おとしごろ ブログトップ
- | 次の10件

立ち呑み日記・マフラーを巻く [おとしごろ]

十歳のムスメが、登校の前にいそいそとマフラーを巻いている。

このマフラーは、先日行ったロンドンのハリー・ポッター映画テーマパークで記念に買ったものです。両端に、ホグワーツ魔法学校スリザリン寮をあらわすヘビ模様のエンブレム付き。

マフラーの両端とも胸元へ垂らして、首にややきつめに巻いています。きつめなのは、エマ・ワトソン(演じるハーマイオニー)が映画のなかでそんなふうに巻いていたから(だそうです)。

マフラーの巻き方も、いろいろあるものですネ。ワタシが学生だった1980年代中ごろは、猫も杓子も、両端を背中側に垂らしたものでした。

片一方が前に垂れていると
「『神田川』?」
と、揶揄されることも、あったほど。

♪赤い手ぬぐいマフラーにして・・の、クダリです。

そのどのあたりが揶揄かと言いますと、軽・薄・短・小の80年代は、70年代の風俗を、ことごとく流行おくれと見做(な)したんですね。

『神田川』がヒットした70年代初頭、若者たちは地面に引きずりそうに長い手編みのマフラーを、一方の端のみ背中側にゾロリとまわしていたものです。

カレシにマフラーを編んであげる、という風潮も、大阪万博直後のこの時代に生まれたもよう。

ワタシら世代はこのとき小学校低学年で、街で見かける大きいおねえさんおにいさんの長―いマフラーに、アコガレたもンです。

よくしたもので、級友の一人が、長々編みとでもいうのか、いかにも目のゆるやかでふかふかしたのを、学校にしてきた。

これをですね、級友の主導により、せーので綱引きよろしくぐいーッとみんなでひっぱって、みごと、ベルボトムやチューリップハットやトンボメガネにふさわしい、長―いマフラーに仕上げました。

綱引きに参加したみんなは順番に長―いマフラーをゾロリと巻かせてもらいご満悦でしたが、担任の先生に見つかって、こっぴどく叱られた。

「ものはたいせつにしなさいッ」

級友は家に帰って、編み主であるオカーサンからさらに大目玉をもらい、翌日からはもう、こま編み風の、目つんだ短いのしか、巻いてこなくなりました。

この時代と両端を背中側に垂らす間の時代、すなわち中学高校生のころも、マフラーはもちろん持っていましたが、オーバーの下にひっそり巻くぐらいの、地味な存在。

マフラーが若者の冬のオシャレに必要不可欠となるのは、渋カジが流行った1980年代最後半から、だそうです。

十年くらい前の東京では、女子高校生が猫も杓子も、バーバリーのチェックのマフラーを蝶ネクタイのように結んでいたものでしたが。今はいろいろな巻き方を、おのおのが工夫しているのでは、ないでしょうか。

『冬ソナ』のヨン様巻き、なんてのもありました。

マフラーで首元を密閉するだけで体感温度が4度も上がるんだそうですヨ。


PIC_0475.JPG
みなさんもう飲みましたか。

前菜は、ニンジン千切りサラダ
主菜は、タラの酒蒸し、インゲン塩茹で、じゃがいもピューレ、クレソンの酢味噌和え

立ち呑み日記・青春の放置 [おとしごろ]

一時帰国で滞在している我が実家はただ今、耐震工事に向けて、着々準備中です。

補強は、家の四隅を中心に、バッテンのつっかえ棒を入れていくのが主だそうです。そのためには、該当箇所の家の中に根の生えたように置かれている家具類を、どかさなきゃならない。

