立ち呑み日記・愛のコリーダ [真夜中]

ワルガキ二匹をベッドに追いやり、さてこちらもそろそろ寝ようかナ、と、テレビを消そうとしたら、大島渚追悼特番で映画「愛のコリーダ」が、始まりました。

言わずと知れた、阿部定事件を基にした名作。

日本では表現上の規制もあり無修正の上映はあり得ないでしょうが、フランスではテレビでも時折放映されるんですヨ。

最後に観たのはいつだったかなあ、と、立ちあがりかけた腰をまた据えてしまいました。

「『愛のコリーダ』はフランス映画であるッ」
と、語学学校に通っていたころ、生徒なら誰でも聴講できる文化講座の「映画論」で、壇上の先生が強調なさったものでした。

なんとなれば、製作がアナトール・ドールマンという名プロデューサー率いるフランスの製作会社だから。日本では公開できないシーンの連続のため、フィルムを現像せずそのままフランスに持ち込み、編集など後の作業をした。

「諸君のなかには日本人の学生もいるようだが、本作を日本名画と自惚(うぬぼ)れるのはおかどちがいであるッ」
と、人差し指を振り上げるのを、半ばくやしく聞いたもンです。

「愛のコリーダ」が封切られたのは、1976年。

「見てー、うちの親ったらこんなの隠してたー」
と、級友が休み時間に学生鞄から茶封筒を取り出したのを、みんなで取り囲みました。

出てきたのは、映画と同名のスチール写真集。この書籍は、わいせつ物頒布罪として社会問題になったものです(後に無罪確定)。

中学生の目からすれば、ビキニ姿のアイドルヌードというわけでなし、いまひとつよくピンときませんでした。

が、藤竜也はシブくてカッコよかった。

このころ、東京・自由が丘に「カスタネット」という女子高生らにそれと知られた喫茶店があり、アコガレの藤竜也さまが時たま出没なさる、と、もっぱらのウワサでした。

ワタシもお見かけしたこと、あります。

アコガレの君は、意外にもシブさとは対極の原色のヨットパーカーを気さくにお召しになり、これまた意外にも、お茶とケーキを前になさっていた。

マ、考えてみれば、社会人たるもの、仕事の打ち合わせで昼からお酒、とはなりますまい。

さて、映画は、阿部定が住み込み女中となった料亭のざわめきから始まります。定を演じる松本瑛子が大写しになって、あれっと思ったんですが、一重まぶたなんですネ。最近の女優さんにはない感じの顔立ちで、だからこそ、昭和初期の感じがありありとします。

そしていよいよ、シブいアコガレの君登場ですが、「うひゃー」とのけぞりそうになるほど、若いッ。シブいなどとんでもない、精悍で、ドラマ「ビーチボーイズ」の竹野内豊みたいです。

藤竜也さまはこのとき35歳でいらしたんですね。

ものがたりは二人の官能をなぞり、いよいよ刃物が登場するクライマックスへと向かって行くわけですが、全編に漂う昭和初期の情緒がとてもよかったです。

本編終了後、若く精力的な時代の大島渚監督の写真がうつしだされ、いなくなっちゃったんだなあ、と、万感胸に迫りました。


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快晴はほんのいっときしか続きませんでした。本日また小ぬか雨。

前菜は、ニンジン千切りサラダ
主菜は、スズキのオーブン焼き、じゃがいもにっころがし、インゲン塩茹で

立ち呑み日記・カップめん [真夜中]

冬休みのイスラエル旅行から帰り着いた、夜更け。

何か温かいものが食べたくないこともない、と、ワルガキ二匹が騒ぎ始めました。
「こないだのあれがいい」

こないだのあれ、とは、エルサレムのホテルの部屋で食べてみた、カップめんです。

日本製ではなく、れっきとしたスラエル製、それも「コーシャ」という、ユダヤ教のお浄め済み食品のお墨付き。

近くのスーパーで物珍しくカゴにとり、ホテルのセルフコーヒーコーナーでお湯をもらって、つくりました。一見ラーメンですが、ユダヤ教に豚肉は禁忌なので、スープは野菜風味とキノコ風味の、二種類。

思えばこれが二匹のカップめん初体験。

カップの上ぶたをぴりりと開けると、粉末スープの小袋とフリーズドライの野菜の小袋とともに、折り畳み式のフォークが、入ってました。このフォークをパチリと広げながら、そういえば、と、思い出したんですが・・

