立ち呑み日記・さらば三角屋根 [追究]

ただ今フランスでは、公的なお達しによりフランス語の綴りが簡略化されることになり、寄ると触るとこの話題です。

日本で言うなら、当用漢字にしかじかが加わった、あるいは書き順が変わった、テナ感じでしょうか。

今回の改変はなかなか大胆で、フランス語につきものと思われていた母音の上につく「^」アクサンシルコンフレックスという三角屋根が完全撤廃されることとなりました。

たとえば、英語のディナーdinnerにあたる晩ごはんを食べる意の動詞dînerが、dinerになる(小さいけど違いわかるかナ)。

新聞開けば目にしない日はない失業chômageが、chomageになる。

「カンタンになっていいじゃないの」
と、外国人(ワタシなどです)は思いますけど、当該フランス人には人生を覆されるまでの青天の霹靂みたいです。

「フランス語らしくなくなる」
と、喧々囂々(けんけんごうごう)。

「今までせっかくそう憶えて来たのに困る」
と、うちの13歳のムスメまで口をとがらす始末です。

ムスメなどこれまでテストや提出する宿題で、母音の上につけるべき記号を忘れたせいで何度となく点をひかれ悔しい思いをして来たっていうのに。

ワタシがパリの語学学校に通っていたころ、やはり同じように作文や書き取りテストがありましたが、「é」や「è」や「î」など母音の上につけ忘れたとて減点の対象にはなりませんでした(例外もあります)。

しかしそれは外国人には寛容、ということでした、フランス人社会では小学校から容赦なく減点です。

「でもそうやってせっかく憶えたのをまた一から憶え直すのはイヤ」
と、ムスメ。「フランス語書くのがトラウマになりそう」

「トラウマ」だなんて、13歳にもなるとなかなかいっぱしなことを言い出すもンですナ。

今回の改変では、二語、綴りが(外国人からすれば)うんとわかりやすくなりました。玉ネギ(オニオン)「oignon」が、発音通り「ognon」に(「gn」に母音が続いてでニャ、ニュ、ニョになるんです)、水連(ネニュファー)「nénuphar」のphがシンプルにfで「nénufar」に、なる。

「oignon」は、フランス語の発音規則からすれば「オワニヨン」なのに「オニオン」とはこれいかに、と、外国人はその不規則性に悩まされてますから、ワタシなどもろ手を挙げて賛成したいところです。

「たったこれだけ代えてどうなるっていうのよ」
と、しかしムスメはあくまで保守を貫きます。

確かにまあ、他にも綴りに対して読み方が例外的な言葉はほかにもいろいろあるんですヨ。トラバーユtravail、ソレイユsoleilなど、Lがお尻に着くと「ユ」となるのに、街villeは、ヴィル。

フランスが誇るノーベル物理賞のDe Broglie博士は普通に読めば「ド・ブログリー」なのにさにあらず、この方は貴族のたいへんなお家柄で、どうやったらこう読むのか、「ド・ブロイ」博士。

こういうのを変えないで、なぜオニオンにばかりつらくあたる、と、ムスメほか多くのフランス人は言いつのるわけです。

Je suis oignon
という戯れフレーズが、
Je suis Charlie(私がシャルリ)
と同じ体裁でフェイスブックをにぎわせているほど。

玉ネギだけに泣けるなァ、
と、いうわけです。


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昨日から何がいけないのか写真が入らず。どうにかがんばって台所でハーブティーの箱をパチリ。でもこんなの見せられたっておもしろくもなんともないですよネ、ごめんなさい。はからずもカモミー「ユ」、です。

前菜は、トマトとさいの目チーズのサラダ
主菜は、プロポ(雌鶏のポトフ風水炊き)、クスクス

立ち呑み日記・眠い風邪 [困った!]

無断のお休み誠に失礼いたしました。カゼひいておりました。もンのすごーくねむーいカゼでありました。

そもそもは11歳のムスコがもらってきたんですね。

その日、ムスコはお昼に大好物ビッグマックにかぶりついたんです(前回の立ち呑み日記をご高覧くださいませ)。

いつもならもう目の色変えて、傍(はた)で見ているこっちが窒息しそうな勢いでかみつくんですが、いつになくちゃんと味わっている。

(そうよ、これからもそうやって食べてちょうだい)
と、ほめてやりたい心持ちでした。

が、これが前兆でありました。

午後、日本語塾へ向かう道すがらいきなり、
「眠い」
と、時にしゃがみこみそうになりながら目をこすり出した。

「これから勉強だっていうのになんですかその態度はッ」

ところがその翌日から、まったく同じことがオカーサン(ワタシです)の身にも起こったんです。もう、もう、眠くってかなわない。二匹を学校へおくり出すと、即座にベッドへUターンです。

そもそも朝起きても服をちゃんと着たら身体がしめつけられ苦しい気がして、ズボンはあれとしても上はパジャマを隠すようにセーターでお茶を濁しているほどです。

風邪ひいて眠る時って、昏(くら)い底なし穴へ落ちていく・・テナ感じの息苦しさが、ありませんか。

今回はそういうのが一切ないんです。枕に頭をつけると、実に心地よく、フーンワリ眠りに吸い込まれていく。これを極楽と言わずして何が極楽。

温泉旅館の夢さえ見ちゃいましたヨ、檜(ひのき)づくりの大浴場が目の前に広がり、足元に透明なお湯がひたひたと打ち寄せてくる・・

・・このお風呂につかっちゃったら年甲斐なく(あるいはそろそろそういうトシか)粗相しちゃうナと深層心理で思ったかどうか、湯気のたつ水面を睥睨(へいげい)したのみで目が覚めました。

目が覚めるも、今一度頭を枕に沈めてみるとまたしてもフーンワリ夢心地・・

・・しかしこの気持ちよさが同時に最大の「つらさ」でもありました。惰眠を貪っているという後ろめたさといったらありゃァしない。

起きなきゃ、と、心にムチ打つも、心地よさに抗えません。でもこれじゃいけない、いけないったら、いけないッ・・

熱が出ているわけでなし、咳鼻水も出ず、身体のふしぶしだってモンダイなしとなれば安静の必要などなし、わが身を起こせ、さあ、さあッ!  と、どんなに自己を叱咤激励しようとも、ダメったらダメ。

それでもオカーサンというのは終日寝ているわけにもいかず起きて家事をこなさなければ家庭がまわらないんですが、その間もひたすらにふっくらした我が枕を恋う。

同時に、
(これじゃただのダメ人間じゃないのッ)
と、深―く深―く反省もする。

数日間こんな調子でしたが、今朝目覚ましでガバッと起き上がった瞬間、枕は夜まで
「他人の関係」
という、いつもの心境になってました。

ムスコはおなかに来る風邪で学校を一日休みましたが、次の日のお昼には自家製ハンバーガーをまたぞろ噛まずにのみこむ勢いに戻りました。

カス写真でも入れたいんですが、いつもと同じにしてるつもりなのに「容量を越えています」とのこと。しばしお待ちくだされ。

前菜は、トマトとさいの目エマンタールチーズのサラダ
主菜は、七面鳥腿肉ロースト、レンズ豆煮込み、いんげん塩茹で、スパゲッティーミートソース(の残り)

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