オトウトの元部屋とワタシの元部屋に手つかずで残ったままの勉強机と本棚、などがそれで、このたび四半世紀を経て、いよいよ整理することになりました。

四半世紀といったらアナタ、ワタシらが卒業した頃に生まれた子どもが学校を卒業し、いっぱしの社会人になっているまでの時間です。

そこまでの間、親元に放置するとは怠惰と甘えもはなはだしいッ、と、叱らば叱れ。

オトウトもワタシも、今や家庭を構える身ですが、その家庭に、持ち込もうとはしなかったわけです。スペースも、ないですしね。

ひと足先に片付けを始めたオトウトは、ずいぶんと色々なものを捨てたみたいです。それでも、昔の教科書などが、まだまだ捨てられずに山積みになっている。

二度とこの教科書を開くわけでなしどんどこ捨てちゃえばいいのに、と、オネーチャン(ワタシです)は横目でうかがいながら、内心思います。

「交通事故に関する私察」と、オトウトの下手くそな字で表紙に書かれ、セロテープでぐるぐる巻きにされた
キャンパスノートなんかも、発見されました。

青春の正義感と激憤をこめて綴り、誰にも見られないよう細心の注意を払って本棚の奥底に隠したのでありましょう。

オトウトは出てきたこれを手にとり、
「・・・・ああ、あったなそういえば」
と、金釘流のタイトルをじーっと見つめ、セロテープをとくこともなく、とっておくほうの束に、加えたようでした。

ヒトのことぼんやり眺めているだけではらちが開きませんから、ワタシのほうも積年の山に着手します。くろがねの勉強机に積み上がったものから、手に触ったひとつかみずつ、点検していく。

大学時代の教科書が何冊も出てきました。

記憶にあるものも、ないものもありますが、いずれにもどなたかのノートのコピーが、教科書ガイドのごとく、はさみこまれています。

オバカ女子大生は、こういったコピーをたよりに学期試験を乗り切ってきたわけですね。

四半世紀前の、最後の試験が終わった時点で、勉強机の本棚に何の気なしにつっこみ、以来思い出すこともなかったわけです。

がしかし、捨てると決意するのは、これでなかなか難しいものでした。

教科書には、シャーペンで書き込みがあり、それがおッそろしく薄い、小さな字で、今やもう目がシバシバして、判読不能なほど。

これで勉強したつもりになって、仲間たちと映画観て、お茶して、いくらしゃべってもしゃべり足りなくて、めまぐるしい毎日だったなあ・・

しばらくパラパラやりましたが、ついに捨てる方の山に、積み上げました。


PIC_4273.JPG
発掘された歴史的人物の幼少時代の肖像写真集と宝塚のプロマイド。

前菜は、菜の花の酢味噌和え、厚揚げ焼き
主菜は、カレーライス、インゲン塩茹で、

立ち呑み日記・オバサン仕様 [おとしごろ]

新しいパソコンを、買いました。

これまで使っているのが、時に画面がぎくしゃくするようになり、ある日突然まるっきり動かなくなる前に、今回の一時帰国で買い換えよう、と、心に決めて来たんです。

フランスで、日本語表示のあるパソコンはなかなか手に入りづらいですからね。そこで、大型家電店の前を通りがかった折に、いい機会とばかり、PCのフロアに上ってみました。

と、ここでハタと気づいたんですが、考えてみればこれまで、自分で自分のパソコンを選んだことが、なかった。家族や友人が、よさそうなのを見つくろい、買いおいてくれていたんです。

そんな初心者が、選ぶことなどできるんでしょうか。パソコンは、ネギやインゲンとはわけが違います。

「ご心配なく、お客様」
と、首から名札をぶらさげたお店の方が、いつのまにやらにこやかに近寄って来ました。

まず、ブック型と卓上設営型のどちらをと聞かれたので
「ブック型です」

ゲームはなさいますか、ともおっしゃるので
「しません」

「では、おすすめはこちらです」

なぜこれが特価品かというと、本年度の秋冬モデルだからで、春夏モデルが発表になった以上、もう古くなってしまったから。とはいえ、機能は申し分なく、たとえば
「ナニナニ(専門用語)により、パワーがあります」