そういえば、草創期のカップヌードルには、プラスチックのフォークが、ついてたナ。

日清カップヌードルの登場は、1971年。その翌年の冬、あさま山荘事件で、機動隊員が厳寒のなか、夜食に湯気の立つカップヌードルをすすっている姿がテレビで報じられ、飛躍的に知られるようになったそうです。

ワタシが初めて目の当たりにしたのも、その直後の土曜日の午後、級友の家に班のけんきゅうはっぴょうに使う表を画用紙でつくりに行ったときでした。

級友のオトーサンがたまたま家にいて、豪華版にも子どもらに出前のラーメンをふるまってくださると、
「ボクは、コップ」
と、ひと言。

「『カップ』ヌードル」
と、級友のオカーサンが訂正しながらお盆にのせてやってきました。

お歳暮だかお年賀だかに箱入りでいただいたものの食べる機会なくこれまでしまってあった、と、いうようなことをオカーサン(級友のオカーサンです)がおっしゃって、セロハンを引きちぎります。

ワタシほか班のみんなが箸を止めて注目するなか、上ぶたがピリリ。あくまで大人の食べ物であって、子どもに食べさせようとは思いもよらなかったんですね。

ふたの中から、ペナペナのフォークが出てきました。

このフォークをよけると、
「オ、海老」
と、級友のオトーサン。指をつっこみ、フリーズドライをポイッと口にほうりこんでしゃくしゃく噛みしめます。

「いやよオトーサンったら」
と、級友のオカーサンがお行儀を咎め、ストーブの上のヤカンからお湯を差しました。

これらの状況を逐一脳裏におさめ、家に帰ってから
「買って買って買って」
と、さんッざんぱらやり、しばらくして、とうとううちにもカップラーメンがやって来ました・・

・・テナこと思い出し、ホテルのベッドに腰掛け淡泊なキノコ風味をズルズルやったんですが、二つあまったのをスーツケースに入れて来たので、ややつぶれかかったのを形成しなおして、お湯をわかしはじめました。


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テルアビブの海。

前菜は、トマトとさいの目エマンタールチーズのサラダ
主菜は、マスのムニエル、刻みパセリをふった蒸しじゃがいも、インゲン塩茹で

立ち呑み日記・カレーうどん [真夜中]

日付けがかわろうとしている時間、カレーうどんが
「食べたい食べたい食べたい」
と、8歳のムスコ。

ご招待を受け、町はずれでサーカスを観てきたところです。寝なきゃいけない時間ですが、宵の口に食べたサンドイッチはとっくの昔に雲散霧消している。

そこでカレーうどん、とこう頭に浮かんだ。今宵は氷点下まで気温が下がり、なるほど濃厚なカレーうどんは、芯からあったまりそうです。

鍋には幸い、おととい作ったカレーが、まだうっすら残ってました。これを水で薄め、顆粒だしをさっさっとやりお醤油をちゃっとかけまわしてぐつぐつさせれば、あっという間に、おつゆが出来上がります。

