナシによると、1910年の後、パリ郊外に小さなダムのような水流調節する箇所を作り、パリ市内の河岸も2メートル高く工事したそうです。

セーヌ河は毎年3月ころ水位が増し、河沿いの自動車道が水につかって数日通行止めになるのが恒例です。

でも6月でここまではめずらしいです。6月のパリといったら一年でもっともすがすがしい季節なのに。

ただ今3学期の終盤で、11歳のムスコのクラスも年度末遠足でサン・ジェルマン・アン・レイという郊外通勤電車の終点駅にある国立考古学博物館にお弁当持って出かけることになりました。

この博物館は、王家の城にナポレオン3世が創設した由緒正しき博物館で、隣接して緑豊かな公園が広がっています。

この公園の芝生でお弁当を食べ、ゆっくり遊んでからパリに戻ってくる予定で、新学期以来のおたのしみでした。

ところがあいにくの雨。一行はそそくさと帰路につき、お弁当は混んだ電車の中で立ったまま食べることに。

博物館見学のほうも、案内人の解説がちっともおもしろくなくて眠気を誘うばかりだったそうで、
「それもこれも全部雨のせいだ、セーヌ河のせいだッ」
と、ムスコは今回の洪水を目のカタキにしております。


P1000388.JPG
映画「ポン・ヌフの恋人たち」の舞台となったポン・ヌフ(橋)から河にせり出した公園も完全水没(木立の見えるところです)。この光景を眺めようと河岸も橋の上もなかなかの人出でした。

前菜は、鶏出汁野菜ポタージュ
主菜は、鶏ロースト、じゃがいもロースト(いずれも昨日の残り)、いんげん塩茹で、グリーンサラダ

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