この、ナニナニの説明が、穿(うが)っていました。

レストランの厨房で腕をふるっているシェフの背後に、万が一のため、スタンバイできている料理人が三人までも待機して出番を待っているようなものです・・

ヘーエ、と、しみじみ感心しちゃいましたヨ。

ドシロート(しかもオバサン)は、専門用語だけとうとうと連ねられても、頭の上をむなしく通り過ぎて行くだけですからね。

値段も高からず安からずのようなので、
「では、これに決めます」

ワーイ新しいパソコンだ、と、心とびはねる思いでしたが、その暇もなく、すぐさま、PCお客様カウンターというところへ呼ばれました。

ここもまた、オバサン仕様でした。

いわく、従来のパソコンの初期化は付属のCD-ROMでしましたが、これ(windows7)にはもう、搭載されています・・

あら便利だワ、と、いう顔にこちらがなったとろで、
「と、いうことはですよ」

万が一、不具合が生じたときのため、CD-ROMにバックアップをとっておかないとリセットできない、ということになりますが
「ご自分でおできになりますか」

えっ、と、つまったところで、パソコンを使えるようにするまでの有料サービス一覧が、松・竹・梅の三段階で、目の前に現れました。お寿司屋さんでもあるまいし、と、思うものの、オバサンには選択の余地がありません。

松、と、おねがいするよりほかなく、待つこと数日、本日ようやく、我がパソコンがやって来ました。

PIC_3998.JPG
これもまたストレートにオバサンをねらいましたネ。

前菜は、トマトサラダ
主菜は、鮭やほっけの干物、鶏肉の残りと野菜の赤ワイン煮、ペンネ

立ち呑み日記・コピー今昔 [おとしごろ]

コピーをとる必要があって、近所のコピー屋さんへ行きました。

そういえば、と、ふと気づいたんですが、コピー屋さんって、少なくなったと思いませんか。うちのあたりは学生街なので、コピー屋さんは、まあ、あるほうでしょうか。

あることはあるものの、コピー機の台数が、明らかに少なくなっている、ような、気がする。

以前は、番号のふられたコピー機が十台ぐらいずらりと並び、お店のひとに指定された番号のところで、ガッチャンコー、ガッチャンコー、と、一枚ずつ、コピーしたものです。

思い起こせば、学生時代。試験前に、クラスメイトのノートを、よくコピーさせてもらったなあ・・

一般教養のなんの科目だったか、コピーからコピーへ、十年以上にわたって受け継がれているノートコピーまでも、ありました。

このコピーさえ丸暗記すれば大丈夫、と、言い伝えられ、コピーのコピーのそのまたコピーのそのまたまたコピーのまたしてもコピー(きりがないのでやめます)を、入手した友だちから、コピーさせてもらったものです。

今の学生さんは、ワタシらのころと違って、もっと真面目に勉学に取り組んでおられることでしょう。

さて、近所のコピー屋さんに入ると、コピー機の台数が少ないところへきて、ひッどい行列。オバサン一人(ワタシです)を例外として、、列をなしているのは、全員、学生さんです。前の前に並んでいる女子学生さんは、付箋のたくさんついた、赤くて分厚い「民法」を、胸に抱えています。

アア青春だなあ、と、なんだかまぶしく眺めちゃいましたヨ。

青春はそこかしこにあり、以前はコピー機が二台並んでいたところに、コーヒーの自動販売機が設置され、湯気がほかほかする一つのコーヒーを二人で分け合っている学生カップルがいる。

なんでまたコピー屋さんが商売道具を払い下げてまで自販機を、と、いぶかりましたが、並んでいると、理由がすぐにわかりました。

なにしろ、待たされる。それもそのはず、みなさん、コピーではなく、USBメモリで、ファイルを紙に起こしているんですね。

「ここに挿してください」と、店のオジサンの指示でUSBメモリを所定の穴に挿し、画面で確認しながら「これとこれとこれ」と、指定する。

しばらくすると、店内の一つのコピー機が、ひゅんっひゅんっひゅんっと、すばやく動き出し、そこからは、あれよという間です。山となった印刷物を確認し、お会計。

ただし、一人ずつそうやっているので、なかなか番がまわって来ません。コーヒーでも飲もうかナ、と、思ったところで、オジサンと目が合いました。

「USBメモリですか」「イエ、コピー8枚です」

じゃないかと思った、と、オジサンは独りごち、このオバサンの人相風体からいっていかにもこっち、と、いうように、昔からあるほうのコピー機を指さして
「2番でどうぞ」と、おっしゃいました。