で、そのようにやりながらつらつら考えたんですが・・

お店のカレーうどんを食べたのって、そういえば半世紀近いわが人生で、数えられるほどしかないナ。

おとしごろ期以前は、店で食べたことが、ない、と、断言してもダイジョブなくらいです。なんとなれば、外食の「感じ」がでない。

外で食べるというなら、お子様ランチの日々を経て、ピザでありスパゲティであり海老ドリアでありハンバーガーでありツナサラダセット(パンと飲み物つき)、です。

それが、就職して間もないころ、風邪気味だから熱いものが食べたい、という先輩に連れられてお昼に蕎麦屋へ行き、先輩にならって、カレーうどんをとってみた。

おっと、あれはカレー南蛮、でした。カレーライスのように玉ネギ入りがカレーうどん、長ネギ入りがカレー南蛮、だそうです。

このカレー南蛮、今思い出しても、とろみのついたピリ辛スープがあっつあつだったナー、麺にコシがあったナー、と、うっとりしちゃうほど、ヨロシかった。

初体験の相手に恵まれました。が、その思い出を胸にセカンドバージンへと向かうんですね。なぜというに・・考えてみればホントなぜなんだか、理由はハッキリしません。

そのうちにパリに居を移すこととなり、ますます縁遠くなっていきました。

この間、カレーうどんはますますの社会進出を果たし、ご当地カレーうどんとして、各地に名物ができているのだそうですってネ。

愛知県豊橋市では、とろろごはんの上にうどんを盛り付けたカレーうどんが有名だそうです。

カレーうどんは、せっかくのつゆがのみ切れずもったいないながら残すことがままあるので、まずうどんをさらった後にカレー雑炊としても食べられる、21世紀の大発明。

ウーン食べてみたい。とくに、うどんの切れ端と、とろろとご飯がざっくり混ざったあたり。

さて、火にかけたカレーのつゆは、千切りニンジンなども投入してすっかりできあがりましたが、あろうことか、うどんを切らしていたことに気づき、マカロニで、かんべんしてもらいました。


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以前は『ぴあ』のような『パリスコープ』を毎週買ったものですが、最近はキオスクがあっても通り過ぎるばっかりになりました。

前菜は、乾燥エシャロットをふったビーツのサラダ
主菜は、ポトフ

立ち呑み日記・高いところ [真夜中]

びっくりしたなあもう・・

週末の深夜、ワルガキ二匹をベッドに追いやり、窓辺の机でユーチューブを見ていました。と、すぐ横の窓を、ドンドンドン、ドンドンドン、と、誰かが叩いている。

うちは最上階なので、こんなこと本来あり得ないんですが、今は外壁工事の足場が出来ているんです。

ぎょっとして窓を見ると、逆光で顔がよく見えないながら、缶ビール片手の何者かが二人、ご機嫌でこちらに手を振って、てっぺんへと上って行きました。

すわ空き巣狙いかと騒然となり、隣りの部屋の窓を、オットががばっと開けて声をかけると
「ボク階下に住んでるんですヨ」

週末に友だちが遊びに来たところで窓の前におもしろそうな通路があることだし、ビールのまわりもよく、いっちょ月見で一杯やろうじゃないのと、ピーターパンもかくや、窓から散歩としゃれこんだのだそう。

若者よ。気持ちは、よーくよーくわかる。ワタシだって、18歳だったらやっている。28歳だったとておそらく同じ。

しかしですよ。

この足場にはセンサーがついていて、警備会社と連絡しているくらいなんです。住人はみんな、足場からの空き巣にびくびくしているところなんですぞッ。

ほんとにもう・・・

ナントカとけむりは高いところが好き、と、言いますが、ナントカであろうとなかろうと、高いところはおもしろいものです。

それが証拠に、スカイツリーに連日大行列というではないですか。こないだ一時帰国で行った東京タワーも、平日の昼間と言うのに並びました。これがエッフェル塔となるともう、目も当てられないほどの大行列です。

行列してでも、高いところへ上ってみたい。

パリの高いところといえば、凱旋門はエッフェル塔よりは低いですが、景色はむしろこちらのほうがおもしろいです。

凱旋門を中心に、放射状に並木通りが伸びている。

車は凱旋門のまわりを二重三重に取り巻いてぐるぐるまわりながら行くべき並木通りへ折れるんですが、車線は、ないんですね。

気の弱い運転ではぐるぐるからとうてい抜け出せない。輪の内側から外側へ斜めに走り出したり平気でする。

そういう丁々発止を高みの見物できるのも、高いところに上ったからこそ。

で、ありながら、凱旋門もエッフェル塔もスカイツリーも東京タワーも、うちの足場も、高いところに上ると最終的にかなッらず同じ心境に陥いるのは、あれはどうしてなんだか。

すなわち、あれだけ上ってみたかったのに、下りるとなったら、一刻も早く下りたい。さっさと下りたい。今の今すぐ下りたいッたら下りたいッ。

そういうわけで階下の隣人も、すたこらさっさと下りて行きました。


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ミニ人形を指ではじいて対戦中。

前菜は、ニンジン千切りサラダ
主菜は、牛赤身ステーキ、七面鳥のささ身クリームソース、じゃがいもソテー、インゲン塩茹で

立ち呑み日記・詐欺ぼったくり [真夜中]

「オレだよ、オレ」
という不審電話が、実家にかかってきました。

寝入りばなの夜11時。

寝ぼけまなこで受話器をとった老母に、息子である我がオトウトの名をしかと名乗ったといいます。その声が、いつになくしゃがれている。

「風邪ひいちゃったんだけど、内科かな? 耳鼻科かな?」
と、「息子」は、聞いてきました。

「内科じゃないかしら」
と、老母はどうもおかしいと思いながらも、あくびかみ殺しながら答えたそう。

「そうだね、ありがと」
と、言いざま、電話は切れた。

先日、朝のワイドショーで特集してましたが、これって振込み詐欺の常とう手段で、最初の電話では、お金の話にはチラとも触れないところからはじまるのだそうです。

が、たったこれだけの会話で、としよりの心をわしづかみにするものだそう。老母もまた、感心しない電話であろうことは眠い頭でさえ、すぐさま判断できたと言います。

だからこそ、こういうことに手を染めるひとというのは
「母の愛に飢えて育ったのではないかしらねえ・・」
と、箒(ほうき)をつかっている手をとめ、感じるところある顔を、するんです。

なんとなれば、「そうだね、ありがと」のトーンに詐欺とはいえどこかのオカーサンと会話できるヨロコビや甘えみたいなのが、こもっていた・・

・・だからそういう心の隙間をついて、テキはグーッと入り込んでくるんじゃないのッ、と、トウのたったムスメ(ワタシです)の声が大きくなるまいことか。

先のワイドショーによると、最近のオレオレ詐欺は、よりこみいってきていて、上司だの同僚だのというのが電話口に次々とあらわれ、コンビニの店頭など公的な場所での金銭受け渡しを要求してくるそうです。

詐欺行為がよもや公衆の面前で行われるわけがない、という信じ込みをついた犯罪。まったくもって油断は禁物です。

お金の被害といえば、在パリ40年以上になる日本人の長老から聞いたハナシですが・・

出張で日本からやってきた、おもに殿方がたまさかに被害にあうのが、ぼったくり、です。夜半、一人でホテルを抜け出し、いかがわしい界隈の、いかにもいかがわしいキャッチバーに、誘われるままに、入っちゃう、

見るからにあぶなっかしいとわかるのになんでまた! と、聞くだにアキレますが、被害にあう殿方のほうも、
無垢の心でひっかかるのではなく、大方そのテだろう、と、うすうす感じながら、席に着くというんですね。

案の定、生ビールをグラス一杯しかたのんでないのに、法外なお金を請求される。

「こんなには払えない」
「払え」
と、押し問答の挙句、腰に拳銃をさした、いかついのが登場。

仕方なく財布にあるだけの現金を置き、一目散に退散することとなるわけです。

自業自得ともいえる実に由々しき事件ですが、被害者の殿方はというと、あたかも武勇伝のごとく、この経験を後におもしろおかしく語るものだそう。

なんでまた! と、女からすればアキレてものも言えませんが、
「男ってそういうものヨ」
と、長老は笑っておっしゃいます。


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マンション7階の廊下。足が、すくみましたです。

前菜は、トマトとインゲンとレタスのサラダ
主菜は、ドイツ風ソーセージ、冷し中華

立ち呑み日記・特別コンサート [真夜中]

音楽好きの友人に、家族でコンサートに誘われました。大御所バイオリン奏者イヴリー・ギトリスと、その友人音楽家たちによる特別コンサート、とのこと。

イヴリー・ギトリスは、御年90歳の現役奏者で、昨年の東北大震災の折には、日本にすぐさまチャリティー・コンサートにいらして、被災地の式典での追悼演奏もなさったお方です。

そういうありがたきお方を囲む演奏会に、ワタシら夫婦だけならまだしも、ワルガキが二匹付きでのこのこ出かけて、しかるべきか。

しかもこのワルガキは、ことさらに騒ぐ・・

・・と、懸念しつつ開演時間の20時半に席に着いてみれば、意外にも、子どもの姿がちらほらあります。パリ郊外の、巨匠の名を冠した音楽教室の子どもたちの発表もあるので、その関係者のもよう。

いずれの子どもも、聞き分けよさそうに、姿勢よくきちんと座っています。

「静かに聴くんですよ」
と、二匹に念を押しておく。

「帰りにレストランに寄る、かもしれませんよ」
二匹は、この言葉を励みにまあまあの姿勢でのぞみました。

が、一流の音楽家というのは、子どもの集中力をも、逸(そ)らさないものですネ。二匹とも、じーっと、目が演奏家に釘付けになったまま、聴き惚れています。

なんという耳の幸福、と、ワタシもクラシックに明るいわけではないんですが、うっとり、酔いしれまたヨ。

ピアノのマルタ・アルゲリッチ、バイオリンの諏訪内晶子、木野雅之、マキシム・ヴェンゲーロフ、日本映画「大河の一滴」にも出演したトランペット奏者セルゲイ・ナカリャコフほか多数の一流どころが入れ代わり立ち代わりあらわれては、息をのむばかりの演奏を繰り広げます。