PIC_3881.JPG
屹(きつ)立しているのは豚の内臓の腸詰、5つAの逸品です。ク
サヤのようにニオイがきついながら慣れるとやみつきのお味。


前菜は、チコリとブルーチーズとリンゴのサラダ
主菜は、鴨のささ身と子牛挽き肉のロースト、野菜入り炊き込みご飯、モロッコインゲン塩茹で

立ち呑み日記・青春の学生歌 [おとしごろ]

赤いのぼりを立てて、大通りを労働組合のデモ隊が行進している。と、眺める間もなく、先頭の一団が、手元の音源から、美しいコーラスを流し始めました。

「インターナショナル」

久しぶりにこの労働歌、聞きましたヨ。

うちの界隈は学生街なんですが、深夜に士気上がってこの歌をがなりたてている若者軍団が、1990年代中ごろまで、いたものです。

そのころでさえ、学生運動の時代などはるか遠く、東京にいたころは一度も聞いたことがなかったので、フランスの若者は反抗し続けているんだなあ、と、感心しながら、枕に頭つけて聞きました。

日本の若者がこの歌を、盛んに合唱していたのは、70年安保の時代。

そのさなかに大学を卒業してパリに留学し、職を見つけて現在に至ったという大先輩の知り合いによると、当時は学生集会というのがしょっちゅうあり、みんなで肩組んでは、歌ったそうです。

「今も歌えますヨ」
と、よどみなく二番まですらすら歌ってくださったので、ヘーエと、おどろきました。

こういう歌は、
「屋外で歌うもんだ」
と、知り合い。

学生集会は、キャンパス内の広場だの当時まだそこら中にあった
「野ッ原」
だので行われ、誰が指揮をとるわけでもなく、自然と歌声が巻き起こったものだそうです。

音が拡散していくので、なりゆき上、声も大きくなる。

社会を変えるのだッ、と、こぶし振り上げ、肩を組み、意気揚々と歌うのは、さぞかし気持ちよかったことでしょう。

心ひとつになって歌える歌がある、というのは、なかなかにヨロシイことです。

ワタシの学生時代など、軽・薄・短・少の時代でしたから、そういう「無粋な(と当時は思い込んでいた)」ことは、一切、したことありませんでした。

と、書きながら、突然思い出しましたが、
カレッジソング
というのが、ワタシの通っていた学校には、あった。クラブやサークルによっては、集まりのときに、一同で歌っていたようです。

ただし、若き血たぎるようにではなく
「キャピキャピ歌う」
と、テニスサークルのコが言っていたことも、記憶の底から不意によみがえりました。

学生歌、って、各大学にあるものなんですネ。今の学生たちは、それぞれの学生歌を、どんなふうに歌うんだか。

こないだ帰国したときに、カラオケに行ったら、リストに、大学の校歌がずらーっとありましたから、在学生も卒業生も、時にみんなで集っては、青春の志を、内々で歌っているもよう。

がしかし、「インターナショナル」だけは、どうしたわけか、カラオケに入っていないんですヨ。この件、2ちゃんねるでも詮議がなされたようですが、いったいなぜ、仲間はずれにされるのか。

防音装置のない屋外で歌うべき歌だから、と、いうのが、知り合いの考察です(ホントかいナ)。


PIC_3438.JPG
和の小物店なんですが、前を通りがかると寒いのなんの。

前菜は、千切りニンジンとそうめんを浮かべたブイヨンスープ
主菜は、プロポ(雌鶏のポトフ風水炊き)、グリーンサラダ 

- | 次の10件 おとしごろ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。