巨匠の指名を受けて、フランスでよく知られたシンガーソングライターのジャン=ルイ・オベールも、客席からひょいと舞台にとびのり、満場の手拍子のなか、ギター片手に自曲をお歌いになりました。

「ねむい」
と、このあたりで、ワルガキ二匹がささやきだした。

それもそのはず、時計を見れば、なななんと、午前零時をまわっています。

しかし、終わるどころのハナシでなく、いずれ名の知れた名音楽家たちが飛び入りで、まだまだどんどこ登場します。

こんな時間にまあ、と、尋常ならざる事態に、客席からくすくす笑いが巻き起こるほど。

その客席を見回せば、さすがに子ども連れは退散し、空席も目立ってきています。うちらもそろそろ退散しないとなあ・・でも最後まで聴きたいなあ・・

よくしたもので、日本行きエコノミークラスで鍛えた二匹は、椅子にはまりこんで、白川夜船とあいなりました。

最後のアンコールが終わったのが、午前2時。演奏する側も、たいへんですネ。

このあとは、誰もが参加できるカクテルパーティーがあり、90歳の巨匠は矍鑠(かくしゃく)としてご出席になり、ただのオカーサンのワタシもまた、シャンパンのご相伴にあずかりました。


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これを連れ帰るのがまたたいへんでした。

前菜は、安いイチゴのスライスと刻みバジリコの葉のサラダ
主菜は、鶏ロースト、ニンジン入り炊き込みケチャップライス、カリフラワー塩茹で



立ち呑み日記・夜食の牡蠣 [真夜中]

オペラが退けた夜更け。

食通の親戚におねがいされて、悪い風邪で来られなくなった友人の代わりに、9歳のムスメを連れ、ピンチヒッターでオペラ観劇に行ったんです。(昨日の立ち呑み日記をご高覧ください)

翌朝は学校もあることだし夜食は無理だねえ、と、残念顔の親戚に、
「そんなことないですヨ」

仕方ないわよオペラに来ちゃったんだもの、と、都合よく解釈し、ムスメのひどい夜更かしを容認、どころか、さらに手を貸すことになりました。

すなわち、23時過ぎという時間から、9歳のムスメを引き連れて、何か食べに行く。

何か、と、いいますか、こういう華やいだ夜食といったら、牡蠣と白ワイン、これに尽きます。

よしきたッ、と、食通の親戚は、腕まくりするいきおいで、バスチーユ・オペラ座前の横断歩道を大またに渡り始めました。

と、いうのも、親戚には、深い懸念があります。

友人が来られない、かわりに子どもが来る、などの諸事情から、観劇後の食べもの屋の予約を、していないんですね。

オペラ観劇といえば夜食、夜食といえば牡蠣、バスチーユ・オペラ座界隈の夜食の牡蠣といえばアノ店、と、連想することは、誰もいっしょらしいんです。

親戚の懸念通り、われわれの前後には、善男善女が、あたかも駅から受験会場の学校へと足を急ぐ受験生の群れのごとく、同じ方向を目指しています。

「ご予約は」
と、目当てのブラッセリーの回転扉を入ると、案の定訊かれました。

「ないんです」
「すると40分待ちになります」

大人だけなら、カウンターで一杯やっていれば40分なんて軽く過ぎるけど、コブがいたのではねえ・・と、思案する間もなく、親戚は身をひるがえし、タックルをかけるがごとく、回転扉から飛び出ました。A案がだめならB案、とばかりに、道をたっと横切り、すかさず、ななめ向かいのレストランへ。

食通の面目躍如。おかげで、幸い、ひとテーブルとれました。

牡蠣には種類から番号がついていて、それぞれに風味が違います。日本の岩牡蠣のように厚くて濃厚なのから、日本では見かけない、肉薄であっさりしているのまで。あと味もまた、ミルクっぽいのや、青海苔のような香り、などなど。

それらを一通り食べてみましょう、と、食通は、指をあげてギャルソンを呼びとめます。

見回すと、遅い時間なれど、フランス人は健啖ですネ。一回転目のお客は大きなデザートにむかい、われわれのような観劇後の二回転めが、さあいくぞとばかり、メニューを仔細に点検しています。

今から夜食となると、席をたつのは日付けがかわってからになっちゃいますが、マ、毎日のことではないですからね・・

・・と、見る間にテーブル中央に、五徳のような台が置かれ、下に薄切り黒パンとバターと、エシャロット入りお酢の小鉢が来て、牡蠣の銀盆が、しずしずとやって来ました。


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これ、観たいなあ・・。パリのユダヤ人をモチーフにした大ヒットコメ
ディの三作めで、第一作が「原色パリ図鑑」という邦題で1998年
に日本でも公開されています。

前菜は、ニンジン千切りサラダ
主菜は、フランクフルトソーセージ、蒸したじゃがいも、モロッコインゲン塩茹で

立ち呑み日記・夜更かしは楽し [真夜中]

この週末、フランスは三連休でした。

テレビもまた、連休をあてこんでか、夜の10時半もゆうにまわったところから、「おてんばエロイーズ/きらきら星のダンスパーティー」という子ども向けのおもしろいハリウッド映画が始まり、ワルガキ二匹は、釘付けです。

その手には、チョコペーストどっさりのパン。

10時半、というのが、ひとつの分水嶺で、さっき食べたばっかりの晩ごはんが胃袋のなかで雲散霧消してしまい、
「なんか食べるー」と、なってくるんですね。

明日休みだし、まいっか。

休みの前日の夜更かしぐらい楽しいことは、ありませんよネ。とはいえ、最近は就寝時間がずれ込んで、日ごろから遅寝のひとも、多いことでしょう。

草木も眠る丑三つ時(午前二時)、明日も早いし、じゃそろそろフェイスブックやめて寝ようかナ、てなことも、めずらしくないのでは、ないでしょうか。

小腹すいたから、ひとっぱしりコンビニ行こうかなあ、でもやっぱりやめといたほうが無難だなウン、と、ようやく布団に入る。そんなオトーサン方も、子どものころは、夜更けがもっと早くやってきました。

夜更けは8時からもう始まっていた。

「8時だヨ、全員集合!」見ずして、週末の夜はあり得ませんからね。そのあとはもちろん、「キイハンター」ですが、半ば過ぎくらいから、眠さとの戦いになります。でも、まだまだ布団には入りたくない。

「いい加減もう寝なさいッ」と、オカーサン(ワタシら世代のオカーサンです)にお尻叩かれ、半べそで茶の間を後にするわけですが、大きくなったら好きなだけ夜更かししてやるーッ、と、心に誓ったり、するわけです。

「11pm」のテーマ曲が階下から聞こえて来るので、茶の間にのぞきに行って、叱られたりもします。

この時代の大人は、このあたりの時刻でもう、深夜も深夜、まもなくテレビ画面が砂嵐になる真夜中と思っていました。NHKなら、日の丸がはためき、「君が代」が、あたかも世界の終焉のごとく重厚に流れて、砂嵐。

あとはすることないですから、雨戸閉めた六畳の、二股ソケットの電気も両方おとして、犬の遠吠えなどおぼろに聞きながら、寝入るのみです。

しかし、深夜は、1980年代に、もっと遅くへズレ込んでいきます。

「オールナイトフジ」が生放送で始まり、午前0時をまわってなお、若者がキャピキャピと、はしゃぎまわるようになる。

この若者が、ワタシらなわけですが、深夜に突然、いなりずしが食べたくなって
「開いててよかった」
と、コンビニに走るようにもなります。

お若い方々は首をおかしげでありましょうが、セブンイレブンに、そういうテレビCMがありまして、朝7時から夜11時まででなく、年中無休の24時間営業が、当たり前になっていくわけです。

さて、おてんばエロイーズちゃんのいたずらも、ようやく結末にいたった午前0時。

オカーサン(ワタシです)もくたびれ果て、ワルガキたちのお尻たたいて、ようやく布団に入ることになりました。

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日差しがないところはずいぶん寒くなってきました。

前菜は、根セロリのマヨヨーグルト和えサラダ
主菜は、フランクフルトソーセージ、アシパルマンチエ(ポトフの残りをつぶしたチーズグラタン)

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